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ゴータミーの話をフラッシュにしました [雑感]

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始めに・・・
最近フラッシュファイル作り方を少~しだけ覚えました。ほんの少しであっても素人がそれなりに楽しめますね。今回、自作のフラッシュをこのエントリーの最後においています。ネット上には、心臓どきどきの初公開です。どうぞご覧下さい。(閲覧可能な適切なPC環境などの技術的なご質問にはお答えできる知識はありません。どうかお許しを。)

さて、本題。

医療崩壊問題は、政策の問題としてだけではなく、個人の死生観の問題と深く結びつけて考えないと好転はきびしいのではないかと私は常々考えている。これに関して、私は以下のようなエントリーを書いてきた。

日本人の「死生観」と私の思い
割り箸訴訟と医療の不確実性
遺族の納得はどうしたら得られるのか..
わすれられないおくりもの
生と死は対立ではない
「死」に対するコミュニケーションに..
五輪旗で医療崩壊を語る(その1) の「1」
医療ミスはいけないことでしょうか?
高齢化社会と死生観についての私見
医療は発展し続けるべきなのか?
他人の死から自分の生を学ぶこと
赤塚氏へのタモリの弔辞に思うこと

これらの中から、2008年元旦のエントリー(日本人の「死生観」と私の思い)の後半部分を再掲する。

喪われた共同の「日本人の死生観」を復興させる私なりの提言をする。まず、医療者自らが、自らの内面を見つめ、まず自分でそれを考え、考え続けること。そして、次に、私達医療者が、その専門性に関係なく、患者に積極的にこのような気づきのアプローチをしていくこと。それらが、私達医療者が出来うる現実的なささやかな第一歩なのかもしれない。そして、それらが「個」から「社会」レベルへと上手く拡充していくとき、ようやく初めて、新たなる共同の「日本人の死生観」なるものが構築されていくのだろうと思う。少なくとも、私は、そう考えて、自らを見つめなおすとともに、今年、これから出会うであろう患者には、このような気づきのアプローチで接していきたいと思っている。

この9ヶ月、私なりにいろいろと考えた。 考えていくうちに、中国荘子老子の思想(老荘思想)に出会った。そして、それらの思想は、仏教の開祖者であるインドの釈迦の思想とも共通点があることも知った。もちろん、これらの分野を専門的に研究している人たちからみれば、不十分な知識と理解に過ぎないのかもしれないが・・。それでも、今の医療のあり方を個人的に考え直す大きなきっかけとなっていることはまちがいない。

その理解度はともかくも、これらの思想家は、生と死に真正面から直面し、考え、その思想体系を確立してきたということは明らかだ。

その一方・・・・・・
戦後の日本社会においては、「老い」や「死」と直視することを避けている風潮が蔓延しているとはいえないだろうか?この問題は、すでに多くの人が指摘している。ここでは一例として、少し古いものではあるが、柏木先生の記事を挙げておく。いや、古い記事であるが故に、この問題は、今の医療崩壊問題に始まったことではなく、昔からずっと存在し続けているといえるのかもしれない。

老いと死、若者に伝える 終末期介護20年の柏木医師
1993.03.25 朝日新聞 東京朝刊 (全1,046字)

末期がん患者らの医療施設(ホスピス)として知られる宗教法人・淀川キリスト教病院の副院長、柏木哲夫医師(五三)がこの四月、大阪大学の人間科学部教授に転身、老いと死を体系づけた「臨床老年行動学」を教える。「
現代人には死を見つめる姿勢が大切。経験をもとに、若い人たちにあるがままを伝えたい」

柏木さんがターミナルケア(終末期介護)に取り組んで約二十年になる。病院にホスピス(二十三床)ができて以来、がん患者ら千八百人が入院、うち千五百人をみとった。

末期がん患者の場合、最期の約一カ月間にその人の人生が凝縮される。感謝の気持ちにあふれた人は感謝して、不平がちな人は不平を言いながら--
人は生きてきたように死んでいく、と実感した。例外は信仰による変化だ。

死ねば一切「無」と思うとこわい。「死とはつらく悲しいこの世との別れだが、新しい世界の出発と思える人は、まだ続きがあるのでそう恐怖はない」。宗教をもつ、もたないの差と考える。大学時代からのクリスチャンだ。

「死を迎えるとき、良い人生だったと思える道を、いま生きているだろうか」と力をこめた。

三つのとき父が結核で死に、看護婦の母の手一つで育てられた。遊び場は母の勤める病院。白衣や消毒のにおいに抵抗はなく、医師は小学校のころからの夢だった。公園で父母に手を引かれる幼子の姿を見て、だれにも言えないさびしさ、つらさを味わった。

「人の心や魂に関心が強いのも、そうした点が影響したのでは」と振り返る。十四歳のとき、祖母が亡くなり、恐る恐る祖母の額に手を触れて厳粛な死を感じた。選んだのは心の医学、精神科医だった。

老いと死の現実を学生に知らせることが教育の第一歩、と強調した。若いとき活動的なほど、年をとると現実との隔たりが大きく、つらさは増す。「私自身、まだ自覚はないが、老いを受け入れるのはつらいと感じます。もう目の前ですが」と笑う。

柏木さんには、患者への安易な励ましが気になる。「
日本中、この間違いが駆けめぐっている」と嘆く。

闘病中の患者に、周りの人が「きっと治る、頑張りなさいよ」と繰り返す。本人はもう頑張りたくてもその力がないのに。「むしろ、しんどいねえ、つらいねえ、といたわりの言葉がほしい。どんなに心が休まることか」

人が生まれる時、お産を助ける助産婦がいる。亡くなる時にも安らかに死を迎えられるよう「助死婦」がいる、という。医師、看護婦だけでなくソシアルワーカーや宗教家、カウンセラーらの支えだ。将来、人間科学部からもそのスタッフを送り出したいと願っている。


私も全く同感である。問題は、多くの人にそれをどう伝えるかである・・・・・・。

最初の引用で私が述べている「気づきのアプローチ」がひとつのポイントになろうかとは思う。

そういう視点で、仏教の説話であるキサー・ゴータミーの話は極めて秀逸だ。

というわけで、これが今回のネット初公開のフラッシュです。どうぞご覧下さい。作品の時間は、2分48秒です。


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コメント 6

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DM医

フラッシュ面白かったです。
次回作にwktkです。
by DM医 (2008-10-01 12:35) 

ななし

firefoxだとうまく表示されないみたいで、IEで拝見しました。
手書きのAA(何だか矛盾)がかわいかったです。
by ななし (2008-10-01 20:07) 

GYNE

まにあっくな先生だったんですね。
その次の家も、またその次の家も...のところで、心がバクバクしました。
楽しかったです。
by GYNE (2008-10-01 20:47) 

元外科医

Firefoxでは見れませんでしたorz
しょうがないのでIEで見ました。


いいフラッシュでした。(^^)
次回も頑張って下さい。

by 元外科医 (2008-10-01 21:11) 

なんちゃって救急医

>DM医先生

ありがとうございます。

>ななし様

ご指摘とご感想ありがとうございます。なんでなんしょうね? HTMLタグを上手く書き直せばいいのかもしれませんが・・・

>GYNE先生

楽しんでいただけてなによりです。先生がばくばくされた部分は、微妙に考えて書いた文章表現だっただけに書いたかいがあったものです。

>元外科医先生

お褒めのお言葉ありがとうございます。

by なんちゃって救急医 (2008-10-02 20:21) 

なんちゃって救急医

一部非公開希望のコメントもありましたので、公開可な部分のみ抜粋させていただきました。
コメントありがとうございます。

以下 koro様からのコメント

> 患者への安易な励まし・・・私もそうだったかもしれない同居している義父に癌がわかり 食べれなくなるのも時間の問題だと当時75歳の義父は 手術するのもギリギリの年齢だと言われ義母は 手術をしないという選択肢も視野にいれていました私は 時期に食べれなくなり ただその先を待つだけなら 可能性があり 今なら手術が出来ると言うのならばと 手術を強くすすめましたある日退院してきた義父と二人でお茶を飲んでいたら 「病気になるのも わしの運命なら その先にある死も わしの運命なのになあ 手術なんかせずに あるがままでよかったのになあ~」と言ったんです当時の私は 「またこうやって一緒にお茶を飲んだり 話をしたり 家族みんなで暮らせるのだから 手術して良かったんだよ」と 何のためらいもなく義父に言っていました退院後1ヶ月目の朝 いつも通り「おやすみ」と別れた義母が冷たくなっていました くも膜下出血でしたそれからの義父は 嚥下障害による肺炎を繰り返し 他にも癌が見つかり胆石にもなり 入退院を繰り返す大変な毎日でした義母のいない寂しさから 「死にたい」と泣きつかれた事も何回もありました入退院を繰り返す中 痴呆も出てきて今は手術したことも覚えていません 「なんでこんな傷があるんだろう」と言って お腹を見せてくれます自分の事も家族の事も少しずつ忘れていき 目の前でいっしょにいてしている会話でさえ成り立たなくなる時間が少しずつ増えていくなか そんな義父をみていると 退院後の義父の言葉が 今は胸に刺さりますあの時の生きていてほしいと思った想いは 術後の義父の人生を 命を今翻弄させてしまっているのではないかと無意味に生きることに 頑張れ頑張れと押し付けていたのでないかと当時75歳だった義父の「生きる」と35歳だった私の「生きる」は 同じ言葉であっても その言葉の意味や重さはとてつもなく違っていたのだと・・・人生色々経験し 老いも病気も受け入れ その先も受け容れる覚悟ができている義父を 長年連れ添って横で見ていた義母だからこそ 手術をしないという選択肢も視野に入れれたのでは・・・と 今は思います何が良くて何が悪いのかわかりませんが 義父母からは その年齢年齢にあった その人その人にあった 「生きる」があるのだと教えてもらっているような気がします
by なんちゃって救急医 (2008-10-06 10:39) 

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