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荘子の寓話「莫逆の友」を 現代医療風 にしてみた件 [雑感]

久浜、高石、立橋、鳥麻の四人は小学時代からの親友だった。鳥麻と久浜の家は、隣通しで、しばしば庭の境の生垣を大またで乗り越えて、互いの家を行き来したものだった。久浜は、四人の中のリーダー格で、運動能力も一番だった。鳥麻は、四人の中では一番の物知りで特に昆虫には詳しく、別名昆虫博士と呼ばれるほどであった。立橋は、一番の大柄だったけれども、少し抜けたところがあって、皆からは、”ふっとちょ”としばしばからかわれていた。高石は、色黒で、性格はおとなしめ、運動能力でも際立つところはなく、四人の中では目立たない存在だった。そんな四人は、中学時代までは常に行動を共にする仲間であった。高校は全員別々であったが、それでも頻繁に会い続けた。大学時代になると、会う頻度は減ったが、それでも年末年始などには必ず集まり、互いの近況を語りあったものだった。その後、社会人として、皆それぞれの道を進み始めた。久浜は、東京出版社に勤務して編集の仕事。鳥麻は、内科の医師。立橋は、地元の銀行で営業の仕事。高石は、パイロットとして航空会社に就職


皆がそれぞれの道を歩み始めて、20年近くの月日が流れたある日、四人は久しぶりに顔を合わせて、酒を飲みながら、語りあった。昔話に花を咲かせていたところ、ふと、鳥麻が、皆にこんな話題を振った。

「俺らももういろんな病気になってもおかしくない年だなあ。生と死が一体であると悟った人間、そうだなあ、生を背中に背負いつつ、尻には死をくっつけるような人間のことかな。そういう人間はいないものかなあ。いれば、喜んで友達になるのだが」

すかさず、久浜が答える。
「最近、職場の仲間が死んだよ。くも膜下出血だったな。46歳だった。俺も不整脈を言われてるし、人間は生と死はつねにどこかで一体とおもってなくちゃ今を楽しめないな」

高石が続いた。
「俺なんか、落ちたら終わりだしな。常に死の覚悟は、どこかで持っているつもりだな。病気になると、違うかもしれないけどな。ただ、生と死は一体だというのはわかるわ」

最後に、立橋が答えた。
「うちでもあったな。隣町の支店長が、突然死したよ。部下と歩いていて急に胸が痛いとその場に倒れてしまって・・・・・。救急車で病院に運ばれんたが、だめだったよ。心筋梗塞だってさ。51歳だったよ。前の日に会ったときは、何も変わったことななかったのにね。わからないねえ、人の生と死なんて、そんな意味では、生と死は一体なんだなって思う」

もう一度、鳥麻が言った。
「なるほど、おまえらの話を聞いて、おれも安心したよ。俺らは、生と死を一体と思いつづけるという点で一致だな。まっ、悟るってのはまだおいておくとしても」

四人は、顔を見合わせて、にっこり笑いうなづきあった。改めて、今も昔も、そしてこれからもずっと親友であることを確認しあった瞬間だった。

そんな久しぶりの集まりから一年程経ったある日、アクシデントが発生した。高石がフライトを終えた空港から自宅にタクシーで帰宅する途中に交通事故に巻き込まれたのだ。高石の乗るタクシーが右折しようとしたところ、直進する大型トラックと衝突。タクシーは大破し、タクシードライバーは即死という惨劇だった。高石は、死亡こそ免れはしたものの、顔面挫創、外傷性顔面神経麻痺、左肋骨多発骨折、肺挫傷、骨盤骨折、肝損傷、両下腿切断という重傷を負ってしまった。奇跡的に、致命的な脳挫傷は認めず、高次脳機能レベルは外傷前のままであった。

少し経過が落ち着いてきたころ、立橋が、高石を見舞いに訪れた。

高石は、立橋に言った。
「偉大だね、天の造物者は。俺の体、見てくれよ。ほら、顔をゆがんじゃったし、足は膝から先が亡くなっちゃったし・・・・・」

鏡に映った自分の姿をまじまじと眺め、
「なんとまあ、ずいぶんと私の体をいじってくれたことか」

それを聞いた立橋はこう尋ねた。
「おまえ、もうパイロットは無理だし、さすがにいやだろうね」

高石は答えた。
「んん・・ありがとうな。心配かけるな。おれもいろいろ考えたよ。そりゃ、最初は、何でおれだけが・・・・と思うこともあったさ。もう、仕事ができないと思うこともあったさ。だけどな、一年前の話をふと思い出してみたんだ。鳥麻が言ってただろう。生と死が一体でどうのこうのって・・・・。それを思い出してさあ、いろいろと考えてみたんだ。で、今は、もういやじゃないさ。さらに言うと、これ以上状態が悪くなっても、それでも結構だ。天の造物者が、今度は俺の肘を弓に変えるというのなら、鶏を撃って、チキン丼でも作ってやろう。俺の尻をタイヤに変えるのなら、トヨタに頼んで新型車として売り出してもらおう。そうすれば、俺はパイロットをしなくても生きてゆけるよ」

さらに、高石のしゃべりは留まるところを知らない。

「この世に生を受けたのは、生まれるべき時にめぐりあっただけのことだし、生を失って死んでいくのも死すべき道理に従うまでのことだ。めぐりあわせた時のままに身をまかせて、自分の運命に従っていくということなら、その生と死のために感情を動かすこともなく、喜怒哀楽の状なんて入り込む余地はないよ。こういう境地を、県解、つまり束縛からの解放というんだよ。生への束縛から自分を解放できないのは、自分の周りの環境が束縛されそれに凝り固まっているからさ。そもそも、周りの環境も、天の造物者には逆らえるわけがないのは昔からのことだ。そのことに気が付いたおれは、どうして自分の今の状況をいやがることがあろうかってところだね」

高石の交通事故から、さらに二年程経って、今度は、鳥麻が病床に伏した。原因不明の肺炎だった。内科医である鳥麻は、日々肺炎の患者を診療していたにもかかわらずだ。幸い、院内感染の兆候はない。新型インフルエンザもSARSも否定的だ。いわんや、よくある細菌性肺炎、マイコプラズマ、レジオネラなどはとうに否定済みだった。新種の未知のウイルスによる肺炎かもしれない。あるいは、自己免疫が複雑に関与した病態かもしれない。現在の医学ではとにかく説明がつかなった。しかし、病状は刻一刻と悪化への道をたどっていった。

はあはあと息も苦しげにあえず鳥麻の前に、現代医学はなすすべもない状況だ。そんな鳥麻を妻や子どもたちが取り囲み泣いていた。そこに、久浜が東京から急遽かけつけ、見舞いにやってきた。

久浜と鳥麻の妻は、以前からの知り合いでもあった。だからかもしれないが、久浜は、歯に衣着せぬ言い方で、妻にこう言った。
「静かに!奥さんは子供をつれてあちらへ。天の働きをを邪魔してはいけないよ」

久浜は、病室から家族を退室させ、ドアをぴしゃりと閉めた。そして、そのドアにもたれかかりながら、鳥麻に話しかけた。

「たいしたものだな、天の働きは。優秀な医者にさえも、こういう運命を与えるんだな。天は、おまえをどこへ連れてゆこうとしているのだろう。ねずみの肝にでもするのか、それとも虫の足にでもするつもりなのか」

すると、鳥麻は答えた。
「父母は子どもに対しては、東西南北のどこであろうと命令どおりに従わせるものだ。自然の変化が人間を従わせるのは、父母が子どもに対するどころのことではない。自然のほうで、俺の死を求めているのに、俺がそれに従わなければ、それは俺のほうが素直でないのだ。自然に何の罪があろうか。そもそも自然とは、私たちを大地に乗せるために肉体を与え、私たちを労働させるために生を与え、私たちを安楽にさせるために老年をもたらし、私たちを休息させるために死をもたらすのだ。一年前を思い出すよ。おまえらと生と死とは一体であることを話したことを。生と死は言ってみれば、一続きということだ。だから、自分の生を善しと認めることは、自分の死を善しとすることにもなるのだ。いますぐれた鋳物師が金物を鋳ようとするとき、金物の原料である金属が飛び出してきて、『おれはどうしても日本刀になるんだ』といったとすれば、鋳物師はきっとそれを不吉だと思うだろう。それと同じことさ。いま、たまたま人間の形として、この世に出てきただけの私なのに、『いつまでも人間でいたい、いつまでも人間でいたい』というとすれば、自然は、きっとそれを不吉な人間だと思うだろう。天地の広がりを大きな炉と考えて、自然を優れた万物の鋳物師と見立てよう。それによってどのように鋳られ、どんな形にされようと、何の悪いことがあろうか。けっこうなことではないか。死ぬというのなら、のびのびと眠り、生きるというのならば、ぱっと目を覚ますだけだ」


以上、荘子 内篇 第六 大宗師篇 を現代風フィクションにしてみました。現代の医療の閉塞感とどう向き合っていくかの一つの方法がそこにあるような気がしています。


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