So-net無料ブログ作成
検索選択

福島大野病院事件mixi日記の反応から [医療記事]

 ↓ポチッとランキングにご協力を m(_ _)m


本日、無罪判決が出ました。 多くの医療者が妥当な判決だと評しています。もちろん、私も妥当な判決だと思っています。その妥当性については、改めてここで論じることはしません。

すでに、多くの報道ソースがありますが、ここでは、下記の福島での号外記事をリンクしておきます。

http://www.minpo.jp/var/rev0/0015/2971/gougai20080820B.pdf

さて、この報道を一般の方々は、果たしてどのように捉えているのでしょうか? 今回、私はそれを考えてみました。

その方法は、一般の方々の反応を次のmixi日記をランダムに眺めてみることでした。
mixiニュース:<大野病院医療事件>帝王切開の医師に無罪判決 福島地裁 (注:mixiに加入してない方はアクセスできません)


リンク切れに備え、そのリンク先引用しました。(8月23追記)

<大野病院医療事件>帝王切開の医師に無罪判決 福島地裁
(毎日新聞 - 08月20日 10:21)

日記を読む(1460)日記を書く


 福島県大熊町の県立大野病院で04年、帝王切開手術中に患者の女性(当時29歳)が死亡した事件で、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた同病院の産婦人科医(休職中)、加藤克彦被告(40)に対し、福島地裁は20日、無罪(求刑・禁固1年、罰金10万円)を言い渡した。鈴木信行裁判長は、最大の争点だった胎盤剥離(はくり)を途中で中止し子宮摘出手術などへ移行すべきだったかについて「標準的な医療水準に照らせば、剥離を中止する義務はなかった」と加藤医師の判断の正当性を認め、検察側の主張を退けた。

 加藤医師は04年12月17日、帝王切開手術中、はがせば大量出血する恐れのある「癒着胎盤」と認識しながら子宮摘出手術などに移行せず、クーパー(手術用はさみ)で胎盤をはがして女性を失血死させ、医師法が規定する24時間以内の警察署への異状死体の届け出をしなかったとして起訴された。

 争点の胎盤剥離について、判決は大量出血の予見可能性は認めたものの、「剥離を中止して子宮摘出手術などに移行することが、当時の医学的水準とは認められない」と判断した。医師法21条については「診療中の患者が、その病気によって死亡したような場合は、届け出の要件を欠き、今回は該当しない」と指摘した。

 医療行為を巡り医師が逮捕、起訴された異例の事件で、日本医学会や日本産科婦人科学会など全国の医療団体が「結果責任だけで犯罪行為とし、医療に介入している」と抗議声明を出すなど、論議を呼んだ。公判では、検察、被告側双方の鑑定医や手術に立ち会った同病院の医師、看護師ら計11人が証言に立っていた。【松本惇】

 【ことば】癒着胎盤 一般に分娩(ぶんべん)後、胎盤は自然に子宮壁からはがれるが、胎盤の絨毛(じゅうもう)が子宮筋層に入り、胎盤の一部または全部が子宮壁に癒着して胎盤がはがれにくくなる疾患。発生率は数千~1万例に1例と極めて低い。

 ◇県警刑事総務課長「捜査を尽くした」

 福島県警刑事総務課の佐々木賢課長は「県警としては捜査を尽くしたが、コメントは差し控えたい。細かい争点については(裁判所の判断が)まだ分からないので何とも言えない。県警は医師に注意義務があるとして検察へ送ったが裁判所はそう認定しなかった」と話した。

 ◇産科婦人科学会理事長「救命医療の確立目指す」

 吉村泰典・日本産科婦人科学会理事長は「被告が行った医療の水準は高く、医療過誤と言うべきものではない。癒着胎盤は極めてまれな疾患であり、最善の治療に関する学術的な議論は現在も続いている段階だ。学会は、今回のような重篤な症例も救命できる医療の確立を目指し、今後も診療体制の整備を進める。医療現場の混乱を一日も早く収束するため、検察が控訴しないことを強く要請する」との声明を出した。
毎日新聞 (提供元一覧)



8月20日 19:15現在で821件の日記が書かれていました。 私はそのうち、97件の日記を覗かせていただきました。そして、日記の内容を次の3つに分けてみました。 つまり、 無罪支持、無罪不支持、支持表明なし という3つです。

結果です。

無罪支持無罪不支持支持表明なし
58435

圧倒的に、無罪支持の意見が主流でした。 mixi加入者というバイアスを考えないといけませんが、一般世論として、無罪支持の風潮が強そうであると私は推論しておきたいと思います。
一方、一部のメディア報道は、医療への疑問を抱かせることを意図した誘導的な記事が存在します。具体例をあげますと、これです。
「なぜ事故が」…帝王切開死、専門的議論に遺族置き去り

タイトルからして全くいけてません。いい加減にしてほしいと私は本当に思います。 ご遺族には、ご遺族のお気持ちがあるのは当然です。だから、納得が出来ないというお気持ちを抱くのはある意味自然な感情でしょう。 しかし、その感情を、報道にのせて、世に流すことにどんな社会的有用性があるのでしょうか? はなはだ疑問に思います。 遺族感情を大々的に報道する姿勢は、メディアの悪い風潮だと思います。割り箸事件のときもそうでした。→参考エントリー:割り箸訴訟と医療の不確実性

そういう報道姿勢は、今後改めてほしいと切に願います。mixi日記からも、明らかにそういう報道姿勢は嫌悪の対象とされています。メディア関係者の方の学習を期待します。

さて、mixiの日記を勝手に引用することは、私自身問題があると認識しています。ですので、直接の引用ではなく、要約の形で二つ(#1、#2)ほど紹介しておきます。

最初に、無罪不支持意見として
#1:人が一人死んでるのに、無罪なんておかしい! という意見です。

ごく少数ですが、このような主張がありました。 医療者は、「人は死ぬものだ」という大前提で医療行為を行いますが、こういう主張をされる方は、「死」という大前提を心の中にお持ちでないように私には思えます。 やはり、社会としての「死の教育(death education)」ということの重要性を感じずにはいられません。#1の認識をもつ人が、医療の中で死亡事例の関係者になると、医療関係者は、納得してもらうためには本当に大変なんだろうなと思います。いくら、一生懸命時間をかけて説明しても、丁寧に説明しても、現在の医療システムでは、なんら医療報酬は発生しません。つまり、医療者側の良心、誠実度のみに依存するボランティアとなるのです。 「説明」という立派な専門的業務をシステムとして認めることも医療者ー患者の対立関係緩和につながる一つの具体的方策かもしれません。


次に、支持表明なしの中で、複数の興味深い意見がありましたので、その共通する部分の意見を紹介します。
#2:私がもし遺族の立場だったら、やっぱり納得がいかないと思う! という意見です。

医療という人の生死を扱う業界に属する自分にとっては、とても興味深い反応だと思いました。 

医師と患者が安心して、医療に向き合える環境づくりには、システム整備論のみならず、 「死」を納得できない遺族感情を、個々の医師-患者関係の中で、どう取り扱い、どう向き合っていくのかという視点が極めて重要だと思いました。 そういう捉え方においては、まだまだ、マスメディアはもちろんのこと社会全体が未成熟な状態なのかもしれません。

医療崩壊を阻止していくためには、死をもっとオープンにする社会が絶対に必要な気がします。違う言葉で言えば、一人ひとりが、自分に対するあるいは家族に対する「死の覚悟」を日ごろの生活の中で認識しておくことの必要性でしょうか。 そういう認識が十分にあれば、#2のような気持ちを持つ人が少なくなるのかもしれません。

もちろん、#2を考えるに当たり、「信頼」という視点も必要であることは言うまでもありません。まず、「信頼」があってこその覚悟だと思うのです。では、その「信頼」は、どうすれば良いのでしょうか?それは、各人の心の問題であると私は思っています。だから、「信頼」はまず自分の問題という自覚から入る必要があります。「信頼」は、他人から決して与えられるものではありません。そこをわかっていない方が、不信の負のスパイラルに陥いるのでしょう。医療裁判に限らず、離婚調停や裁判などにおいても、この不信の負のスパイラルから対立の深みにはまってしまってる事例がきっとあるのでしょうね。

あらためて、#2に関する私の主張を整理します。

医療に対する信頼はまず大前提。その上で、各人が「死に対する覚悟」を日ごろから認識しておくことが、いざ当事者になったときに、(死という)医療の結果を納得できるようになるのではないか。

ということです。

以上、今回の無罪判決に対するmixi日記の反応から、私が感じたことでした。


コメント(7)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

コメント 7

コメントの受付は締め切りました
ハッスル

とりあえずではありますが本当に安心しました。

各ブログで視点が異なりそれぞれ勉強になります。
ご指摘の
”「死」を納得できない遺族感情を、個々の医師-患者関係の中で、どう取り扱い、どう向き合っていくのかという視点が極めて重要”
は切実に同感します。

実際の場面では数回/年程度、限界を感じます。
「死」についてそもそも論から説明していくと、説教しているみたいで凄く嫌な気分になります。それまでに医師-患者、家族として色々悩み相談している方には感じないストレスです。

同職間でも解決しないと思いながら今のところ仕事しています。

#1の方と出会わないことを心から願います。
by ハッスル (2008-08-20 22:43) 

skyteam

 示唆に富む内容だと思います。現場に対する理解が深まるにつれ、今回の刑事訴訟が「法的解釈」だけでなく、医療サイドからの発言が一般の方にも受け入れられる余地がある((きわめて冷静に語られることでのみ受容されうるものです)ということになるでしょう。

 また、この事件が波紋を呼んだのは「お産のリスク」というものを一般の方がほとんど理解できていなという現実。

 情報が共有されていないため、万が一のとき、すべて責任追及を医療サイドに法的責任を求める(産科医療に行政が何をこの2年半にしたでしょうか?)。この流れに一定の歯止めになるといいのですが。

 いずれ、医療の結果を個人責任追及型社会から、社会扶助的なシステムで患者さんサイドを「救済」できる制度が用意されるのを臨んでいます。

 まだ問題は山積です。

by skyteam (2008-08-21 02:15) 

石部金吉

無罪判決が出て本当によかったと思います。

判決が出るとともに、医療系ブログや医師限定ネットの記事が
この事件に関するニュースで埋め尽くされた感がありました。

ところで、
私は遺族の納得というものは、
得られればそれにこしたことはありませんが、
必須ではないと思います。

病死だろうが災害死だろうが、納得できるわけがありません。

いつまでも遺族は
「ああしたらよかった、こうしてやればよかった」
と思い続けるのが普通です。

だからお葬式では、人々が
「お悔やみ申し上げます」
と言うのだと思います。

「お悔やみ申し上げます」というのを分かり易く言うと、
「あなたが色々と悔いているのを理解していますよ」
という意味になるのでしょう。

余談ですが、これをアメリカ人に
「日本では I understand your regret. と言うんだ」
と説明したら
「お前の説からすると、regret でなく remorse が相応しい」
と訂正された経験があります。

さて、
遺族が納得できないのは仕方ないとしても、
社会やマスメディアには冷静な判断をしていただきたいものです。

我々医師には当たり前すぎる「人は死ぬ」という事実を
どうすれば一般の方も実感としてもらえるのか?

個人に対するとともに、社会に対する death education も
必要なのだと思います。

by 石部金吉 (2008-08-21 06:28) 

doctor-d

とうとう判決というかたちで一定の結論が得られたハズなのですが、報道や世間の反応の一部を見る限り、釈然としませんね。

結局、真実は一つであっても立場が違えば全く相反する意見が生じ、それは決して一つになる事はないのでしょうね・・・。
by doctor-d (2008-08-21 11:31) 

456

無罪判決のニュースをテレビで見ていた時、妻に
「私が妊婦でおなじこと起こったらどうする?」
と聞かれました。
完全に♯2のケースです。

どう答えれば今後の夫婦関係が円満になるかはわかっていたのですが、
ワタシは、
「俺はサムライとして生きたいから、恥ずかしいことはしたくない」
と答えました
前半は余計ですが、これは本心です。

日本人のこんな恥ずかしい行為が許されるようになったのは、
えひめ丸事故の遺族の方がテレビで怒りを表現されたのがきっかけではないかと記憶しています。

信頼がある・なしに関わらず、
自分は自分のために生きているのではなく、他人のために生きているのだと
これまで学んできましたから、
トンチンカンな自己主張は恥ずかしいと感じてしまうのです。

これからもワタシは他己チューで生きていくつもりです。
by 456 (2008-08-21 16:19) 

rirufa

無罪判決が出てほっとしました
厚生労働省も

http://www.asahi.com/national/update/0822/TKY200808220174.html?ref=rss

大淀事件のようなことが起きないするために検診を無料化し、将来的には保険で賄えるようにすると言ってました。
いい方向に動くことを願います。
by rirufa (2008-08-22 17:17) 

なんちゃって救急医

> ハッスル様

いつもコメントありがとうございます。

>skyteam様

ご指摘の通り、まだまだ問題は山積みと考えます。

>石部金吉様

社会が冷静な判断をしているとは、私にはまだまだ思えません。

>doctor-d 様

先生のご指摘に同意です。

>456 様

なるほど、えひめ丸ですか・・・・・。報道の影響って大きいですからね。

>rirufa 様

コメントありがとうございます。社会として良い方向に動くことを私も望み、ささやかではありますが、自分に出来ることはやっていこうと思っています。

by なんちゃって救急医 (2008-08-24 21:15) 

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。