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割り箸訴訟と医療の不確実性 [医療記事]

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2月12日、話題の割り箸死亡事故の賠償訴訟の民事判決がありました。結果は、医師側勝訴でした。刑事事件の無罪判決に引き続き、民事でも、医師無責という裁判官の判断です。

一部のメディアは、相変わらず、こんな遺族寄りの報道をしています。 

TBSの報道をごらんいただきたい。こちらです。(魚拓
割り箸死亡事故・賠償訴訟、遺族敗訴

両親の思いは届きませんでした。東京・杉並区で喉に割り箸が刺さり、死亡した男の子の両親が、「診察が不十分だった」などとして病院側に損害賠償を求めた裁判で、東京地裁は両親の訴えを退けました。杉野隼三ちゃん(当時3)。9年前、夏祭りで買ったわたあめの割りばしをくわえたまま転倒、刺さった割り箸は脳に達しました。ところが、隼三ちゃんが運ばれた杏林大病院の担当医師は、消毒薬を塗るなどしただけで帰宅させました。その後、容体が急変。隼三ちゃんは、4歳9か月の短い命を閉じました。担当医師は起訴されました。刑事裁判の一審判決では「診察や検査が十分ではなかった」と医師の過失が認められましたが、死亡との因果関係は認められず、無罪が言い渡されました。「事故の直前の七夕の時に『正義の味方になって悪と戦いたい』と(短冊に)書いて欲しいと言われ、それが私たちに託された願いだと思っているんです」(隼三ちゃんの母・杉野文栄さん)事故から1年余り、両親は「不十分な診察で死亡させた」などとして、病院側と担当医師を相手取り、およそ9000万円を求める民事訴訟を起こしました。そして判決で東京地裁は、両親の訴えを退けました。「当時の医療水準やけがの状態などから医師の過失は認められず、診察と死亡に因果関係は認められない」という理由でした。無罪だったものの医師の過失は認めた刑事裁判から後退したとも言える判断。「隼三にかける言葉さえ思い浮かびませんでした」(母・杉野文栄さん)両親は控訴を決めました。病院側は「主張が認められ、ほっとしています。しかし、改めてご冥福をお祈り致します」とコメントしています。(12日20:46)

 注)  青字 事実関係  赤字 遺族側  緑字 病院側

なぜ、一部のメディアは、こんな遺族側に一方的に寄り添った感情的な報道をいまだに垂れ流すのでしょうか? 確かに商業主義があるのかもしれません。それだけでしょうか?

小松秀樹先生の、医療の限界より一文を引用します。(P34~36)

不確実性をめぐる専門家と非専門家の齟齬は、医療に限らず、多くの分野で認められます。慶応大学商学部教授の権丈善一氏によると、例えば年金問題でも、不確実なものを不確実として受け入れない人たちが適切な議論の妨げになっているということです。
(中略)
人は不確実なものを不確実なまま引き受ける際に不安を感じます。
この不安に耐えられないことが、攻撃行動の原因になっているのではないでしょうか。

報道を作成する人たちの多くは、今働き盛りの健康な人たちでしょう。自分達の親も子どもも元気でいらしている方がきっと多いことでしょう。そんな中、自分達の日常生活においては、医療とは無縁の人が多いのではないでしょうか?

便利な日常生活、高収入、そして、自分達が世間を動かせるという万能感・・・・ 
メディア業界の中で、ある程度の権限を有する立場の人は、こんな感じかな?と私はイメージします。

つまり、彼らは、物事の不確実性を経験し、自覚する機会に乏しい環境にあるのではないかということです。

だから、自分達の生活の中に不確実なものがあるという認識の違いにおいて、私達医療者と一部の報道関係者との間には、天と地ほどの大きな開きがあるのでしょうね。

それは、物事の不確実性を世間に訴えようとする報道に私達は殆んど出会わないという事実からも推定できることです。

こういう背景にある人たちであるからこそ、上記のような報道が自然と出来上がってしまうのであろうと私は思います。

私は、このブログを通して、「報道が伝えないこと」を伝えたいという思いがあります。

この割り箸訴訟を通して、皆さん方に、改めて、「医療の不確実性」というものを、一人一人に自ら考えてほしいと思います。

医療の不確実性を考えるに当たり、

「私達の医療は、天気予報のようなもの、台風の進路を予測したり、雨の確率を考えたり・・・・

とイメージしてみたらどうでしょうか? 私が日常診療でよく言っている台詞です。

さらに、具体的に考えやすくするために症例を提示しましょう。 まったくのフィクションであり、自分の経験症例ではありません

症例 6歳 男児 

夏休みにある避暑地へ家族旅行した。そばの湖で水泳をして楽しんだという。その4日後、この子は頭痛と発熱を訴えた。「風邪と疲れでしょう」といって小児科開業医は様子をみるように親に言った。この子は、その後昏睡状態となり死亡した。 発症からわずか一週間後の出来事であった。 両親は、小児科医の初期対応が悪かったのではないかと思い、不信で不信でどうしようもなくなり、弁護士事務所を訪れるに至った。

さあ、皆さんは、どんなことを考えますか?
医者は医者の立場から、一般の方は、一般の立場から、それぞれの立場で考えてみてください。
病名を考えるだけじゃないんです。もし、これが現実だったら、自分はあきらめられるかな?とかそんなことでもいいのです。
(2月16日 記)

(2月17日 追記)
たくさんのコメントをありがとうございます。ブログ主が予期せぬところで、コメント欄がにぎわっています。ありがとうございます。 

物事には、常に多面性があります。ですが、それを文字にして語るときは、どうしてもその多面性のどこかを切り取って、ある一面を語らざるを得ません。それは、マスコミも私もコメンテーターも皆一緒です。

私の主張もそのような一面を語っているにすぎないということを十分ご理解のうえ、私のブログとお付き合いください。よろしくお願いします。

私の方はといいますと、あらかじめ想定していた話を粛々と続けることにします。

では、症例の続きです。 誤解していただきたくないことは、今回の症例はフィクションであり、事実解は存在しないということです。私が考えていた疾患がこれだということであるだけです。

今回の想定症例は、原発性アメーバ性髄膜脳炎(primary amebic menigoencephalitis)でした。超超超レアケースの感染症だと思います。

医学書と報道記事を引用しておきます。

図説 人体寄生虫学 第4版 南山堂 P24から引用

Naegleria fowleri Carter, 1970 
1965年オーストラリアで人体感染第1例が発見されて以来、ニュージーランド、米国、チェコスロバキア、英国、ベルギー、アフリカ、台湾などで見出され、現在、約150例を数える。本例の特徴は、湖沼で水泳などをしたとき、このアメーバが人の鼻粘膜に進入し、嗅神経に沿って直接、
脳に入り急性経過をとって死亡する。本症を原発性アメーバ性髄膜脳炎(primary amebic menigoencephalitis)と称し、若い男女に多い

日本での第1例の新聞報道はこちら。

脳にアメーバ侵入し死亡--福岡・久留米大、日本初の症例確認
2000.03.01 西部朝刊 社会 (全521字) 

福岡県久留米市の久留米大医学部寄生虫学教室が、
川や湖などに住むアメーバ「ネグレリアフォーレリ」が脳内に入って増殖し、髄膜脳炎を起こして死亡した日本初の症例を確認していたことが29日、分かった。福間利英教授(寄生虫学)は「初期症状が通常の髄膜脳炎と区別しにくいので多くの症例が見逃されてきたと思われるが、早期の治療で治った例もあるので検査などで注意が必要」と話している。確認したのは1996年11月に死亡した佐賀県鳥栖市の女性(当時25歳)。当初インフルエンザと診断されたが、意識が混濁したため久留米大付属病院へ運ばれ、髄液からアメーバを確認した。家族などから話を聞いたが感染経路は不明だった。患者の存命中にアメーバを採取できた例は世界的に珍しく、同教室は診断方法の確立に向けて研究を進めている。ネグレリアフォーレリは主に水中で生活し、関東や九州の川などで存在が確認されている。鼻の奥に水が入ると、粘膜から脳内に侵入して感染。約1週間の潜伏期のあと発熱や頭痛などを発症し、約10日で死亡する。福間教授は「めったに感染することはなく、不安がることはない」と話している。【太路秀紀】毎日新聞


starpoint様が、コメントでご指摘になっておりました。URLの紹介ありがとうございます。

とびきり珍しい地雷疾患なら、アメーバ性髄膜脳炎かな。
http://homepage2.ni fty.com/treknz/amoeb a_2.html
検索して発見しましたが、この疾患の存在は全く知りませんでした

公正中立な立場なら、この疾患を的確に診断できなくても、他のやるべきことをきちんとやっていれば、適正な医療レベルとおそらく判断されるでしょう。でも、ご遺族側は、納得できるでしょうか? 私には、分かりません。 まさに、子供の死という悲しい結果に、ご遺族という立場の多面性が如実に現れるでしょう。皆様のコメントを拝見しながら、私はそう思いました。今後何らかの形で設立されるであろう第三者機関が、遺族の気持を十分に受け止めてくれる機関であってくれるといいなあと私は思っています。

私がもし遺族の立場にたったら、とにかく悲しむんだろうなと思います。悲しみとは怒りとのどちらかというと負の感情は、無理して我慢する(抑圧)より、適切に表出したほうがいいという自分の考えがあるからです。そして、「受容しろよ、おまえさんよお」・・・と語りかけるもう一人の自分と悲しみにくれる自分とが、自分の中でごちゃごちゃになるんだろうなあとは想像します。

そうして、やっぱりその時その立場になってみないと本当はわからないなあと思う自分に気がつきます。

では、私がこれまでに、ブログで主張してきたことはどうなるのでしょうね?

例えば、「死の受容」なんて・・・・・・・。

まあ、自分に100点満点は、ありえないので、あまり深く考えなくてもいいのかなあということぐらいにとどめておきたいと思います。 自分の心の健康のために。


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コメント 69

コメントの受付は締め切りました
moto

まったくのフィクションとなると、答えが無いんでアレですが、ウイルスか細菌による髄膜炎・脳症や、ライ症候群をまずは考えますか。
そのほか、意識障害をきたす疾患はすべて鑑別に上がりますね。小児の場合でも、アイウエオチップスを唱えればいいのかな?

先日PALSを受講して、すこしだけ、小児の診察がどんな感じか触れることができました。コミュニケーションが取りにくい点、先入観にとらわれず、JATECのように全身を系統的に診るのが大切っぽいですね。
by moto (2008-02-16 10:45) 

元なんちゃって救急医

まったくのフィクションですが、具体的な疾患を想定を出来るように仕込んではありますよ。

・・・・であるから・・・・という疾患を想定し対処すべきであったのに、それをなしていない以上、医師は謝罪し、賠償すべきだ

といわれるかな。
by 元なんちゃって救急医 (2008-02-16 11:04) 

元なんちゃって救急医

私の言いたいことは、今回の割り箸事例は、この想定疾患を的確に診断し、救命できなかたことと同列じゃないですかということです。

そのことを多くの人にわかってほしいし、メディアは、その大量情報伝達能力を、そういうことを分からせるために使ってほしいという切に願う次第です。
by 元なんちゃって救急医 (2008-02-16 11:18) 

ななし

おいら元コメなので一般人と医師の中間みたいなもんですが、「髄膜炎や脳炎起こしてあっと言う間に亡くなりました」っていう経過なら、頭ではまあ理解できます。ただ感情的なところまで含めて納得できるかは自信なし。

推測ではない死因をきちんと知りたいとは思うけど、担当医もしょげてるだろう状況で、剖検とか自分からお願いできるもんかなあ。当然親戚一同からは止められるだろうし。
(ちなみにおいらは独身・子無)

でも
>不信で不信でどうしようもなくなり、弁護士事務所を訪れるに至った。
これだけはありえん。まずは担当医・初診医の意見聞いてからですよね。最初からケンカ腰はいかん。
by ななし (2008-02-16 11:19) 

ななし

連投ですいませんが、先生のコメント見てたら想定疾患は超レアケースの感染症のような気がしてきました。と言っても具体的なものは全然思いつきませんけど。
by ななし (2008-02-16 11:28) 

フーパパ

はじめまして。私は親側の立場での意見なのですが、
子供が体調悪い、いつもと違うなどのときは親自身、ちゃんと説明がおこなえる状態でない場合が多いと思います。医師側からの質問で気づかされることが多いと思います。
このケースの場合、「時には・・・な場合もあるので子供の状態を観察して(観察するポイントを教える)変化があるようだったら・・・のように対応するように。」といっていただけたら、親も何らかの対応ができたかもしれない。
そして、死に至った病状に対しての理解も早くできるのではないでしょうか。
by フーパパ (2008-02-16 12:22) 

防衛医療隊

普段なら、ウイルス性髄膜炎とか、ウイルス性心筋炎あたり考えますが、今日は難問のようです。キーワードは、“湖で水泳を楽しんだ” ですね。小児・熱発・淡水 で検索かけると、いろいろ珍しい感染症がでてきます。世界各国、いろいろ、あるようです。避暑地は、日本国内 とすると、(わたしは診たこともありませんが)小児レプトスピラ症 っていうのがあります。いかがでしょう? こうした疾患まで想定しろと言われても、一般的な医療者には到底無理です。また、“湖で水泳を楽しんだ” という病歴も後だしジャンケンではじめて意味をもちますから。
by 防衛医療隊 (2008-02-16 12:54) 

starpoint

とびきり珍しい地雷疾患なら、アメーバ性髄膜脳炎かな。
http://homepage2.nifty.com/treknz/amoeba_2.html
検索して発見しましたが、この疾患の存在は全く知りませんでした。
by starpoint (2008-02-16 13:44) 

ハッスル

埼玉の皆さんお疲れ様でした、というまもなく控訴(刑事も既に)されておられるようなので、過去形にはまだできませんが。
”裁判で恨み”をではなく、”今後の発展のために支援を”にとしていただければ、近江商人の”三者良し”なのに・・・

で、
①いずれ回答(?)を聞けば、どんなものを持ってきていただいても、ふーんと思えます。これはありえない、というものはありません。風邪は診断ではない=間違いでもない、疲れとともに間違いでもない、と思いますし。
②わが子を想定すれば、”はい、そうです。ありがとうございました。”、と受容できません。昏睡で発見され、画像診断等で相応の疾患を提起していただけなければ、病理解剖とする(協力を病院に依頼)ように思います。自分が受けた医師としても診断書が書けないと思うので。
抗生剤や手術しておればという疾患であったとしても、”そうしておけば”とは口外しません。後悔から人は生き返ってきませんし、”気づいてあげられなくてごめんなさい。遺される周囲を気遣ってくれてありがとう”とすっと逝ったわが子に対し保護者として謝罪と感謝をすると思います。
by ハッスル (2008-02-16 15:04) 

和尚

はじめまして、看護師をやっていた者です。
今は専業主婦で一歳の娘がいます。

自分が親の立場で、風邪のような症状から急変して死亡した場合、ドクターに「ウイルス性の心筋炎(あるいは脳炎、髄膜炎)が原因でしょう」と説明を受けた場合は多分時間はかかっても「運が悪かったんだ…」と考えられる思います。
それは一般より踏み込んだ知識を持ち、風邪とレアケースを判別するのは簡単ではないという認識を持っているからです。
それでも自分の親や兄弟に死因を調べるべきだと言われればお願いすると思いますが、訴えることは、、無いと思います。

でも、病気の詳しい知識を持たない方であれば
「死ぬくらいの病気なら、症状が出た時点でたくさんの検査をすれば助かったのでは!」
と考えるのではないかとも思います。

死ぬほどの病気。それが身近にあることを普段から感じていないから受け入れられない。その弱さのしわ寄せが個人のドクターを訴える事なのかなと思います。

自分の親兄弟や親戚、友人と会話をしていて感じていることですが、
普段病気と縁遠い人は死や病気は身近なものであることを感じられない、そしてたんなる風邪のような症状に実はどんな危険が隠れているか、なんて「怖くて知りたくない」と言う人がいます。
そして感染症に無頓着で、そのくせ健康っぽい事に関する話題は話すのだけは好きです。

テレビは正しいものも間違っているものも知識として与えていますが、それを取捨選択する力が今の多くの人にはありません。
ただ疑心暗鬼の心だけを持ち、それなのに正しい知識を自ら得ることはしない。

その人たちに訴えられないためには「~となる可能性があるので~な症状が出たら受診してください」と言うしかないのかなと思います。
それで「○○病院の先生にこんな怖いことを言われたけど、たいしたことなかったのよ!?信用できないわ」と吹聴されたとしても、訴訟のリスク回避にはかえられないのかなと。
訴訟はある日突然やってきますから・・・。
by 和尚 (2008-02-16 15:23) 

元なんちゃって救急医

もし、この症例で、小児科医がボルタレンをうっかり使ってしまったとします。そして、この疾患が、鑑定した医師達ですら想定できなかったとします。
ありえそうな設定です。

すると下手すりゃ、ボルタレンのせいでこの子は死んだことになりかねません。それは、いってみれば死亡の責任の押し付けです。 

まさに、時大山の死亡因果関係と同じ構図になるのかもしれません。(参考:http://blog.so-net .ne.jp/case-report-b y-ERP/20080210)

医学には、常に、未知の領域があります。だから、因果関係の判定は常に慎重であるべきだし、わからないという解を認めるべきだと思います。

診療関連死法案には、そういう思考の深みが感じられません
by 元なんちゃって救急医 (2008-02-16 15:47) 

一般人です

ほんとに正直いうと、湖で泳いで4日目という情報があっての、頭痛・発熱の初診時に、<普通>、その正解の病名を疑い、検査なりするものなのかどうかは、知りたいと思うかもしれません。
知ってどうすんのなのですが、でも、多分知りたい欲はあり、検査しないことが<普通じゃない>ことがわかったら、なんで、検査してくれなかったのとか、思うかもです。。。
恨むかもです。さすがに訴訟はないです。

まだ、教育されきれてない一般人ですね。

割り箸の件に限らないですが、マスコミが関係者の声として流すセリフは、ほとんど作ってるんじゃないかと思います。

ほんとに、おやごさんが、そんなこと言ったのかな?言葉の断片だけ拾ってつなげてるんじゃないかとか思います。
by 一般人です (2008-02-16 16:15) 

503

上にも出てますが、アメーバーでしょうか。
昔、用水路で泳いだ後、アメーバ性角膜炎になった人がいて、調べた時に髄膜脳炎もあるとの文献を読んだ記憶があります。
by 503 (2008-02-16 17:47) 

moto

なんちゃって救急医様のヒントから、ネット検索してみた結果からは、急性間歇性ポルフィリン症(Acute Intermittent Porphyria)を患児 が有していた、ってことでしょうか?
遠い昔、生化学の講義で習って覚えた疾患ではありますが、診たことはないですねー。
by moto (2008-02-16 17:49) 

ボヤキのソーシャルワーカー

和尚さんに一票です。

人間が生きている以上、危険は常に隣りあわせなんですよね。
自然の摂理に反することには限界があります。
けれども、それを自分の問題として受け入れるには普段からそういうものの考え方の訓練が必要ですし、していても、愛する家族のこととして受け入れるためには時間がかかるのもまた真実だと思います。

特に小さいお子さんを亡くされるようなケースは、本当は、こういう死に対するプロセスを支援するようなカウンセリングが必要なのかもしれませんね。
マスコミや周囲が煽るのではなく、心の内側の、後悔や悲しみや、怒りや絶望などを受け止めて向き合い、癒す時間が必要な気がします。
そして、それにはすごくすごく時間がかかるものです。
マスコミが煽ると、その作業を遅らせてしまうのではないかと心配でもあり、また現場のドクターが極端な責任追求を受けて潰されていくのも心配です。

レアな感染症などの医療知識は乏しいコメディカルですが、生活者としての視点を中心に、患者さんや家族とお話をすることを生業としているものの感想です。
by ボヤキのソーシャルワーカー (2008-02-16 18:00) 

moto

急性間歇性ポルフィリン症の神経症状は、昏睡や死にいたるほどのものではなさそうですね・・
そうすると、やっぱりライ症候群かなあ?これも、患児のもっていた体質によるわけだし・・
ボルタレンの添付文書読むと、インフルエンザ脳症が悪化する可能性がある、とも書いてはありますね。
ライ症候群が本命で、急性間歇性ポルフィリン症とインフルエンザ脳症を穴ってことにしときます。
しかし、ネットで検索できるから、答えらしいもの作れますが、現場でとっさに適切な判断は難しいだろうなあ。。
by moto (2008-02-16 19:24) 

moto

チエナム(イミペナム)で昏睡になった娘そういえば昔診たなあ・・
当時、わたし、アトピーの脱ステロイドっていう、学会から異端視されてたことやってて(たとえていうと病気腎移植みたいなもんです)、患者のニーズは多かったんで、全国から重症例の入院患者集まってきてました。
その娘、北海道から名古屋まで入院しに来てたんですが、細菌感染にチエナム点滴したら、症状は改善したけど、septic fever は残って、意識障害から昏睡になりました。入院するときは皮膚はボロボロでも、心は元気で「頑張ります!」って娘だったんで、夜中に、北海道の親御さんに「あなたがたの娘がいま昏睡状態で原因はまだよくわかりません」って電話入れましたが、あれはほんと辛かった・・
チエナム切って、熱も下がって意識も、次の日、飛行機で飛んできた家族が到着した頃には、口がきけるようになってたんで、よかったですが・・
薬が合わないなんてのは、投与してはじめてわかりますから、医者にできることは、はやく気が付いて止めることくらいです。
by moto (2008-02-16 20:37) 

偽精神科医

この裁判で無罪にもっていった弁護士先生の講演会を今日聞いてきました。なんでも、この事例は頸静脈孔を貫通して小脳に達していたとか。

① 小脳に達してたのでそもそも救命は無理
② 海外も含め、同様の文献を探したがひとつも見つからなかった

だから当然無罪。脳神経外科や耳鼻科のエライ先生に聞いたが「へぇ、そんなこともあるんですか??・・・」って反応だった。裁判でもそう証言してもらった。刑事は過失を認めたが、民事は過失を認めていない。過失を認めないので当然だ、って論調でした。
by 偽精神科医 (2008-02-16 22:34) 

キナコ

お久しぶりです。
以前別のニックネームで(tonと申します)コメントさせて頂きました。
今回は一般人の立場で思った事を・・・。

まず、どんな理由であっても大切な家族をなくしてしまったら、冷静にいられないのが医学の知識がない私達の本音だと思います。
「あの時こうしていれば」という自責の念にかられ、悲しみや辛さを誰かにぶつけたいと思うでしょう。
そのぶつける相手は診断を下したお医者様や自分自身になってしまうと思います。

「初診で風邪と診断されていたのに」と不満をぶつけてしまうのではないか・・・と。
知識がないからこそ、医学を過信して頼りすぎているからこそ、お医者様の診断に間違いがあるわけがないと思っている方が多いのでは?

一般人は人の死に関わる事はそれほど多くなく、頭でわかっていても「これは仕方のない事だったんだ」と諦める余裕がないと思います。
というか、私がそうなのですが・・・。

このブログを通して自分の考え方や物事の見方がかわり、ずいぶんと考えさせられています。とても感謝するべき事だと思います。
でも、自分の家族がもし症例のような事態になったらと思うと、正直今と同じ気持ちでいられるのかは自信がありません。

まだまだ勉強させて頂かなければいけませんね・・・。
by キナコ (2008-02-17 00:22) 

デック

ああ、、、そうか

最近は親類縁者の葬式も少なくなったんですね。
死に行く姿をみまもるなんで
病院でしか見ないしねぇ。。。

世の中の社会自体が
人とのかかわりをもてなくさせているんですよね。
by デック (2008-02-17 01:16) 

沼地

一般人じゃなくても子供を急になくしたら冷静ではいられないと思います。
そして、そういうことは昔からあったと思います。
私の亡くなった祖父は昔、離島で診療していたそうです。
それではしかで子供がなくなって、その親にものすごく恨まれて人殺しと言われてたようです。
「はしかは命定め」と言われてたように時に死んじゃう病気ですが、やはり一般には「はしかみたいなもの」という表現が使われるくらい一過性でけろりと治るものと思われていますし。
でも今と違うのは、それで島の人からの信用を無くしたりはしなかったと言うこと。
周りの人は子供を亡くした親を仕方の無いことだったと慰め、そして医者への信頼も無くさない。

今は訴訟になり、訴えられたらものすごい災難で、しかも訴えた親も子をなくしたうえに、ネット上では事故は親の責任だったとの批判が飛び交っています。
それは割り箸くわえて走るのは危ないですが、子供は一瞬の隙にとんでもないことをするもの。ひたすら運が悪かったとしか言いようが無い気もするのですが。

訴訟とか裁判とかがそもそも解決策として間違ってる気がします。
親は賠償金が欲しくて訴訟を起こしてるわけじゃないでしょうから、何が起きたのか知りたかったら裁判ではない方法で解決したほうが早く決着するような。

日本がアメリカみたいに訴訟の多い国になったら殺伐として嫌だなあ。
日本人の感性にあわない気がします。
by 沼地 (2008-02-17 01:27) 

僻地外科医

>偽精神科医先生

>① 小脳に達してたのでそもそも救命は無理

 小脳に達していたと言うより、頸静脈孔を貫いていた(抜いたら大出血、しかもバイパス不可能)というのが救命が無理な理由だと思います。
 別に小脳に割り箸が刺さっても、抜いてしまえばどうってこと無いです。

それはともかく・・・

 今日、地域医療を考える住民集会で講演し、その中に割り箸訴訟の話も少しくわえました。
 結局のところ、こういう地道な小さい単位での一般の方々への教育が問題を解決していくと思ってます。話を聞いてくれた方にも「なんで割り箸事件で医師が騒ぐのかやっと分かった」という方がけっこういました。
by 僻地外科医 (2008-02-17 01:33) 

そんなの当然

>なぜ、一部のメディアは、こんな遺族側に一方的に寄り添った感情的な>報道をいまだに垂れ流すのでしょうか?

そんなの、医療業界を信用していないからに決まってるじゃないですか。医者として社会にでるまで人に批判されたことが無いような人生を送ってきたから過剰反応してしまうのかな。

患者や家族が医者の言うことをうのみにするしかない時代がずっと続いていました。医療事故隠しや患者虐待がニュースになるようになったのはつい最近のことです。

それまでは患者が死んでも「お世話になりました」と医者に頭を下げていた遺族が、医療業界の隠蔽体質に不信感を強め、患者の死亡=医者のミスと考えてしまうようになったのは当然の結果です。

でもご安心ください。訴訟まで起こす人はごく少数。ほとんどは泣き寝入りしてます。特に地方で総合病院が1軒しかなかったりすると、いつお世話になるかわかりませんものね。

ですので、あなたたちに実害はありません。マスコミに騒がれても給料が減るわけではないでしょう?これまでどおり、癒着相手の製薬会社が進める高い新薬をぶすぶす注射しちゃってください。
by そんなの当然 (2008-02-17 09:44) 

通りすがり

はじめまして

でっかい字で報道が伝えないことを伝えたいって言ってもなんちゃって救急医さんのやってることは、マスコミを否定しているだけだと思います。どの記事を読んでも言ってることはぜんぶ医者が正しくてマスコミがまちがってるということだと思います。医者がまちがってたこともあると思います。経験者です

上の人の書き込みを見て思い切ってコメントしました。変なこといってすみません
by 通りすがり (2008-02-17 10:00) 

僻地総合病院勤務経験のある麻酔科医

時間外にこのような患者が来たときに自分がやることは、解熱剤の座薬を入れて、点滴をする。点滴終了時に解熱できれば、翌日小児科受診を勧めて帰宅させる。症状が改善しなければ、オンコールで小児科の先生を呼ぶかな。
上記の書き込みにある「医者もまちがってたこともある」ですが、そのとうりですよ。「医学には未知の部分がある」ということは、当然結果的に間違うことがあるはずです。ただ、なんちゃって救急医先生は「医者が間違っていたこと」が過失に当たるものなのかどうなのかを十分に検討もせずに、医者を悪者にする報道が間違っていると言っていると思うのですが。いかがでしょうか?「医者が間違っていたこと」が十分な過失に当たる場合は、なんちゃって救急医先生も間違っていた医師を非難すると思うのですが、どうでしょう?
by 僻地総合病院勤務経験のある麻酔科医 (2008-02-17 10:28) 

医者でも何でもない一IT技術者

結局のところ普通の人たちが、医者も同じ人間だと思えないところに問題の深さがあるのだなと、上の2つのおもしろい書き込みを見て感じました。

「マスコミを否定ばかりしている=医者がすべて正しいと主張している」 という風に考えている人は少数派だと思いたいのですが、きっと一般的な人はそういう風に受け取ってしまうんですね。論理学からやり直せと言いたいところですが。(NOT ALL)=ANYなんですけどね。

医者が信用できなければ医者にかからなければいいだけの話で、勝手に病気で苦しんで死ねばいいんじゃないでしょうか。どうして医者をいちいち恨むのかは理解の範疇外ですね。助けてほしいなら、素直に技術のある人に尊敬の念は持つべきです。文句があるのなら引っ越せばいいじゃないですか。

自分はコストを払わずに、相手に変わることだけを望むのは幼稚すぎると思うんですよ。そしてその理屈からいくと、お医者さんも文句を言わずにアメリカに行くのがいいんじゃないでしょうか。その方がきっとお互いにコストが最小になって幸せですよね。文句を言っている患者さんも文句を言わなくてすむし、さっさと死ねるし。みんなハッピー。

と悪のりしすぎですが、現実にそういう選択をお医者さんたちにされてしまうと、困るのは誰なんでしょうかね。。。そういう想像力が欠如していると思います。
by 医者でも何でもない一IT技術者 (2008-02-17 11:18) 

沼地

う〜〜ん、医者対患者っていう図式自体もちょっと違うと言うか。
患者っていうのは病気をしたらなるわけなんで、医者も含めて全ての人が患者になる可能性があるわけで。
私の同級生なんかも自分の子がものすごい下痢のときど〜しよう〜??って取り乱して、ダンナ(医療関係じゃない人)に落ち着けお前は医者か??って言われたそうですし。(笑
私も自分の子が赤ん坊の頃は風邪なんかでぐったりすると大慌てで小児科の同級生やら、兄(内科小児科開業医)に電話したりしましたし。
患者にとって良い状況は医者にとってもよい状況だと思うんです。

そんなの当然さんが書かれているのは疑心暗鬼を生む状態ですよね。
一般人には知識がないからごまかされているような気がすると言うのは判ります。
これはネットの普及でかなり改善されてくるんじゃないでしょうか?
ただしネット上で見かけた目新しいけどあやしい治療法などに飛びつくなど新しい問題も生じているとは思いますが。

私の勤務先には患者さん用の図書館があります。
患者さんにも病気のこと治療のことを理解して、医療を受けて下さいという方向みたいですが、ふつうの病院で患者さんのほとんどが
地元のお年寄りなので、これもある意味きついなあと思ったり。

勤務先で見かけた光景ですが、80歳を過ぎた女性が外科の先生に手術を薦められた時「私はもうこの年齢ですけど、私があなたの母親だったら、なんとおっしゃるかしら?」とお聞きになり、外科の先生はにっこり笑って「あなたが私の母親なら、がんばれっていいます。」と答えてました。
このかたは問題無かったのですが、もし術後に足腰が弱って手術しないほうがよかったかなと思っても、外科の主治医を恨んだりは無かったろうと思います。

やっぱり救急医療の場、医師と患者の間に信頼が生じるための時間が足りない修羅場というのが辛いですね。
by 沼地 (2008-02-17 11:57) 

北国QOML研修医

≫そんなの当然さん
「ですので、あなたたちに実害はありません」

実害ありまくりです。日本の医療は医者のサービス労働、「やる気」に支えられています。もし、医師全員が労働基準法に準拠したら、日本医療は一夜で崩壊します。

そんな医師たちの士気を、マスゴミどもは強烈に削いでいきます。
「本当に悪意のあるミスかどうかわからない」「自然死かもしれない」事故を気軽に、
「医者は金もうけしてるのに人を殺す悪者です」と、報道することによって。

また、故意でない医療者のミスを「犯罪」「刑事罰」「賠償」と考える、世界でも類をみない集団リンチの「ムラ社会」気質、法律によって。
医者になって、日本社会の粗野・野蛮・陰湿な面をひしひし実感しました。

それで、だれが自分の身を削ってまで働くかって。基準法のお役所dutyでしか、もう仕事しないよ。医者は聖職?俺も家族がいるんだ、甘えるな馬鹿。

まあ、もうどんな対策も無意味。
マスゴミにだまされた上コメントのような国民はかわいそうと思いますが、崩壊は止まらないと思いますので、せいぜい御自愛ください。
by 北国QOML研修医 (2008-02-17 12:27) 

なな

>崩壊は止まらない

だったら医者も患者もともだおれ?
by なな (2008-02-17 12:42) 

非医療者

確かに、そんなの当然さんの言われることも、わからないでもありません。

私も、自分や家族が入院して実際の医療現場を見るまでは、マスコミで批判されているようなステレオタイプの「医者」像を持っていました。
数年前のS県某医大の医療過誤(?)隠蔽報道とか、決定的に印象的だったHIV訴訟事件の故阿部英医師のこととか、影響大きかったですね。
厚労省に対する不信感の方が、数倍強いですが。

世間の人も大体似たようなところではないでしょうか。

でも、私の場合、現場の先生方の姿とか、ドクターズブログやNETから得る情報で、そうしたイメージが変わってきました。

完全な患者が居ないように、完全な医者もまたいないのだと思います。
少数の「悪意ある事故」(?)をもって全体を測るのも、医者対患者という図式でいがみ合うのもナンセンスです。

医療が崩壊しようとしているのも現実ですし、崩壊したら国民が困ることも事実です。ならばともにそうならないような方向に歩んでいくことが望まれることだと思います。
自分でも微力ながら何かしたいと思っていますし、同じように考えている患者側の人もいるのではないでしょうか。

それにしても、マスコミが医師たたきをして何かメリットがあるのでしょうか。
売上部数が伸びるとか、そんな単純な理由だけでやるほど、彼らも愚かではないと思うのですが。
by 非医療者 (2008-02-17 14:59) 

普通の市民

私もいがみ合うことはナンセンスだと思います。

勝手に病気で苦しんで死ねばいいとか、だれが身を削ってまで働くかとか、そういう言動は問題解決のマイナスにしからないと思います。

私は幸い、これまで救急にかかるような病気や事故に遭ったことはありません。ですから実体験ではなにが真実かわかりません。

普通の市民ですから、マスコミ情報は客観性と確実性がある、ブログとかネット情報は数ある意見のひとつ、というふうに素直に考えています。このことをマスコミにだまされているとか言われるのは心外です。

この前、朝日新聞の連載で救急医療の現場がどれだけ大変かという記事を読みました。ネット上でも話題になっているので私のような凡人にも問題が少しわかってきました。

こういうマスコミもあるのに、マスゴミとか商業主義とか決め付けてバッシングするのは、マスコミの医療バッシングと同じことではないですか。

長文失礼しました。
by 普通の市民 (2008-02-17 15:22) 

s

言い訳を探しているお医者様ですね。

確かに報道のあり方は問題があると思います、でも貴方の文章を読んでいると、愚痴を聞いている感じになります。
by s (2008-02-17 16:56) 

非医療者

あの、誤解されないように念押しですが、私は医療者を揶揄する気持ちはありません。
なんちゃって救急医先生のブログを愚痴とも思いません。

私自身、現場の先生方の比ではないですが、過労が重なり、体だけでなく精神も段々と余裕が持てなくなり壊れていく過程を経験しましたので、
縦しんば愚痴であったとしても、同様な経験のない人が、現場でしんどい思いをしている人のことを簡単にあれこれ言うのは、どうかなと思うのです。

医師という職業は、世間から望まれる人格的要求ラインが高いということかも知れませんが。

某先生のブログのコメント欄で、
「訴訟になっても裁判で医療の是非を判断するのは医者、マスコミには医学的判断をする能力も資格もない」という主旨の書き込みがありました。
マスコミは、わからないから余計に不信感が増すのかも知れませんね。
そして、最近のマスコミは何だかよくわかりませんが、「弱者=善人」「弱者救済=正義」みたいな価値観で動かされているようなので、変な使命感で動いているのかも知れません。

ならば、是正する可能性も探れるように思いますが、マスコミの「医者たたき」の心理は実のところよくわかりません。
どなたか、メディア関係者の方がいたら、教えていただきたいところです。
by 非医療者 (2008-02-17 17:39) 

moto

前に「診断とは確率である」ってあたりのコメント欄に書かせていただきましたが、論理として正しいことが、受け入れられるとは限らないんですね・・

論理ってのは、展開すればするほど、「言い訳」っぽく聞こえます。

読み手の側の問題ではありますが、どう読もうがその人の自由ですからね。論理展開など無視して、文学的・情緒的に読んだっていいわけです。

医学論文ってのは、数式は出てこないですが、徹底して文章のもつ論理面のみで書かれます。文学的・情緒的な表現は忌避されます。
しかし、マスコミの文章ってのは、文章の持つ文学的・情緒的な面を上手に使いますからね。
その辺が、わたしたち、医者がマスコミの文章を嫌う大きな理由で、そこんとこの事情を知らないと、医者が感情的になっているように読めるのだろうな。

なんちゃって救急医先生の文章は、論理面では非常に緻密で数学的ですが、喜怒哀楽がはっきり現れる、情緒面では、ある意味幼稚です(失礼)。
しかし、わたしたち医者は、文章のもつ情緒面を、基本的に排して読む癖がついてますからね。そこで、医者と一般人との評価がわかれるかもしれないですね。
by moto (2008-02-17 17:58) 

社会の仕組みが少しづつわかってきたSW

取材を受けた立場から。
福祉の現場で働いています。
私の担当する対象者の方との訪問風景とかの取材受けました。
担当記者に、社会福祉の考え方として、対象者とあたしの関係は対等で
あること、自立支援ということを念頭に、社会資源を紹介して在宅でできるだけ生活できるようにお互いに考えていく、などとお話をしてある、ニュース番組の取材はスタートしました。そして出来上がった番組は、気の毒な対象者を援助者が助けている。といったものでした。考え方が違う、と、抗議をしたところ、「視聴者は難しいことを望まない。簡単なほうがいい。」という返事。
これをきっかけに、当時学んでいた大学で「メディア リテラシー」についての授業を受けました。実際番組を作る立場になると、背後にスポンサーがいて番組が成り立っている。よって、要視聴率。番組が高く売れる。ということなんですね。ニュース番組も、番組にエントリーするのも現場の人。私利ありまくり。なーんだそうだったんだ。もちろん、倫理をもって番組を制作していらっしゃるかも知れませんが、生活かかっていたりしたらどうなんでしょう。私を取材をされていた記者さんは、社会福祉について理解されようとしているとは思えませんでした。根本から変なニュースでした。
それから、私は、本当はどうなんだろうってニュースを見るようになりました。
by 社会の仕組みが少しづつわかってきたSW (2008-02-17 18:18) 

風はば

>非医療者さん
>医師という職業は、世間から望まれる人格的要求ラインが高いということかも知れませんが。

以上のコメントは、かつての医療者に対する一般の方の考え方です。たとえ不幸な転帰を辿ったとしても、精一杯診療すれば、「ありがとうございました」という言葉が自然に出てきた、昔の良き映像です。根底に流れているのは、医師に対する性善説ではないかと思います。私は医療従事者ですが、我々の先輩達は、それに良く答えていたので、自然と信頼関係も構築できたのだと思います。


>数年前のS県某医大の医療過誤(?)隠蔽報道とか、決定的に印象的だったHIV訴訟事件の故阿部英医師のこととか、影響大きかったですね。

しかし近年の医療報道により、医師に対する一般の方の考え方が変わりつつあります。平たく言えば、性悪説。疑心暗鬼の目で医師を見るように変化しました。「ミスがなければ何故死んだのだ!」という台詞はその際たるものではないかと思います。
医師に対するイメージが変化したのは、医師に対するnegativeな報道ばかりが目に付くようになってからだと思います。

非医療者さんは、現在の医療の取り巻く環境、状況をよく理解して下さっているのではと思います。そのような方が増えてきて、今の医療の現状が改善できていけばと思います。
by 風はば (2008-02-17 18:43) 

atmos

いつも楽しく読ませていただいています。僕は医学部の5年生で現在usmleの勉強をしています。usmleの問題だったら、「湖」と「死亡」だけで即答でNaegleria fowleriですね。驚異的な致死率の寄生虫であり頻出問題なので、向こうでは有名だと思いますが、日本にいるかどうかは知りません。
by atmos (2008-02-17 20:30) 

元なんちゃって救急医

>和尚様

『それを取捨選択する力が今の多くの人にはありません。』

このご指摘は、私も危惧しているところです。
その危惧から、私のメディア報道に対するブログ上での立ち位置につがっています。(キーワード:メディア リテラシー)

一対多でのブログコミュにーケーションでなら、ある程度の効果は見込まれるかもしれません。

しかし、ネット上(匿名下)で一対一コミュニケーションでは、その限界性から難しいかもしれませんね。
by 元なんちゃって救急医 (2008-02-17 20:59) 

rio

こんにちは。

割り箸訴訟の件、提訴当時からずっと紙面や映像にふさわしいニュースではないと考えています。TBSのニュースだけを見た人は医者が殺したように受け取りますね。ほんとどうしようもないテレビ局です。はやくつぶれればいいと思います。

それはさておき、医療関係者の方々に考えていただきたいのは、なんでこんなどうしようもない裁判が起きてしまったのか、という点です。マスコミに煽られているから、遺族がばかだから、そのような一方的かつ稚拙な理由ではありません。

子供が割り箸をのどに刺してしまったのは、綿アメを食べながら歩かせていた親の過失です。国によっては親が書類送検されかねないレベルの重大過失です。さらに不運なことに、治療を受けた際の診察が結果的に不十分で、児童は死亡に至りました(この点の医師側の過失の可能性は刑事と民事で判断が分かれました)。

事実がこれだけなら、私の勝手な推測ですが、親は提訴までは考えなかったと思います。過失で子供を死なせてしまった責任を一番感じているのは親でしょうから。

しかし、提訴に至ってしまった。その理由が、訴状(既報)で以下のように示されています。

>○○ちゃんの死亡後、CT検査で頭がい内に割りばしが残っ ていたことを知っていたのに、「先天的に異常があったのかもし れない」と説明したり、「助かっても植物状態になっていただろ う」と配慮のない発言をしたりして、精神的苦痛を与えたとして いる。

言った言わないの議論をしたいのではありません。結果的に、病院側の対応が親に強い不信感を与え、無謀な訴訟へと向かわせてしまったという点を指摘したいのです。

病院側の対応が、死因は割り箸が脳に達したことであると最初から説明し、同時に、診察・治療で防げる類の出来事ではなかったという点を丁寧に説明していれば、親はもがきながらも、少しずつ我が子の死を受け止めていけたのではないでしょうか。

遺族のコメントからは、医者/患者・遺族を悪/正義になぞらえてしまっている印象を受けます。こうなると人の心をほぐすのは非常に難しい。

提訴からここまでにいたるプロセスでは、マスコミが重大な役割を果たしていることは明らかです。しかし、すべては病院側の対応から始まっている話です。その点を抜きにしてマスコミの報道姿勢のみの批判を展開しても、意見の異なる人への説得力は生まれないと思います。
by rio (2008-02-17 22:55) 

元なんちゃって救急医

>rio様

お久しぶりですね。夏のやりとりを思い出しました。

「信頼」というのは、本当に難しいですね。
信頼関係を構築する因子は多因子で、
・・・だけと断定できるものはないでしょう。

福島大野病院の裁判経過を見る限り、病院の初期対応と謝罪だけでは、医事紛争は解決しないという印象も受けます。
by 元なんちゃって救急医 (2008-02-17 23:16) 

元なんちゃって救急医

>そんなの当然様

コメント欄に活気をくださいました。ありがとうございます。

あなた自身が抱く医療への「不信感」
それをあなた自身が、自ら見つめ考えてみてください。

「不信感」を抱く、抱かない 

は、あくまで、あなた自身の選択です。
他者に決められるものではありません。

以上が、私の考えです。
この私の考えに基づいて私の記事は出来上がります。

私は、多くの人に自ら考えてもらえるきっかけとなる選択肢の一つを提供したいとおもっているのです。

ですから、マスメディアがすでに提示する情報を追加するというより、かれらが提示しない部分で自分が専門家として気がつける部分を、ブログとして発信しているだけです。
by 元なんちゃって救急医 (2008-02-18 06:54) 

とおりすがり

>>なんちゃって救急医さま
自分が専門家として気がつける部分を、ブログとして発信している

>>僻地外科医さま
地域医療を考える住民集会で講演

このようなドクターのご努力に、本当に頭が下がります。
私は非医療者ですが、このブログほか医療系ブログで学ぶことしきりです。患者も家族も勉強することで、不確実性が少しでもなくなり(先日の投薬記録もそうですね)、次世代以後の医療の発展と人々の健康を願います。

義理の母が下肢静脈瘤手術後に肺血栓で死亡しました。当時は(今でもわずかながら)他の心疾患と誤診して、初期治療を間違ったのではないかという疑問をもっておりましたが、数年前に血栓閉塞予防ガイドラインができたというテレビを見たことがあり、死もむだではなかったと、今では思います。
by とおりすがり (2008-02-18 11:37) 

uuchan

エイズに伴う日和見原虫感染症講習会(2月16、17日)で、脳アメーバは本邦で3例報告されているのみと教わりました。糞便からアメーバが検出されたのみではhistlotycaかjasperか区別がつかない(組織に侵襲するのはhistolotycaのみ)とのこと。こんな疾患を救急で診断するのは、無理というか時間がかかると思います。
by uuchan (2008-02-18 11:42) 

bamboo

rio さんへ

CTで分かったのは、血のかたまりである血腫が頭蓋内の底のあたりにあったことだけで、割り箸は分かりませんでした。割り箸が刺さっていたことが分かったのは解剖したからです。

若年者の頭蓋内血腫の原因として、(先天性の)脳血管動静脈瘻という病気があり、その可能性もあるという説明をすることはおかしくありません。また、解剖結果を見れば、植物状態どころか救命の可能性さえほとんど無いことも本当のことです。

rio さんは、どのような説明だったら良かったと思いますか。
なるほどと思えるようであれば、是非参考にしたいと思います。
by bamboo (2008-02-18 15:57) 

bamboo

動静脈瘻→動静脈奇形です。訂正いたします。
AVMを日本語で言うことなど無いので、間違えました。
平にご容赦。
by bamboo (2008-02-18 16:05) 

fuka_fuka

rio さんのコメントには、仮定が一方的に偏っている点があるように見受けられます。

> 医療関係者の方々に考えていただきたいのは、なんでこんなどうしようもない裁判が起きてしまったのか、という点です。

私の見て回っている限り、ネット上でブロガーやコメンテーターとして活動されている医師の多くが (というか全員と思いますが) 、このような裁判が起こる原因について考察されていると思います。
rioさんに言われるまでもなく、rioさんの想像よりはるかに深く、真摯に、かつ正確に。


> マスコミに煽られているから、遺族がばかだから、そのような一方的かつ稚拙な理由ではありません。

rio さんのコメントに対する最大の疑問は、なぜこのような断定ができるのか、です。
遺族側・病院側それぞれに対して裏はとったのでしょうか?
(なお、このブログ内でもどこでも、「遺族がばかだから」 と書いている意見は見たことがありません。相手方の意見を恣意的に捏造する癖は相変わらずのようですね)

> 事実がこれだけなら、私の勝手な推測ですが、親は提訴までは考えなかったと思います。

とお書きなので、独自の調査は何もしていらっしゃらないだろうと思われますが。
にもかかわらず、

> 結果的に、病院側の対応が親に強い不信感を与え、無謀な訴訟へと向かわせてしまったという点を指摘したいのです。

> しかし、すべては病院側の対応から始まっている話です。

と、病院側の対応が原因と断定されています。その推測は合理的でしょうか?


> 死因は割り箸が脳に達したことであると最初から説明し、同時に、診察・治療で防げる類の出来事ではなかったという点を丁寧に説明していれば

という点についても、病院側がそのような対応・説明を し て い な か っ た 事実はどのように確認されたのでしょうか?
私は、遺族の言い分を見ても、 “病院は、どんな親であっても不満を感じるような不十分な対応・説明しかしなかった” という確信をもつことができません。

なお、「最初から」 の点ですが、病院が最初に遺族に対応をしたのは、司法解剖の前です。
割り箸はCTでは映らず、司法解剖によって初めてその存在が判明したものであり、診察した医師も病院側も、割り箸が刺さったままだったという可能性は司法解剖前には認識していなかったとのことです。


> 「先天的に異常があったのかもしれない」
> 「助かっても植物状態になっていただろう」

病院関係者からこのような発言が 仮 に あったとしても、そのやりとりの全体像が見えない限り、そのような発言が 「配慮のない発言」 かどうかの評価は困難と思います。
自分にとって受け入れがたい説明であれば、どんなに科学的・医学的に根拠のある事実や推測であっても反発を覚えるという心理状態は、医療関係者の方であれば多くの実例を目にされているところだと思います。

なんちゃって救急医さんの書かれた

> 病院の初期対応と謝罪だけでは、医事紛争は解決しないという印象も受けます。(2008-02-17 23:16)

との文も、表現は丸めていらっしゃいますが、同趣旨と理解しています。


> 親はもがきながらも、少しずつ我が子の死を受け止めていけたのではないでしょうか。

この推測は、冷静に考えられる状況にある人間による希望的観測(空想)にすぎないと感じます。


結局のところ、私の見聞する範囲では、「病院のまずい対応こそが遺族の被害感情を悪化させた原因である」 という可能性以外に、以下の可能性が払拭できません。

・病院側の対応が、遺族感情への配慮という点でも世間一般の要求水準を満たしていたにもかかわらず、遺族の不満は解消されなかった
・病院側の対応はそのような水準に満たないものだったが、遺族は、十分な対応をされていたとしてもなお本件提訴に至ったであろう心理状態であった


> すべては病院側の対応から始まっている話です。その点を抜きにしてマスコミの報道姿勢のみの批判を展開しても、意見の異なる人への説得力は生まれないと思います。

前半部分はすでに述べましたが、後半部分にも問題があると思います。

「抜きにして」 という批判が妥当するのは、「病院側の対応は適切でありまったく問題はなかった」 ということを前提にした意見に限られるのではないでしょうか。
その点を保留にしても (というか、安易に「問題はなかったはずだ」と決めつけている医療従事者の意見を見た記憶がありません)、つまり病院の対応がどのようなものであったとしても、なお妥当するマスコミ報道のありように対する批判というものは十分ありえます。

そのような批判に対して、説得力を感じるかどうかは、受け手に委ねられる問題でしょう。
ものごとを是々非々で考えることのできる一般人は、rioさんが思っているよりも多いと思いますよ。
rioさんの言う 「意見の異なる人」 とは、結論を変える意思のない人、の意味ではないでしょうか?


多少 耳 障 り な意見かもしれませんが、お目通しいただけましたら幸いです。
(前回同様、特にお返事は期待しておりません)
http://blog.so-net.ne.jp/case-report-by-ERP/20070831
by fuka_fuka (2008-02-18 21:09) 

勤務医です。

うああ、勉強になります。
髄膜脳炎で 原因不明のことは ときどきありますが、
湖で脳髄膜炎 ときたら Naegleriaを考えないといけないのですね。
今の医学生は偉いなあ。。。
CDCの一般向けの注意でも 夏に 淡水 川、湖、管理・消毒の不十分なプール、温泉とあって、いろいろと注意しなければならないことが多いのはまちがいなしですね。
温暖化で増加の懸念 とも。

1996年の久留米の症例は 11月で 真夏でもないし 女性事務員で 作業員でもないわけで 感染経路不明というのが なんとも 言えず、ミステリーです。(Pathol Intの論文を入手すべきなのでしょうが。。)
剖検できていない死亡例では 原因不明のままになってしまう可能性が高いので、実は日本でももっと多いのかもしれません。

医中誌から最近の抄録ありのものを見ますと、

掛け流し式温泉における微生物生息状況
宮城県保健環境センター年報 (2006.11)の抄録の一部ですが、
「・・・アメーバは8浴槽36%から分離され、レジオネラ属菌の宿主となるHartmanellaやNaegleriaが大半を占めていた。その他、大腸菌、黄色ブドウ球菌、緑膿菌等も検出され、循環式温泉と同様に感染の危険性はあると考えられた。」

温泉水等温水環境における病原微生物実態調査 Legionella及びNaegleria
京都府保健環境研究所年報(2004.03)
「京都府内における温泉水,公衆浴場浴用水,社会福祉施設浴槽水,旅館浴槽水等に係る温水環境の実態把握を行い,・・・・・Legionella属菌を42%の施設から検出し,L.pneumophilaが86%を占めた.アメーバ類は調査施設の39%から検出した.遊離残留塩素が0.1mg/l以上の試料の中では,Legionella属菌が90%,アメーバ類が97%不検出で,塩素消毒の効果が見られたが,それ以上の濃度の遊離残留塩素があっても検出された場合があった」

公衆衛生では しっかり注意していかないと いけませんね。

アメーバの中枢神経感染といったら histolyticaの脳膿瘍しか知らなかったので 本当に勉強になりました。ありがとうございます。
by 勤務医です。 (2008-02-18 21:45) 

勤務医です。

追加です。

histolyticaについては 2007年の「脳神経外科」に
脳膿瘍の 救命のみならず 回復例が 報告されています。
メトロニダゾールの経管投与と 手術・ドレナージで有効だったようですが、
すごい。

Naegleriaは 一応 amph Bなどの抗真菌剤なのですね。。。
by 勤務医です。 (2008-02-18 21:50) 

rio

>fuka_fuka さん、力作ご苦労様でした。医療関係者でもないのにわざわざありがとうございます。

精読いたしましたが、私個人への嫌悪感から発せられた不毛な書き込みという以上のものを得ることはできませんでした。

感情に流されて意見を悪意的に読むことしかできないのであるならば、それはなんちゃって救急医さんが記事で引用されたTBSの姿勢と同類です。社会的に成熟した対応を心がけられるよう望みます。
by rio (2008-02-19 07:09) 

moto

>rio様>fuka_fuka 様

横から失礼いたします。
なるべく論理的にまとめるために、訴訟がおきる要因として、2×2の表をイメージしてみてください。
横は、医療側の要因で、「責任(過失)なし」「あり」。
縦は、患者(遺族)側の要因で、「病院側の対応良ければ訴訟を起こさなかった」「病院側の対応がどうであっても訴訟を起こした(思い込みが強い、または悪意)」。
rio様の論にfuka_fuka 様が反論しているのは、このケースが「病院側の対応良ければ訴訟を起こさなかった」群にあたるのではないか?という推量をしておられるが、そこに根拠はあるのか?という指摘だと思います。

医療にかぎらず、クレームというのは、この2×2表のような分類ができると考えられます。「病院側の対応がどうであっても訴訟を起こした」という群はたしかに存在しておりまして、それは、デパートの売り子でもマクドの販売員でも、接客に携わる方は誰しも覚えのあることと思います。
そしてそれは、医療側の「過失あり・なし」とは別の話だということでもあります。

マスコミの報道というのは、、「病院側の対応良ければ訴訟を起こさなかった」群を、「病院側の対応がどうであっても訴訟を起こした」群へと、移行させる、あるいは後者をさらに確信させる効果があるのではないかという危惧を、わたしたち医者はいだくのですが、これも危惧であって、証明されたことではありません。人間の心理というのは頑強ですから、意外と影響少ないのかも・・しかし、わたしたち医療者側は確実に記事を読んでイライラしますので、医療者の精神衛生を損ねて、意欲を削ぐという意味ではマイナスです。これは間違いありません。
もっとも報道には、知る権利を満たすという好作用がありますから、医療者のイライラなど、取るに足らない副作用だと考えれば、それまでですが、それによって、医者が現場から立ち去り、医療が委縮するところまでいくと、副作用のほうが問題となってくるわけです。
by moto (2008-02-19 09:09) 

通りすがりの一般人

>fuka_fuka さん

私も一般人でここをROMしている人間ですが、rioさんは以前にも一度登場されています。その時も、まともな反論はまるで無く、ただ相手の態度を切り捨てておわっています。これが典型的なマスコミ人とは思いたくないですが、反論すらできない人とは会話は成り立たないと思いますよ。
by 通りすがりの一般人 (2008-02-19 11:07) 

rio

>moto様、論理的に斟酌してくださってありがとうございます。

まず、長い前置きです。

私は管理人様の17日追記の最後に書かれた文章に共感し、コメント欄で医者対患者、医者対マスコミの二項対立を煽るような書き込みを見て違和感を感じたため、今回の意見を投稿しました。

法治国家である以上、落ち度がゼロでも訴訟で被告になる可能性は誰でも持っています。これは社会的リスクの範疇ですから、この点について不満を言っても(言うのはもちろん自由ですが)ナンセンスだということについてはご同意いただけると思います。

訴訟関連でマスコミが動くのは、提訴後(あるいは、提訴が確実になった段階)です。その時点で共同記者会見、あるいは家族が信頼しているマスコミへ記事化を依頼、という方法でスタートします。

マスコミには、訴訟へと患者家族の後押しをする業務上の必然性はありませんし、倫理的にもしてはならないという共通理解があります。moto様の書かれた「移行させる」「確信させる」効果を持っているのは患者家族から相談を受けた弁護士です。ただし、それは弁護士の仕事の一環ですから、いたずらに批判されるべきではないと思います。

そういうプロセスを経て始まった訴訟(医療に限らず)について、マスコミ報道は管理人様が批判的に引用されたTBSの例をはじめ、玉石混交です(マスコミだけでなく、「玉」だけでできている分野はないと思います)。

ですから、「マスゴミ」や「病気になって死ねばいい」などのコメントのように感情的に否定することから出発するのではなく、管理人様のように専門家の立場からその「石」の部分を正そうとされる活動が非常に重要であることについてもご同意いただけると思います。私個人は、そうやって「石」が淘汰されていくという期待も持っております。

ここからやっと本題ですが、医者、マスコミ、一般人の区別無く、いま私たちが真摯に考えるべきは「どのように死を受容するか」という点だと思います。

医者のように専門知識をもって死と日常的に向かい合っている層はごくわずかです。専門知識のない人間に我が子の突然死という災厄が降りかかった場合、「死」を知らない現代では、親のとる行動は、自分を責めるか、他人を責めるか。この2つしかないだろうと思います。

その際に、「このケースは誰も責められるべきではない」と専門的に判断し、遺族に納得させられるのは医者だけです。言い換えれば、それも含めて医者の仕事なのだと思います。

bamboo様は「どういう言い方ならよかったか」とあっさりお尋ねになりましたが、「ではこれでどうですか」と勧められるような簡単なものではありません。自分にとって、相手にとって、「死の受容とは何か」を突き詰めて考え、人格をかけて問い続けることで、その人なりの答えが見えてくるのだと思います。なお、医学的に「本当のこと」を伝えるのは医者の義務ですが、タイミングや表現が重要であることは医師の方々はよくご存知だと思います。

「医師にはそんな時間はない」という声が当然予想されますが、それは医療行政に関わる問題点で、本題とはずれるので省きます。

ここからは割り箸訴訟に限った話ですが、
訴状(これは「事実」ではなく、患者の言い分を弁護士が文章化したものですが)からは、割り箸が脳に達している事実を病院側が把握した後に、「~の可能性がある(あった)」と説明したように読めます。

雑誌報道などによると、当該病院は遺族が頻繁に通っていた病院であったそうです。遺族側が病院を強く信頼していたことは想像にかたくありません。しかし、病院側の対応が精神的苦痛を緩和する=死の受容をサポートするものではなかった、だから遺族は病院と戦うことを心の支えにし、ついには正義VS悪などというところまでいってしまったのだと想像します。もちろんこれはわたしが報道を通して感じたことですから「証明」はできません。

以上、もってまわった長文になってしまい失礼しました。moto様のように論理的に読んでくださる方ばかりならもっと簡潔にお話できるのですが。ご推察、ご容赦ください。
by rio (2008-02-19 14:53) 

僻地外科医

本質的な間違いがありますので一言

>その際に、「このケースは誰も責められるべきではない」と専門的に判断し、遺族に納得させられるのは医者だけです。言い換えれば、それも含めて医者の仕事なのだと思います。

 これは医師の仕事ではありません。あえて誰かの仕事であると言うならば教育と日本では廃れてしまった宗教の仕事です。時間があるなしにかかわらず医師の仕事ではありません。
by 僻地外科医 (2008-02-19 16:06) 

いつもはROM専

なんちゃって救急医さんへ
いつも興味深い話をありがとうございます。
このような荒らしに反応することをお許し下さい。

>RIOさん
書いている内容の一部のみは立派ですが、いつも同じ手法でえげつないです。
他のブログでもやっているようですが・・・
「にぎわっているコメント欄の最後の方に、ブログ主が見ていない時に主張を書く」のは汚いやり方だと思います。
しかも、他の方のコメントは毎回無視。本当にマスコミ関係の方なのですか?
返事はいりません。もう少しやり方を変えたほうが良いのではないでしょうか。

初投稿がこんなものになるなんて・・・
by いつもはROM専 (2008-02-19 16:20) 

moto

小児救急シムのPALSを先月受講したのですが、成人のACLSといくつか異なっておりまして、そのひとつに、「子供の死を受容させるための医師のふるまい」というセッションがありました。

たしかに、同じ「死の受容」でも、後期高齢者や、自分自身の死の受容の問題と、子供の死を親に受容させる問題とは、まったく異なるのかもしれません。
小児科の先生であれば、そこを心得ていたかもしれないが、割り箸のケースでは耳鼻科ドクターであったがゆえに、そこが甘かった?
「死の受容」を考えるあるいは議論する際にも、場合わけをしないと、誤解のもとかもしれないですね。

とにかく、子供の死を受容させるにあたっては、少し訓練がいりそうな気はしました。PALSの例では、「手術室から出てきて、子供の血のついたままの術着で話をしない」とか、「服を着替えて、別室ですわって、子供は苦しそうではなかったことを強調しながら話を進める」とかいう感じでした。
by moto (2008-02-19 17:01) 

元なんちゃって救急医

>いつもはROM専 様

>このような荒らしに反応することをお許し下さい

ご丁寧なコメントをありがとうございます。
私は、皆様方のコメントをいつもありがたく拝見させていただいてます。

rio様は、いわゆるネット用語の「荒らし」に該当する方でないと私は思っています。私達医療者とは違う視点を私達に投げかけてくれる方であり、大事なコメンテーターの一人であると私は考えています。
by 元なんちゃって救急医 (2008-02-19 17:24) 

一般ピーポー

>僻地外科医さん

<これは医師の仕事ではありません。あえて誰かの仕事であると言うならば教育と日本では廃れてしまった宗教の仕事です。時間があるなしにかかわらず医師の仕事ではありません。>

こちらのコメントは僻地外科医さんの本音なのでしょうか?
私としては本音は別にあり、この書き込み時は単に感情的になっていた、或いはrioさんに対しての不快感から出ただけのものだと思いたいです。

しかしこれが僻地外科医さんの本音だとすれば、私(達?)一患者としましては非常に恐怖です。

状況を専門的に判断し、患者、親族、遺族等に納得させる事ができるのは教職者か宗教家?

彼らに医師と同等の医学の知識や経験があるとは思えませんが…。
逆にそれがあるなら医師は不必要という事になりませんか?
自らを否定なさらないで下さい。

患者にとってはこのご意見はinformed consentさえも全否定しかねない、患者はラットと同じ扱いで良いと宣告されたに等しいやるせなさを感じます。

医師の方々は文章を読むにしても情緒的部分は排除し、あくまで論理的に読もうと務めてらっしゃる。
これは職業の性質上、非常に重要な事だと思います。

しかし獣医でない限り、医師の"飯のタネ"は我々人間の患者であるという事を、それがどういう事かという事を、決して瑣末に考えないで頂きたい。

患者の多くは治療の成否と同等か、或いはそれ以上に先生の人間性の豊かさを求めています。

お医者様とは論理と情緒、この二つの相反する人間性を持ってこその"先生"だと思うのですが…。
by 一般ピーポー (2008-02-19 18:23) 

元なんちゃって救急医

>一般ピーポー様

人は、日本語という記号を解して、その人なりに様々な受け取り方や感情まで含めた反応があります。

だから、僻地外科医先生が、この文章の背後に持っておられる意図と
一般ピーポー様が、僻地外科医先生の文章(=記号)から、お感じになったことと大きな開きがあるんだろうなと私は感じました。

だから、私なりに、僻地外科医先生の意図を組み込んで(=私の推定にすぎません)、一般ピーポー様に、より(医療者側の)意図が伝わるように、少し努力して、私なりに書いてみます。

<遺族に納得していただくというプロセスは、医師だけの仕事ではありません。いや、皆様に医師だけの仕事とは考えてほしくないのです。つまり、多くの方が関わる共同の作業であることに気がついてほしいのです。例えば、どうう仕事があると言うならば、教育と宗教のかかわりが挙げられるのではないでしょうか?納得のプロセスは、医師が行う医学的解釈以外に、その人也の人生観、倫理観、宗教観がどうしても影響してくるからです。だから、たとえ医師に十分に時間があったにしても、遺族の納得のプロセスは、医師だけの仕事ではないということです。>

僻地外科医先生いかがでしょうか? 勝手に行間を補わせていただきました。また、適宜補足や訂正をお願いいたします。
by 元なんちゃって救急医 (2008-02-19 19:20) 

一般ピーポー

なんちゃって救急医さん。

ありがとうございます。補足頂いたコメント内容ですと、患者側としても納得もでき、安心もできます。

私といたしましても、僻地外科医さんのことをわかってらっしゃるなんちゃって救急医さんがこう補足されたのですから、僻地外科医さんの真意もほぼ同様なのだろうと推測できます。

ただ、それはなんちゃって救急医さんだからこそでき得た補足であり、私の読解力の未熟さを差し引いても、当該コメントからは違った印象しか読み取ることはできないのではないでしょうか。

言語は記号ではありますが、決してそれだけのものではありません。

時に会話よりもナマに、また雄弁に心を語るツールでもあります。
何故ならそれは全て人間性豊かな心から産み出されるものであるからと私は考えます。

ですので医師・非医師に関わらず、全ての方にたとえ匿名掲示板であっても心を持った言葉の取り扱いを願い、今回のようなコメントをさせて頂きました次第です。

今の社会の風潮では軽んじられがちですが、これは本来青臭いことでも理想論でもないはずです。
命を扱う現場では特に必要なことだと信じています。

私は一連の問題の本質はここにあるのではないかと思いコメントさせて頂きましたが、結果的に本題より外れてしまったことを深くお詫びいたします。
by 一般ピーポー (2008-02-19 20:22) 

僻地外科医

>一般ピーポーさん

 あくまで「すでに亡くなった方」という限定条件でお話しします。

>状況を専門的に判断し、患者、親族、遺族等に納得させる事ができるのは教職者か宗教家?

>患者にとってはこのご意見はinformed consentさえも全否定しかねない、患者はラットと同じ扱いで良いと宣告されたに等しいやるせなさを感じます。

 患者さんの家族が納得されるというのは実際に何が起きたかを専門的に説明することでは成立しないのです。一般ピーポーさんは現実に突発事故に遭われた直後の患者さんのご家族に接したことはあるでしょうか?

 親しいものの死の受容と言うことは「専門的な現症がどうであったか」などという理屈で成り立つものではありません。後段で一般ピーポーさんが触れられている様に実は情緒の部分だけでのみ解決されるものです。

 実際の例を呈示しましょう。
 職場での事故で当院に救急搬送された患者さんがいらっしゃいます。CPAOA(来院時心肺停止)で、私が診察した時はすでに死後硬直が始まっており(つまり、不可逆的な死の変化)、蘇生は全く不可能な状況でした。
 駆けつけたまだ若い娘さんに状況(すでに心停止から相当の時間が経っており、どうやっても蘇生は出来ないこと)を説明して最初に彼女が放った言葉は
「医者だろ!助けろよ!」
 でした。
 理屈では彼女も父親が助からないことは理解していたと思います。でも、情緒面でそれを理解するというのはまたまったく別のことです。

 もちろん我々は真摯に考え得る状況、死に至る機転等を丁寧に説明しますが、それは「納得」という言葉を得るには程遠いものなのです。これを情緒面で解決出来るのは日頃の死に対する教育であり、あるいは宗教です。一般ピーポーさんは誤解されているようですがこれはinformed concentとはまるで別のものです。

 私がこの問題が本来医師の仕事ではないといったのはそういう意味です。


 Rio氏のもっとも本質的な誤りは

>その際に、「このケースは誰も責められるべきではない」と専門的に判断し、遺族に納得させられるのは医者だけです。

 この一文に現れています。

「このケースは誰も責められるべきではない」と専門的に判断するのは医師の仕事です。また、そう説明するのも医師の仕事です。
 しかし、遺族を納得させるのは医師の仕事ではありません。
 この2つを混同して語っているのが彼の最も大きな間違いです。

 私が上で言った意味は理解して頂けたでしょうか。
by 僻地外科医 (2008-02-19 23:16) 

僻地外科医

 とまあ、最初からこのように書けば良かったんでしょうが、もともとのRio氏の前提条件そのものが誤っていたので、ついそれに反応してしまいました。

 私としては「遺族を納得させるのが医師の仕事」という部分に反応したつもりだったのですが、確かに誤解させる書き方ではあったと思います。

 なお、もちろん人によっては医師の説明のみで納得される方もいますし、どちらかと言えばその方が多数派かも知れませんが、「納得するかどうか」という一点に絞って言えば、これはその人の受けてきた教育や宗教観が決定するものだと思います。医師がどう説明したかという問題はごく副次的な問題に過ぎないと思います。
by 僻地外科医 (2008-02-19 23:32) 

一般ピーポー

>僻地外科医さん

ありがとうございます。提示して頂いた例を見ても、医師の方、遺族の方、双方の辛さが良くわかります。

どのような職業にもやはり現場で携わっている人間にしかわからない苦労や辛さがありますね。お察しいたします。

以下は個人の気持ちとして書かせて頂きます。

私がもし「このケースは誰も責められるべきではない」といった、身近な者の死という状況に遭遇した場合、医師の方から専門的な現状をお聞きして頭では理解し、また情緒の部分で混乱した精神状態になることはまず間違いないことでしょう。

その時、所謂"他人"で、これまでの経緯を知っている(さらに医学知識の無い者としては唯一現状を変えられるかもしれないとの希望を抱ける)物理的に最も側にいる人間は医師の方になるかと思います。

そうなるとその医師の方にお縋りしたいと考えるのは、特に混乱した精神状態の中では自然な心理の働きでは無いでしょうか。

しかし、死は死。そういった現実が動かせない事実である以上、遺族としてはその絶望をほんの少しでも良いので今際に立ち会った専門家に和らげて欲しいと考えるのでは。

教育や思想というのは、かなり乱暴な言い方をすれば所詮付け焼き刃の知識です。
死という事態に面し、本能が剥き出しになった際、哀しいかなそれは無力に成り得ます。

また、素人には計り知れない苦労で日々摩耗されている医師の方々の中には、医師側としてもそれをフォローする余裕も必要も無い、とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。

しかし実際にそのフォローを医師の方がされることで、後にではあってもいくらかの遺族には医師の人間性が伝わり、そうした積み重ねがやがてその医師の方の評判となり、結果様々な実利は生まれるのではないでしょうか。

もちろん医師としての就業形態は多岐にわたりますので上記を金型として据えるわけにはいかないと思いますが…。

ですので私は以上の点で「それは医師の仕事ではない」としてしまうのは、どうしても冷たさを感じ哀しくもあり、また一方で勿体なく思えてしまうのです。

だからどうした、と言われればそれまでの話しなのですが。

以上私の性分により再び本題よりそれた内容をコメントしてしまいましたが、こちらのブログで数少ない、医療に関してごく一般的な認識レベルの者の考えとしてご一瞥頂けたら幸いです。
by 一般ピーポー (2008-02-20 00:39) 

僻地外科医

>一般ピーポーさん

>ですので私は以上の点で「それは医師の仕事ではない」としてしまうのは、どうしても冷たさを感じ哀しくもあり、また一方で勿体なく思えてしまうのです。

 ご指摘の点はもっともだと思います。

 私が言っているのは【現実面として】患者さんのご家族を【納得】させることが医師の仕事ではないと言うことで、ご家族に対する説明の努力を怠れといっているわけではありません。

 そして
>しかし実際にそのフォローを医師の方がされることで、後にではあってもいくらかの遺族には医師の人間性が伝わり、そうした積み重ねがやがてその医師の方の評判となり、結果様々な実利は生まれるのではないでしょうか。

 これに対する典型的な反証を示します。
http://lohasmedical.jp/blog/2007/12/post_991.php#more

 果たして加藤医師の誠実な態度がご遺族に伝わったでしょうか?あるいは加藤医師は誠実な態度でご家族に接していなかったでしょうか?

 もはや、ケアを与える側(不遜な言い方ですが)だけではこの問題は解決出来ないと思うのです。

 いかがでしょうか?


 
by 僻地外科医 (2008-02-20 00:49) 

cannt

遺族のケアに挑戦するとしても、失敗したら刑事被告人で、無罪になっても10年後れの医者になってしまうとすれば、何故そのようなボランティアをしなければならないのか、自分の家族に説明できません。

小児や妊婦を診ることなど出来ません。
by cannt (2008-02-20 08:23) 

chkt

私は、死因を説明することを超えて遺族を納得させるという行為は、悪しきパターナリズムそのものであり、行われるべきではないと思います。遺族から暴言が吐かれたり、はなはだしくは暴力が振るわれても遺族ケアの名の下に、なあなあに済まされてきました。しかし、医師は患者の両親でも友人でもありません。感情の垂れ流しを甘受するいわれはありません。

DVにおいても被害者が我慢することは事態を悪くします。遺族ケアなどと小手先の対応を繰り返したために、患者の自立を阻害し、パターナリズムから抜け出せなくなっていると考えます。
by chkt (2008-02-20 09:43) 

沼地

やっぱり何かものすごい溝を感じます。
先天的に異常があったのかもし れないと説明したことがご遺族の不信感のもとになった可能性....
CTで割り箸自体が見えてない、頸静脈孔経由で刺さっていて頭蓋骨に損傷が無い。
そうすると自分でも小児の突然の脳出血ならば、動静脈奇形が存在した可能性を一番に考えると思います。
でもそれが、基礎疾患があったせいにしようとした、いいかげんなことを言ったって受け取られるとは説明したほうは夢にも思ってなかったろうなってこと。
すべてが誤解というか理解の難しさから来ている気がします。
遺族に納得してもらうのが医師の仕事か周囲の人の仕事か、はたまた宗教家の出番かは判りませんが、少なくとも裁判に持ち込むのは無しにして欲しかったというか。
弁護士さんのレベルでこれは訴訟を起こして解決するような事例ではないと断ることって可能なのでしょうか?
冷静さを遺族に求めるのは酷でも、誰か冷静な人は周りにいなかったのか残念です。
by 沼地 (2008-02-20 09:56) 

kein

いつも拝見しております。
1年ほど前に自分の子供が食べ物による気道閉塞で死にかけた内科医です。その時に心に去来した内容は参考になるでしょうか。
エピソードは自宅で起こったのですが,運よく助けられました。

少し時間がたち,私が自宅にいなかった場合の経過を想像してみたのですが,恐らく子供は失っていたであろうと思います。
そして対処してくれるであろう医療従事者に向ける可能性のあった喪失感や悲しみ,怒りを考えるとどのような反応をしたのであろうか,しばらく考え続けていた時期がありました。
しかし起こったことに対する反応を云々というよりも全ての方が自分の命を含めた命を失う可能性について関して事前に考えなさ過ぎることが問題なのではないかと思うようになりました。(考えているつもりでしたが自分もできていなかったことに気づきました)
ここのブログ主の方がおっしゃるようにアクシデントの内容・質が昔と今で変わっただけで総量や頻度は変わっていないのではないか,またどのような年齢層にも突発する不可避な死があり,大袈裟かもしれませんが失うかもという気持ちを内在させつつ現在生きていることの価値をかみ締める必要があることに気が付けました。 それからは何か清清しい気持ちで今を精一杯と考え生活できています。
危なく医療従事者側ではなく遺族側に立った体験をする可能性のあったものの気持ちを書いて見ました。長文失礼いたします。
by kein (2008-02-20 12:41) 

yama

横から失礼いたします。
rio様の発言を見て思ったことを述べさせていただきます。
病院の初期対応が悪かったという点ですが、患者側がはじめから悪意や憎悪を持って接したり、自分に都合の悪いことを言われた場合、表現の方法が変わります。私自身、自分の言った言葉が患者さんに翻訳されて他の医師に伝わっていたことがあります。
私が「あなたの場合、血圧が不安定なのは精神的に問題がある可能性があるので心療内科を一度お受けになってはいかがですか」言ったにも関わらず、患者さんが心療内科医に言うときは「主治医からおまえは頭がおかしいんだから心療内科に行けと言われた」となってしまいます(これは実際に経験したことです)。
患者さんを怒らすような言葉を言ったのかどうかは未だにわかりません。私の言動に問題があったのかもしれませんが、それは今を持ってもはっきり認識できません。もちろん悪意は全くありませんでした。でも、ある人には問題のない一言がある人には悪意に受け取れる、最近は人間とはそうした性質のある動物なのだと思うようになりました。ヒトというのは物事を自分の都合の良いように解釈するのです(これは私の反省でもあります)。
だから、大学病院側が本当に問題のある発言をしたのかどうかは正直言ってわかりません。ただ、大学側と患者側にお互いを許すという認識がなければこうしたいざこざは起きるものなのでしょう(ちょっと宗教がかって来ちゃいましたね)。ましてや大学ははじめは本当に原因がわからなかったのですから、調査なしにいきなり断定調に「これが原因でした」なんていえないでしょう?それこそ無責任な発言ですよね。従って我々が頼りにできるのは遺族のお涙ちょうだいの発言でもなく、医療側のいいわけでもなく、客観的なデータなのです。プロスペクティブに見てそのときにどういう行動をとるべきかではなく、どういう行動を医師はとるのかと言うことを考えることが大事なのです。それが事故を未然に防ぐ最良の方法であり、結論なのだと思います。実際に我々は当時同じ症例を診て割り箸を見つけることができたか?という議題を与えられればわかります。与えられた事実から考えられることは少なくとも私なら割り箸を見逃していたと思います。
それを論理的に矛盾無く判決文に成就させた今回の裁判官に拍手を送りたいと思います。
by yama (2008-02-20 14:22) 

元なんちゃって救急医

たくさんのコメントありがとうございます。

有意義なコメントが続いているので、このまま場を変えて続けたいと思いました。

続きはこちらです。
http://blog.so-net.ne.jp/case-report-by-ERP/20080220
by 元なんちゃって救急医 (2008-02-20 14:24) 

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