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「死」に対するコミュニケーションについて考える [雑感]

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少し前のエントリー 生と死は対立ではない  の冒頭を再掲してみます。

そして、種々の状況を鑑み、私がいけると判断した方の場合は、ストレートにこんな質問をかます。

「患者さんの死についてお話し合いをされたことはありますか?」

そこから、お互いの死生観についての会話を始めることが多い。そして、その会話から得た情報は、ポイントをカルテに落とし、病棟への引き継ぎにも使っている。

一番多いと私が思っている反応は、戸惑いである。「えっ!? そこまでは・・・・・・・」 という反応だ。
 

本日は、家族間の「死に対するコミュニケーション」について考えてみたいと思います。

普段、私達は、日常生活の中で、家族の間で「死」のことをどれだけ話し合っているでしょうか?
なかなか、オープンには話しにくい雰囲気ですよね。

少なくとも、現代社会レベルでは、確実に「死はオープンじゃない」ですよね。
現代社会は、メディア社会。我々は、社会生活を営む上でメディア情報の影響を多大に受けています。
だから、各家庭内においても、「死はオープンでないのが主流」と考えるのは、それなりに合理的だと私は考えます。

家族間で「死がオープン」でないと、どういうことが医療の現場で起きやすいのでしょうか?

そのあたりの問題点は、田舎の消化器外科医先生が、生と死は対立ではない のコメントの中でご指摘くださいました。
それを引用してみます。

現在の終末期の医療では、本人が望む最期と、家族の望む最期とでは、明らかに後者が優先される状況が出来上がっています。
現状では、この患者さんにここまでするのは、本人も望まないであろう、と思われる処置や治療でも、家族が望めばせざるを得ません。本人の望む最期を迎えるためには、元気なうちから自分の死に方を何通りもシミュレーションしなければなりませんが、
そのような話を切り出すこと自体が、許される雰囲気で無いことに、頭を悩ませています。
by 田舎の消化器外科医 先生

いやあ、最もなご指摘だと思います。 やはり、普段の生活の中で、「死」について話し合い、いざというときは、本人の望む形が優先される医療があってもよいのなとは思います。

皆さんは、自分の思いを家族に伝えていますか? 
皆さんは、家族の思いを、一人一人把握できていますか?

そんなことを考えさせられたメールを紹介します。私の知り合いのA医師(20代 女性)から、いただいたメールです。一部を変更の上、差し出し主の許可を得た上で紹介しています。

こんばんは。
ご無沙汰してます。

(途中 略)

そういえば、ちょっと思い出したことを書きます。
遠方に住むうちの祖父母が、ビデオメッセージで「
私達はもう85歳と80歳ですが、そろそろ私達が楽に死ねるような医療を考えてください」と話してました。
祖父母は、私が医者になってすごく喜んでくれていたので、
いろいろ期待してると思ってただけにずっこけました
私たち家族からするとなるべく長生きしてほしいと思いますが、今回初めて、祖父母の気持ちを知りました。

(以降 略)

自分達の「死」を自ら静かに見つめている祖父母 VS ただ「生」の視点に重きを置く20代の医師
自分達の「死」を自ら静かに見つめている祖父母 VS 祖父母の思いとは相反する家族の気持ち

そして、そのギャップに気が付き、ずっこける医師でもあり孫でもあるA先生・・・・・・・。

何気ないお便りでしたが、こういう構図を私は感じました。

こういう気づきは、やはりコミュニケーションなんですね。A先生のご家族は、家族間で良好なコミュニケーションの土台があるからこそ、A先生は祖父母の気持ちを知ることができたんですね。

今後、高齢者の死亡者数は、向こう20年位、直線的に上昇し続けていくと推計されています。
だから、ますます、高齢者の方の死への思いに対して、ご家族にしろ、医療者にしろ、アンテナを立てて、それをキャッチする努力が必要なのかもしれません。
つまり、日常生活の中で、「死」に対するコミュニケーションなるものが重要だと私は思うわけです。

死生観がからむ話をすると、一部の方々は、どちらか両極端の意見を言われ、しばし、話がかみあわなくなります。
そうではなくて、私は、その結論よりも、話し合いそして向き合い、お互いの気持ちを知っていくというプロセスがすごく重要なのだと思います。

だから、私は、私の領域である医療の現場で、生と死の狭間で揺れ動くご家族に出会ったとき、そのご家族や患者さんが、よりよい人生の選択をしていただけるようなファシリテーターとして振舞えたらいいなあと思っております。

そのためには、自分は自分としての立ち位置はしっかりさせておくこと。 自分とは異なる考えや立ち場も尊重できる視点を持ちえること。
そんなことを自分に課しておきたいと思います。

で、死生観に対する私の現在の立ち位置は、荘子的境地をめざしたいということです。 まだまだその境地は遠そうですが、私のこれからの目標です。

生と死の問題を突き詰めて考えていけばいくほど、医療を受けないという考えを選択肢として持っておくことも重要なのかもしれないと私には思えてきます。医療は当然受けるものという考えが社会にありがちですが・・・・・。だから、多くの人には気がつきにくい視点かもしれません。 しかし、いずれにしても、選択した結果よりも、選択にいたるプロセスのほうがはるかに重要であると私は考えます。


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コメント 9

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雪だるま

家族の半分がお墓に入っているので、うちは特殊なケースです。
家族が死んだときの話は、子どもと年に数回はすると思います。
保育園で周囲の子どもに「なんでお母さんしかお迎えに来ないの~?」
と聞かれたときなど、すかさず「お父さんは治らない病気で死んじゃった
から。」と答えます。流死産の話もできるときはバリバリします。

KYとも思いますが、私たちは亡くなった家族と暮らしており、
いつも心の中にはかれらの居場所があります。
子供の同級生が事故で亡くなったとき、学年最後の学級懇談では
亡くなったお子さんをいなかったことにしたり思い出にするのではなく、
一緒に暮らしてあげてくださいとお母さん方にお願いしました。
(ちょっとコワイ人かもしれません)
一応「死生学への導入いかがですか?考えていただけると
医療崩壊が少し遅くなるかもしれないんですが」みたいな気持ちで
やっております。

自分としては心筋炎で蘇生不可能になってから発見されるのが
ベスト?、2位は癌?(現在の医療が維持されたとして)などと
考えています。しかしまだ子どもが小さいので具体的な細かい話は
できずにいます。怖がってしまいますので。

手紙は書いておいたほうがよさそうですね。memento mori と
思いつつも、書いてないあたり、まだ未熟者です。
by 雪だるま (2008-04-28 11:17) 

田舎の消化器外科医

日本人が自分の死に付いて正面から向き合えなくなった原因を考えて見ると、「死は忌避するべきもので話題にすべきでは無い」という考えのほかに、「儒教思想」、「見栄、恥の文化」が大きな割合を占めているのでは無いかと思います。

「親に孝」、「老いては子に従え」、と同時に、「親に出来るだけのことをしてあげないと恥ずかしい」という呪縛が、終末期医療を、本人から家族の思いへ転換させているのではないでしょうか。

かつて、現総理の父が、「人の命は、地球より重い」といって、ハイジャック犯を釈放し、世界から失笑を買いましたが、日本人は一旦出来上がってしまった建前に反することが苦手なのだと思います。

儒教思想が根底にあるうえで、「親に出来るだけのことをしてあげないと恥ずかしい」という建前が出来上がってしまっているので、「それが、必ずしも本人のためではない」という議論にならず、「本人が決めるのではなく家族が決めることが当然」という考えを患者本人も家族も疑わないのだと考えています。

「死に行く本人のための終末期医療」、ということを自分自身の問題として考えるようになれば、「親に出来るだけのことをしてあげないと恥ずかしい」という建前から、開放されると考えます。
by 田舎の消化器外科医 (2008-04-28 14:12) 

ばあば

考えてみれば、父親に本人の葬式をどう執り行えばよいのかレジュメを作ってくれと頼みましたが、どう死を迎えたいのかまでは尋ねたことはありません。

正直申して、尋ねる事自体が怖いです。
私自身の覚悟は決めておりますが、本人の意向はまるで望んでいるようで聞けないでいます。

父親からは、病院で死んだときと家で死んだときの二通りのケースを想定して通夜まではレジュメを書き上げたそうで、「これを書き上げるまでは死ねない」と申しておりましたが、どう死を迎えたいのかまで書いてくれたのかどうか……

母親は、自分が介護されるという状態を想像することすら嫌がっていますので、とても聞けないでいます。 両親の思うようにしたいとは思っていますし、いずれ聞いておかないといけないとは思って入るのですが、なかなか難しいですね。
by ばあば (2008-04-29 12:55) 

ばあば

連投で失礼します。

十年ほど前、身障入所型授産施設に勤めていたころ、入退院を繰り返されていた利用者さんがいらっしゃいました。天涯孤独な境遇の方でした。

その方が何度目かの入院をされたとき、医師から「ここ数日が山だが、どうしてほしいと思っているのか」尋ねられたと 利用者さんの入院手続きから戻ってきた看護師の報告がありました。

当の利用者さんにどう死を迎えたいのか尋ねていませんでしたし、看護師の報告の時点ではすでに利用者さんに意向を尋ねることなどできない状況でした。

私が「そんな大事なこと、施設で決めれないですよ」といいましたら、上司が「こちらで決めるしかないだろう、身よりも友人もいないのだから」と苦渋に満ちた表情で言い、施設長と上司はかなり長い討議をしていました。

結局、その利用者さんは奇跡的に回復し、最後の決断を施設が下す必要はなくなりました。決断を下す必要がなくなったとき、職員室が一気に明るくなったのを鮮明に覚えています。その利用者さんはその後養護施設に移られました。

身障入所型授産施設は、体が不自由でもできる範囲で働いて生活をする施設ですので、利用者さんの死をまったく想定していませんでした。その後、身寄りのない方に関しては、世間話の形でさりげなく意向を尋ねるようになりました。
by ばあば (2008-04-29 13:26) 

なんちゃって救急医

>雪だるま様

コメントありがとうございます。ご主人を亡くされたのですね。いろいろなお気持ちの葛藤があったこととお察しします。

「私たちは亡くなった家族と暮らしており、
いつも心の中にはかれらの居場所があります。」

「一緒に暮らしてあげてくださいとお母さん方にお願いしました。」

すばらしいですね。なかなか言えないと思います。

雪だるまさんのような心を持てるひとが、もっともっと日本に増えるといいなと私は思います。

by なんちゃって救急医 (2008-04-29 16:58) 

なんちゃって救急医

>田舎の消化器外科医先生

コメントありがとうございます。

「儒教思想が根底にあるうえで、「親に出来るだけのことをしてあげないと恥ずかしい」という建前が出来上がってしまっている」

確かにそう思います。少しづつ世の中が変わるといいなあと思います。

by なんちゃって救急医 (2008-04-29 17:00) 

なんちゃって救急医

>ばあば様

コメントありがとうございます。

確かに両親などには直接聞きづらいですよね。
施設と入所者の間でも、死のコミュニケーションって大事ですね。

いっそのこと、国が音頭とってくれりゃあ、きっかけがつかみやすいのにって思いませんか?
by なんちゃって救急医 (2008-04-29 17:53) 

ばあば

レスが遅くなり、申し訳ありません。

>いっそのこと、国が音頭とってくれりゃあ、きっかけがつかみやすいのにって思いませんか?

そうですねぇ、文部省が生涯教育の分野で提言するのでしたらあまり実害がなさそうですし、同意しますです。

なぜなら、厚生労働省には、介護保険制度を作った時から疑いの目でしか眺められませんので。なんせ、ドイツで赤字に転落したのを目の当たりにしながら、それより条件の悪い日本でなんの手当もせずに介護保険制度を導入したからです。

厚生労働省はその後も、自立支援法などという目先のことしか考えない制度をこさえているなど、ろくな制度をこさえていませんから、厚労省にだけは任せられません。えらい目に遭うのが目に見えています。
by ばあば (2008-05-02 00:33) 

うっちー

ブログを拝見しながら何度も頷いていました。
日本の社会から、学校から、そして家庭からも死が遠ざけられているのを感じます。
私は病院で終末期に関わる仕事をしていますので、死という場面にもたくさん遭遇します。
もうすぐ旅立とうとされているご本人と、ご家族の思いが違うこともよくあります。
たった今もご家族とそんな状況で話をしてきたばかりです。

私は死にまつわる話を、時々家族で食卓を囲みながらやることがあります。
子ども達はまだ小学生、死ということがどこまでわかっているのか、たまにとんちんかんな質問をされます(笑)。でも家庭でのそういう会話を通して、愛していた家族やペットの死をどんな思いで感じでいるかをやり取りする時、今生きていることへの感謝や生かされていることの尊さを感じたりすることがあります。子どもはどこまで感じているかは不明ですが・・・。

私の住んでいる地域では、子どもと大人が共にいのちについて考えようと、5~6年に渡りワークショップなどをしている会があります。核家族化が進み、自宅の布団の上で、おじいちゃん、おばあちゃんが死んでいく姿を見れなくなり、生まれてくる時と死んでいく時は病院のベッドの上が主流になってしまった現在だからこそ、必要なものかもしれないと思っています。ちなみに私も参加していますが、学校や家庭でもそういう輪が広がればいいなと思っています。

でもやっぱり基本は家庭ですかねぇー。
by うっちー (2008-05-02 19:41) 

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