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肺炎という触れ込み [救急医療]

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10月になった。これから、高齢者の肺炎の緊急入院の患者がしだいに増えていく時期に突入だ。秋から冬場の急性期病院は、そんな高齢者の入院で、日々満床状態が続くことが多い。軽症者を入院させることが物理的にできない台所事情をやりくりする医療者側と入院をとにかく希望する患者側(家族、施設職員、開業医の先生など)との間で、様々な交渉が展開される。 そんな交渉は、精神的にとても疲れることも多い・・・・。

本日は、そんな肺炎をネタにあげてみたい。まずは、以前に書いたエントリーの一部を再掲する。
肺炎といえども より。

時間外診療で、肺炎の患者さんと遭遇することは多い。元気で健康な人の肺炎から、高齢者で施設などで寝たきりの患者さんの肺炎まで、その種類は、様々だが、入院を扱う急性期病院の時間外診療の場では、まさに日常そのものだ。

通常、肺炎の診断にはそれほ難渋することはない。発熱、咳などの症状があり、胸部レントゲンでとると肺炎の影を認めれば、診断がついてしまうからだ。(もちろん、例外的な症例や微妙な症例は多数ある。)

診断がついたら次にすることは、外来加療でいくか入院加療でいくかを総合的に考えることになる。総合的に重症度を考えたり(A-DROPなど)、細菌性か非定型などを考えたり、時には特殊な肺炎を考えたり・・・・
まあ、そんなことを考えながら、大まかな方針をまず決めていくのだ。

時に、
肺結核の患者さんが混じってくることもあるのが、地雷的といえば地雷的かもしれない。そのためには、痰の検査が重要である。注意深い病歴も時にきっかけとなることもあり大事である。また、肺炎の中に肺ガンが隠れていることもありそれも要注意だ。

まあ、それでも、現在の日本において、診断のはっきりしない胸痛、腹痛、背部痛に比べると、地雷性がずいぶんと低いといえる「肺炎」という病気ではあると思う。

というわけで、このブログには、あまり肺炎ネタが登場しない。 

しかし、物事何にでも例外はある。ということで、本日の症例。

ある冬場の時期、日々高齢者の肺炎患者の紹介が立て続くなかでの紹介患者の一人である。以下のような紹介状が地域医療部のファックスに届き、それが救急外来に持ち込まれてきた。

81歳女性   

【紹介目的】 肺炎の加療のお願い

【既往歴】 高血圧、陳旧性脳梗塞、胃潰瘍

【経過・検査結果など】
X日(金) 全身倦怠感出現。体温36.5。嘔気あるも、便は正常。 当院にて診察、胸腹部に所見を認めず。 プリンペラン1A(吐き気止め)を入れた点滴で対応。気分改善を認めたため、帰宅。 (後日届いたこの日の採血にて CRP0.3 WBCの好中球↑)

X+1(土)、X+2日(日)  38度の熱発あり。 休日のため、自宅安静で様子をみていたとのこと。

X+3日(月)  再来。 SpO2(RA) 89%。身体診察にて、右の呼吸音がやや減弱。肺雑音は?。再度採血試行。

X+4日(火)  前日の採血結果、WBC12500 CRP 18.3。 データの悪化を認めるため、貴院にて加療をお願いする次第です。なお、当診療所ではX線の設備はありませんが、発熱、呼吸音および採血結果から肺炎と思われます。 貴院にて入院のうえご加療をお願いいたします。

【処方】

当院定期処方
オルメテック (10) 1T朝
アムロジン  (5) 1T朝
パナルジン (100) 1T朝
ムコスタ (100)  3T 分3
マグラックス(250) 3T 分3

臨時処方 (X+3)日~
クラビット(100) 4T 分2
カロナール(200) 2T 頓服 発熱時

「また、肺炎か・・・・。 データと年齢からは入院が必要そうだな・・・。もう、部屋を押さえておこう。」

この日の救急外来は忙しかった。 私は、こんな感じで、さっさとこの人の部屋をキープし、そのうえで、肺炎の評価として必要な外来で行うべく検査の段取りをI医師にまかせておいた。

当院来院時のバイタル BP 180/110、 HR 89、 RR 22、 KT 36.4、SpO2 (RA) 89。 意識は清明、見当識障害なし。心雑音なし。肺雑音はっきりせず。 胸部、背部、腰部は、触診すると、やたらと痛がるそぶりをするので、あまりまともな所見は取れていない。

ほどなくして、I医師から、私に報告が入った。

「先生~、この患者さんの胸部レントゲン・・・・・。何かおかしくないですか?」

はっきりとした肺炎像は無かった・・・・・。 だが、気になる所見があった・・・・・・。

I医師はそのレントゲンをふまえて、そのつもりで再度問診に行った。しかし、患者からとれた情報は、体全体がしんどいを繰り返すばかりでいまいち的を得ないままであった。問診で疾患を絞り込むことは不可能と考えざるを得なかった。

なお、12誘導心電図は、非特異的なT波の変化はあるが、過去の心電図と比べて新たな変化は無い。

ここまでの話で、皆様方は、どんな地雷疾患を想定しますか?

(10月2日 記) 

続きは新エントリーに書きました。
(10月4日 記)


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ゴータミーの話をフラッシュにしました [雑感]

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始めに・・・
最近フラッシュファイル作り方を少~しだけ覚えました。ほんの少しであっても素人がそれなりに楽しめますね。今回、自作のフラッシュをこのエントリーの最後においています。ネット上には、心臓どきどきの初公開です。どうぞご覧下さい。(閲覧可能な適切なPC環境などの技術的なご質問にはお答えできる知識はありません。どうかお許しを。)

さて、本題。

医療崩壊問題は、政策の問題としてだけではなく、個人の死生観の問題と深く結びつけて考えないと好転はきびしいのではないかと私は常々考えている。これに関して、私は以下のようなエントリーを書いてきた。

日本人の「死生観」と私の思い
割り箸訴訟と医療の不確実性
遺族の納得はどうしたら得られるのか..
わすれられないおくりもの
生と死は対立ではない
「死」に対するコミュニケーションに..
五輪旗で医療崩壊を語る(その1) の「1」
医療ミスはいけないことでしょうか?
高齢化社会と死生観についての私見
医療は発展し続けるべきなのか?
他人の死から自分の生を学ぶこと
赤塚氏へのタモリの弔辞に思うこと

これらの中から、2008年元旦のエントリー(日本人の「死生観」と私の思い)の後半部分を再掲する。

喪われた共同の「日本人の死生観」を復興させる私なりの提言をする。まず、医療者自らが、自らの内面を見つめ、まず自分でそれを考え、考え続けること。そして、次に、私達医療者が、その専門性に関係なく、患者に積極的にこのような気づきのアプローチをしていくこと。それらが、私達医療者が出来うる現実的なささやかな第一歩なのかもしれない。そして、それらが「個」から「社会」レベルへと上手く拡充していくとき、ようやく初めて、新たなる共同の「日本人の死生観」なるものが構築されていくのだろうと思う。少なくとも、私は、そう考えて、自らを見つめなおすとともに、今年、これから出会うであろう患者には、このような気づきのアプローチで接していきたいと思っている。

この9ヶ月、私なりにいろいろと考えた。 考えていくうちに、中国荘子老子の思想(老荘思想)に出会った。そして、それらの思想は、仏教の開祖者であるインドの釈迦の思想とも共通点があることも知った。もちろん、これらの分野を専門的に研究している人たちからみれば、不十分な知識と理解に過ぎないのかもしれないが・・。それでも、今の医療のあり方を個人的に考え直す大きなきっかけとなっていることはまちがいない。

その理解度はともかくも、これらの思想家は、生と死に真正面から直面し、考え、その思想体系を確立してきたということは明らかだ。

その一方・・・・・・
戦後の日本社会においては、「老い」や「死」と直視することを避けている風潮が蔓延しているとはいえないだろうか?この問題は、すでに多くの人が指摘している。ここでは一例として、少し古いものではあるが、柏木先生の記事を挙げておく。いや、古い記事であるが故に、この問題は、今の医療崩壊問題に始まったことではなく、昔からずっと存在し続けているといえるのかもしれない。

老いと死、若者に伝える 終末期介護20年の柏木医師
1993.03.25 朝日新聞 東京朝刊 (全1,046字)

末期がん患者らの医療施設(ホスピス)として知られる宗教法人・淀川キリスト教病院の副院長、柏木哲夫医師(五三)がこの四月、大阪大学の人間科学部教授に転身、老いと死を体系づけた「臨床老年行動学」を教える。「
現代人には死を見つめる姿勢が大切。経験をもとに、若い人たちにあるがままを伝えたい」

柏木さんがターミナルケア(終末期介護)に取り組んで約二十年になる。病院にホスピス(二十三床)ができて以来、がん患者ら千八百人が入院、うち千五百人をみとった。

末期がん患者の場合、最期の約一カ月間にその人の人生が凝縮される。感謝の気持ちにあふれた人は感謝して、不平がちな人は不平を言いながら--
人は生きてきたように死んでいく、と実感した。例外は信仰による変化だ。

死ねば一切「無」と思うとこわい。「死とはつらく悲しいこの世との別れだが、新しい世界の出発と思える人は、まだ続きがあるのでそう恐怖はない」。宗教をもつ、もたないの差と考える。大学時代からのクリスチャンだ。

「死を迎えるとき、良い人生だったと思える道を、いま生きているだろうか」と力をこめた。

三つのとき父が結核で死に、看護婦の母の手一つで育てられた。遊び場は母の勤める病院。白衣や消毒のにおいに抵抗はなく、医師は小学校のころからの夢だった。公園で父母に手を引かれる幼子の姿を見て、だれにも言えないさびしさ、つらさを味わった。

「人の心や魂に関心が強いのも、そうした点が影響したのでは」と振り返る。十四歳のとき、祖母が亡くなり、恐る恐る祖母の額に手を触れて厳粛な死を感じた。選んだのは心の医学、精神科医だった。

老いと死の現実を学生に知らせることが教育の第一歩、と強調した。若いとき活動的なほど、年をとると現実との隔たりが大きく、つらさは増す。「私自身、まだ自覚はないが、老いを受け入れるのはつらいと感じます。もう目の前ですが」と笑う。

柏木さんには、患者への安易な励ましが気になる。「
日本中、この間違いが駆けめぐっている」と嘆く。

闘病中の患者に、周りの人が「きっと治る、頑張りなさいよ」と繰り返す。本人はもう頑張りたくてもその力がないのに。「むしろ、しんどいねえ、つらいねえ、といたわりの言葉がほしい。どんなに心が休まることか」

人が生まれる時、お産を助ける助産婦がいる。亡くなる時にも安らかに死を迎えられるよう「助死婦」がいる、という。医師、看護婦だけでなくソシアルワーカーや宗教家、カウンセラーらの支えだ。将来、人間科学部からもそのスタッフを送り出したいと願っている。


私も全く同感である。問題は、多くの人にそれをどう伝えるかである・・・・・・。

最初の引用で私が述べている「気づきのアプローチ」がひとつのポイントになろうかとは思う。

そういう視点で、仏教の説話であるキサー・ゴータミーの話は極めて秀逸だ。

というわけで、これが今回のネット初公開のフラッシュです。どうぞご覧下さい。作品の時間は、2分48秒です。


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不起訴です。SAH死亡事例 [医療記事]

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久しぶりの更新です。最近、更新の頻度を落としています。今後も気が向いたら・・・の程度で書いていきます。そのおつもりでどうかお付き合いください。
さて、くも膜下出血(SAH)の診断が、ときに大変難しいことがあるというのは、このブログの読者である方ならば、もはや常識に近いことかもしれません。
しかし、そうではない圧倒的絶対大多数の一般の方は、 CTを撮りさえすれば、SAHは診断できて当たりまえという認識をお持ちかもしれません。

もしかしたら、そういう認識が、医師の処罰感情へつながったのでしょうか? 

過去にこんな事例がありました。研修医の診察後にSAHで死亡した出来事が警察から検察に書類送検され、起訴か不起訴かについて検察の判断を待っていた事例です。→SAH再出血の怖さ。書類送検時にいたっては、一部の報道でなんと実名報道(魚拓あり)ですよ。 「書類送検=犯罪者」という誤った印象を持っている人が多い中での書類送検時での実名報道・・・・、もうこれだけで、風評被害の発生源となります。

さてこの度、この事例の検察対応が報道されました。 不起訴です。

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nagano/news/20080926-OYT8T00814.htm

佐久総合病院 医師を不起訴に 地検佐久支部
 県厚生連佐久総合病院(佐久市臼田)で2004年10月、頭痛を訴えて診察を受けた佐久市の女性(当時55歳)が、帰宅後にくも膜下出血で倒れ、死亡した件で、地検佐久支部は26日、業務上過失致死容疑で書類送検された同病院の男性医師(29)を不起訴(嫌疑不十分)とした。

 長野地検の発表によると、女性は04年10月23日午後2時20分ごろ、後頭部の痛みで、男性医師の診察を受けたが、「肩こりなどによる頭痛」と診断され、帰宅。同日午後5時30分ごろ、くも膜下出血で倒れ、意識不明となり、05年1月12日に死亡した。

 地検は、診察時に、くも膜下出血に特有な嘔吐(おうと)や、頭が爆発するような痛みなどの症状がなかったことから、CTスキャン検査などを行わなかった過失は認められないと判断した。また、検査でくも膜下出血が見つかっていても、発症から手術までに6時間の安静が必要なため、約3時間後に起きた再出血を防ぐことはできなかったと判断した。

 同病院の夏川周介院長は「改めて、亡くなられた女性のご冥福(めいふく)をお祈り申し上げる。病院としては、医療に内在するリスクの低減に向け、今後も不断の努力を重ねる」とのコメントを出した。

(2008年9月27日 読売新聞)

検察の方々もいろいろと大変であったでしょうが、賢明なるご判断だと思います。

「CT撮ればええだけやったんちゃう?だから、撮らんかった医師が悪いんちゃう? なんで不起訴?」 とお感じなる方もいるかもしれません。
そんな方には、このエントリーをご参照いただければと思います。
頭痛を訴える若い女性   SAH地雷の確率計算

多くの医療者は、SAHという難しいという病気に対して、診断や治療の向上という不断の努力を続けているものなのです。このブログの狙いは、SAH診断のピットフォールという面から、多くの医療者と情報共有をもつことによってその診断力の向上につなげようというものです。同時に、たとえリスク軽減の努力は実行していても、悪い結果は、決して0にならない-つまり、ゼロリスクは決して存在しない-という認知の普及も狙っています。


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○○○○(=劇症肝炎)という地雷 [救急医療]

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当ブログでは、地雷疾患(疾患をこのように表現するブログ主の意図はこちら⇒地雷番付表)を紹介してきた。しかし、あるとき、健康だった人を突然死の淵に追いやってしまうような怖い疾患は、まだまだたくさんある。 そこで、本日は、当ブログで初見の疾患を紹介することにする。 

医療者側の立場からすれば、その疾患も、れっきとした地雷疾患の一つであると言えると思う。患者さん側の立場からすれば、元来若く健康な人であったとしても突然生死の境をさまようことになる疾患でもあるので、悪しき結果(死など)をつい医療者の不手際のせいではないかと疑心暗鬼になる気持ちもになるのも致し方ないのかもしれない。しかし、どんなに現代の最先端の医療が手をつくしても、その力及ばず、死という残念な結果を招く可能性が依然高い疾患であることには変わりない。

そんなとき、その人その家族にとってこんな気持ちがしばしばわきあがる。
「なんで私だけが・・・」
「なんであの人だけが・・・」

運命とは時に悲しいまでに非情である。

医療とは、その運命の流れに逆らおうとする人智のささやかなる抵抗に過ぎないものなのかもしれない。だからこそ、私達は、普段の日常生活の中で、その非情な運命が自分や自分の家族に向いてしまったときの心の拠りどころをどこに求めるかあらかじめ考えておくのがよいのかもしれない。

そんな非情な運命を受容し乗り切っていくための一つの方法が宗教といえるのかもしれない。

では、そろそろ本日の症例

22歳 男性  全身倦怠感。

元来健康。既往歴・家族歴に特記事項なし。4日ほど前より、咳と発熱が出現し、休日診療所を受診。感冒薬処方された。本日より、全身倦怠感が増悪、嘔気も少し出てきたため、G医院を受診(初診として)。近医受診時:意識は清明 BP108/63 HR 95整 KT36.8。 G医院の院長は、身体診察にて、はっきりと◇◇(=黄疸)を認めたことより、検査ができる施設にすぐに行くのがよいと判断。そのような経過をふまえて当院救急外来を独歩受診した。

私達も診察した。 全身倦怠感があるとは言うものの、本人は元気そうである。 そのうち、採血データが帰ってきた。 

「うあ~~~、こりゃいかん」 と私達は驚いた。

本人に絶対入院と伝えると
「え~~、それは困る。薬で何とかならんですか。」と私達に懇願。

私達は、患者の母親にも連絡をとらせてもらい、入院の必要性を説明。
私達の強い入院の勧めに、ようやくしぶしぶと本人納得し、入院。

そして、その日の夜、病棟で事態が動いた・・・・・。

深夜、巡回にきた看護師が、真っ暗な総室の中のカーテンで仕切られたベッドの一室で、わずかな薄暗い明りを頼りにベッドサイドのゴミ箱をあさっている患者を発見した。

看護師 「どうしまたか? Sさん(患者のこと)。」
Sさん  「おい、俺のパンツ知らないか?ないんだ、どこ探してもないんだ・・・」

声をかけられ振り向いたSさんは、そう答えるとまたすぐにゴミ箱を探し始めた。
看護師も一緒に探し、本人が読んでいたと思われる文庫本がTV台の脇に落ちているのを発見した。

その文庫本を見せながらSさんに看護師は語りかけた。

看護師 「これですか?」 
Sさん 「そう、それやそれや・・・・・・・」

Sさんは、にやにやとしながらそれを受け取った。そしてさらに何かをつぶやいていた。
看護師には何をつぶやいていたのかよくわからなかったという。

この辺でそろそろ止めておきます。

さて、この患者さんはどんな地雷疾患なのでしょう。
○○○○は、漢字四文字の疾患名。 ◇◇は、身体症候で漢字二文字です。

しばらくコメントは開放せずにいます。ある程度の数のコメントが頂けた時点でおいおいとコメント欄開放させていだきます。たくさんのコメントお待ちしております。

○○○○と◇◇は、後日追記アップ時に書換え予定です。

(9月19日 記)

(9月21日 以下追記)
皆様、ありがとうございました。 コメント欄 9月21日 午前9:00 開放させていただきました。

私の予想を超えたたくさんのコメントをいただきました。コメント解答をしばらく非公開にすることの効果でしょうか?比較的お答えいただきやすい症例だったからでしょうか? いずれにせよ、ありがたいことです。

さて、今回は統計はとりませんが、8割方くらいの印象でしょうか。私が想定していた次の解答を当ててくださいました。
○○○○という地雷=劇症肝炎という地雷、
◇◇という身体症候=
黄疸という身体症候


非医療者の方々もおられると思いますので、劇症肝炎とはどんな病気であるかというものの参考サイトを引いておきます。
難病情報センターより  一般の方向け  医療者の方向け

上記サイトより引用すれば、これくらい死ぬ病気ということです。 

救命率は急性型が56%、亜急性型が39%に昇っております。(原文引用)
ということは・・・・・
死亡率は急性型が44%、亜急性型が61%に昇っております。(ブログ主による原文言い換え)

つまり、劇症肝炎にかかると生きるか死ぬか五分五分ということですね。十分怖い病気でしょ・・・・・・。

提示した症例についてです。

主な初診時血液データ  
Hb 14.7 WBC 7100 PLT 10.8↓ T-Bil 13.6↑ D-Bil 9.1↑ AST 4039↑ ALT 5010↑ ALP 261 γGTP 145↑ LDH 1708↑ BUN 14 CRE 0.7 Na 140 K 3.8 Cl 100 CRP 2.5 AMY 35 NH3 51 PT(再検確認済)  15%↓

元来健康な若年成人の方が、初診でこんなデータをしていたら、皆様もさぞびっくりされるでしょう。なお、夜に精神症状(肝性昏睡Ⅱ~Ⅲ度)が出た後のNH3の値は233でした。

詳細は割愛しますが、この症例は、初感染の急性B型の劇症肝炎と診断されました。 移植も検討されましたが、幸いにもそこまでは行かずに、専門医による賢明な治療(ステロイドパルス・血漿交換・持続的血液濾過・抗ウイルス薬など)により、突然近くにやってきた死の淵を渡ることなく、自分の力と医療者の援助により、無事生還することできました。

この症例、診断という意味だけではあまり地雷的ではないかもしれませんが、それでも、風邪症状の患者を軽く見る対応ばかりをしていると、検査がないがしろになりがちです。そんなときは、劇症肝炎という地雷を踏むかもしれません。要注意です。

こんな報道覚えてますか? 劇症肝炎で亡くなった吉本の若手芸人の河本さんです。

25歳、吉本漫才師 ベイブルース 河本栄得さん 劇症肝炎で死去
1994.11.02 日刊スポーツ

上方漫才のホープ、ベイブルースの河本栄得さん(かわもと・えいとく=本名同じ)が10月31日午後4時48分、大阪市内の病院で劇症肝炎の進行による脳内出血で亡くなった。25歳の若さだった。疲労による急性肝炎と診断され10月19日から入院していた。吉本興業所属で、将来を嘱望されていた若手実力派だけに、関係者は大きなショックを受けている。河本さんは
13日ごろから風邪気味で熱があるなどと体の不調を訴えていた。しかし、テレビ番組のロケでミニ・トライアスロン(水泳200メートル、自転車5キロ、マラソン5キロ)をこなすなど休む間がなく、19日になって近くの病院に自分で出向いて診察を受けたところ、疲労による急性肝炎と診断され直ちに入院した。20日夕方にはICU(集中治療室)に移され、22日夜には意識がなくなり、こん睡状態に陥った。その後も一進一退が続き、31日になって容体が急変。母や妹など身内に見守られて息を引き取った。皮肉にも11月1日は河本さんの26回目の誕生日で、通夜の行われた大阪市内の葬祭場には女子高生を中心にファン約200人も詰め掛けた。河本さんは吉本興業所属で1988年(昭63)5月、相方の高山知浩(26)と漫才コンビのベイブルースを結成。90年(平2)にはNHK上方漫才コンテストで優秀賞、91年には上方お笑い大賞の銀賞に輝いた。心斎橋2丁目劇場での活躍で関西では女子中、高生に人気が高く、ダウンタウンを追いかける若手コンビとして期待をかけられていた。河本さんも「来年は1億円プレーヤーや」とはしゃいでいたが、それも夢になってしまった。この日会見した高山は「早う、仕事に戻ってきてくれ。そればかり思っていた。それが、あいつ、悪うなるばかりで、何年かかってもいいから、治ってほしかった」と涙を見せた。河本さんは医師から「何%かでも望みがある」と言われ、「先生、そんなに悪いんですか」と悲そうな声で聞いたこともあったという。今月19日にリリースされる初CD「夫婦きどり」がベイブルースとして最後の仕事になった。高山は「僕が頑張って売れれば、あいつは“伝説の人間”になる。今まであいつのおかげでここまで来れた。今度は僕が頑張る番」と言い切った。
★間「かわいそう」
河本さんを主演映画「ファンキー・モンキー・ティーチャー5」で起用した吉本興業の先輩、間寛平(45)は、10月31日に河本さんの悲報を聞いたという。「あいつ、見るからに健康的やないですか。かわいそうになあ」と声を湿らせた。間が河本さんに最後に会ったのが今年5月。「もうずっと映画に出てくれていて、プロデューサーと“パート6もあいつらに出てもらおうや”と話していたんです。二人ともまじめやったし、腰も低い。若いヤツの面倒見もいいしな」。1日、間は都内でボルネオ島で行われたサバイバルレース「レイド・ゴロワーズ」の完走会見に出席した。間は同レースで参加台数40台のうち15位でゴールし、日本人として初完走だった。会見中は「一円玉くらいの精神ハゲができた」など過酷なレースであることを、ユニークなエピソードで強調していたが、最後は「レースで汚い水飲んだりしてた僕らがなんともなくて、健康そうやったアイツが死んでしまうなんてな」とつぶやいていた。


漫才「ベイブルース」で人気の河本栄得さんが劇症肝炎で急死
1994.11.01 毎日新聞大阪夕刊

若手漫才師として関西の女子高生らに人気のあった「ベイブルース」の河本栄得(かわもと・えいとく)さんが十月三十一日午後四時四十八分、劇症肝炎による脳出血のため入院先の大阪市天王寺区の大阪赤十字病院で死去した。きょう一日が二十六歳の誕生日だった。葬儀・告別式は二日午後一時、喪主は母末子(すえこ)さん。河本さんは、「ダウンタウン」らが卒業した吉本総合芸能学院の出身。大阪市立桜宮高校野球部で同期生だった高山知浩さん(26)とコンビを組み、一九八八年に「ベイブルース」を結成、「心斎橋筋二丁目劇場」を中心に活躍。上方漫才大賞新人奨励賞(九○年)、上方お笑い大賞銀賞(九一年)を相次いで受賞。軽妙なやりとりで劇場ではトップクラスの人気コンビだった。今春からベテランにまじって「なんばグランド花月」や「うめだ花月」に出演。入院直前には二人で作詞したCD「夫婦きどり」をレコーディングし、将来を期待されていた矢先だった。先月十九日朝、発熱して動けなくなり入院。漫才仲間が交代で看病に詰めていたが、三十一日になって容体が急変した。

脳出血は、DICによるものでしょうか? 赤字に示した経過を見ると劇症肝炎の進行の怖さが伝わってきます。助からなかった一例として引用してみました。

こんな訴訟もあります。

「娘の死は診断ミス」 父親ら、病院と国を提訴
2003.12.11 読売新聞 中部朝刊

肝炎の治療を受けた中学生の長女(当時十四歳)が死亡したのは、受診したXXX市内の病院と転院先のXXXXX病院の診断ミスが原因として、XX市内に住む父親(39)ら遺族が、XXX市市内の病院と国を相手取り、約八千万円の損害賠償を求める訴訟をT地裁に起こした。原告側代理人によると、中学生は今年N月
十三日に肝炎を発症、翌十四日にXXX市内の病院で急性肝炎と診断され、そのまま入院した。しかし、症状が改善せず、十六日午前、XXXXX病院に転院したが、同日午後七時ごろ、溶血性尿毒症症候群で死亡した。遺族らは、中学生は急性肝炎ではなく、より進行が早い劇症肝炎だった疑いがあり、XXX市内の病院が症状や血液検査などから適切な診断をしなかったため、治療や転院処置が遅れたとしている。また、XXXXX病院は、ただちに輸血や人工透析をするべきだったとしている。XXX市内のこの病院は「訴状が届いていないのでコメントできない」としている。


長女の死亡は誤診が原因  XXXXX病院を提訴
2003.12.10 共同通信

黄疸(おうだん)の症状が出て入院した中学生の長女=当時(14)=が死亡したのは、医師らが劇症肝炎を急性肝炎と誤診したのが原因だとして、XXXX市の両親が、XXX市の「XXX病院」とXXXXX病院に対し、合わせて約八千万円の損害賠償を求める訴訟をT地裁に起こしていたことが、十日分かった。弁護士によると、長女は今年N月診察を受けたXXX病院で急性肝炎と診断されて入院。二日後に容体が悪化し、XXXXX病院小児科に転院したが、その夜多臓器不全などで死亡した。原告は、両病院の医師らが急性肝炎と誤診し、XXX病院は転院を遅らせ、XXXXX病院も早期の輸血と人工透析を怠ったとしている。XXX病院のT事務長は「訴状を見ていないので詳しいことは言えないが、医師は自信を持って適切な処置をしたと受け止めている」としており、XXXXX病院は「訴状が届いていないのでコメントできない」としている。

臨床経過は早そうですね。劇症肝炎の恐ろしさの一端をここにも垣間見ます。ですが、この報道では、妥当な医療が行われたのか否かについては論評不可能です。むしろ、見出しのつけ方と病院の実名報道により、医療の妥当性とはまったく関係のないところで、風評被害だけが先行しそうです。 この見出しのつけ方最悪だとおもいませんか?診断ミス、誤診とどうしてマスコミが確信をもてるのでしょう???  そして、報道しっぱなしの姿勢。  この裁判の結果をご存知の方はいませんでしょうか? 私の検索能力では、判決を知ることができませんでした。 有料新聞記事検索(G-search)で探しても、最高裁判所の判例検索を使っても、手元にある医療訴訟の本をあさっても、判決が見つからなかったのです。マスコミは、「提訴段階のみの報道しっぱなしで後は知らん」という態度であった可能性が高そうです。患者側の要求が認容されていればマスコミが報道した可能性が高いと仮定すれば、報道しなかったことは、原告敗訴ということではなかったのだろうか?と推定はできそうです。個人的な推定であり、確証はもてませんが。

劇症肝炎の患者さんが、最初から集中治療のできる病院を受診するわけではなく、感冒様の症状で、開業医なり、時間外診療なりを最初に受診する可能性が高いわけですから、高次医療施設への転送判断の時期が訴訟という観点からは大きなポイントになりそうです。

最後にまとめです。

本日のまとめ
まったく健康な人でも突然劇症肝炎で命を失うこともある。その生死は5分と5分といったところである。
医療機関は高次施設への転送判断がひとつのポイントなのかもしれない。

(9月21日 9:00AM 記)


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捻転した症例の紹介 [救急医療]

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???

本日は、4症例を提示する。この4症例は、ある共通した病態をもっている。本日のテーマはその病態である。この病態を視野に入れておくことは救急初期診療においてとても大切なことであると思う。では、さっそく症例。

症例1 16歳 男性 左下腹部痛  (自験例ベース)

6日前より発熱、頭痛、嘔気などあり、近医(N医院)を受診していた。昨日もN医院を受診して点滴加療をうけた。その診察の際腹部触診をうけた際に嘔気が増したとのことであったがそのまま様子を見ていた。本日、11:00AM、突然左下腹部痛の激しい痛みがあり、N医院受診。激しい痛みを訴えるため、N医院では対応不能と判断され、当院を紹介された。当院来院時、意識:清明、発熱なし、その他バイタル異常なし。腹部は平坦軟であるが、疼痛のためじっとしていられない状況。 腸音は正常。 WBC6600、CRP0.0、他異常なし。

担当したのは研修医。 なんと秒殺診断。 研修医先生、GJでした・・・・・・。

症例2  28歳 女性 正中下腹部痛 (自験例ベース)

月経困難症気味で、月経時は市販の痛み止めを常用していると言う。婦人科通院歴はなし。最終月経 開始日は10日前、5日間。本日12PMより、徐々に増悪する下腹部正中部の痛みが出現。昨晩作ったカレーのせいでは?と患者も母親もしきりに訴えている。14:20PM、救急車で当院へ搬送。 症状が出始めてすでに5回嘔吐している。下痢はない。当院来院時、意識:清明、発熱なし、その他バイタル異常なし。腹部は平坦軟。診察時は痛みは自制内。下腹部正中膀胱上部あたりに圧痛認めるが、リバウンドはない。腸音は正常。WBC6400、CRP0.2。妊娠反応は(-)。

腹部エコーで、な~るほど・・・・・という感じ。 

症例3 86歳女性 右上腹部痛   (引用症例 後日引用先明示)

前日の夜から右上腹部痛があり近医受診し,腹膜刺激症状を認め急性腹症として紹介来院した。体温:38.9℃,腹部全体に圧痛,反跳痛と筋性防御がある。 腹部CTの一部を供覧。
図4.jpg

症例4  80歳男性 上腹部痛  (引用症例 後日引用先明示)

数時間前に急激に発症した腹痛で来院した。痛みは上腹部から臍周囲に及び,嘔吐や下痢は ない。体温:37.0℃,左側腹部に圧痛と筋性防御がある.腫瘤は触れない。腹部エコー検査では特記すべき所見を認めない。腹部CTの一部を供覧
図3.jpg

4症例とも共通した病態があります。症例3と症例4は、ちとマニアックかもしれませんが、共通病態として引き合いに出すことで、皆様の記憶にとどまり、日本全国のどこかで早期診断早期治療をうけられる人がでると良いなあ~と勝手に期待しながら出させていただきました。

さて、4症例の共通病態とは何でしょう? 漢字二文字です。 エントリータイトルは追記時に書き換え予定。「○○する症例の紹介」というタイトルでしたが、「○○した症例の紹介」のほうが、より日本語として適切かと気がつき、修正しました。ちなみに症例1と症例2はマークすべき緊急疾患としては普段の診療の射程内においておきたいものです。症例3と症例4は、かなりマニアックなので症例1と症例2の共通病態をヒントに想像するといいかもしれません。
(9月13日 AM記事アップ PM21 エントリータイトル修正)

(9月15日 追記)
いつもながらたくさんのコメントをいただきました。ありがとうございます。今回私が想定した病態は、皆様のご指摘どおりの「捻転:torsion」でした。捻転した臓器はその程度によりますが、血行障害を伴いそれが時間とともに組織壊死につながりますから、捻転という病態は、救急初期診療的には、マークすべき重要な病態と言えます。だからこそ、クイズ形式で今回提示させていただいた次第です。

では、症例毎に。

症例1  精巣捻転

うちの部署をかつてローテートしてくれた研修医が、いい仕事をしてくれたケースです。10代(若年)男子、突然発症の下腹部の痛み というだけで、十分に急性陰のう症を疑い、陰部視診が必要です。 研修医の先生は、それを忠実に現場で実行してくれたからこそ、秒殺診断ができたわけです。このケースは、なまじ感冒や胃腸炎くさい先行病歴があるだけに、かえってそれに引っ張られ、陰部の診察をつい忘れがちになるところでした。泌尿器科にコンサルトして、精巣捻転の最終診断が下り、捻転整復に成功し事なきを得ました。私は、先行病歴の病態と今回の捻転の病態は、それぞれ別物の病態と解釈しています。(別病態と考えるのが適切かどうかは泌尿器科の先生のご意見をお伺いしたいところではありますが・・・)  関連エントリーです ⇒ 泌尿器科領域の地雷疾患

症例2  卵巣腫瘍茎捻転

エントリー数が多くなると、いつ何を書いてきたかだんだんわからなくなってきました・・・・・・。moto先生にご指摘いただきまして初めて気がつきました。なんや、もう書いてたやんこの症例!!と。関連エントリーです ⇒ 悩ましい若い女性の下腹部痛

エコー画像はこんなかんじでしたので、これでもう茎捻転から考えなくてはいけないと考えたわけです。
torsion.jpg


で、実際婦人科の先生の診察を経てそれが確定し緊急手術の運びとなったわけでした。

症例3と症例4は、いつも現場で愛用している急性腹症のCTの著者であります堀川先生のサイトから引用させていただきました。いつもありがとうございます。どちらも頻度はそんなに高い疾患ではありませんが、体の臓器はいろんなところが捻転するもんだなあとお感じいただければ幸いです。

症例3 胆嚢捻転

http://www.qqct.jp/seminar.php?id=935 から引用させていただきました。解説などはリンク先をご参照ください。 私は一例だけ経験があります。といっても遠い昔の話ですが・・・・。もちろん自分で診断したわけではなく、外科の先生に遊走胆嚢なる概念があり、それで捻転をおこすことがあると教えられて、当時「へえええ・・・」と感心した程度の経験です。


症例4 大網捻転

http://www.qqct.jp/seminar.php?id=920 から引用させていただきました。解説などはリンク先をご参照ください。意外な臓器も捻転するんですね。これは、知識としてその存在を知っておかないと、いくら画像を診ても診断することはできないと思います。 

というわけで
○○した症例の紹介とは捻転した症例の紹介というのが今回の答えでした。

それはそれとして、このエントリー:怖い失神(3) の教訓以下のところをご覧ください。 そこで、VINDICATE+Pの話をしています。その「T」の所にTorsionの「T」を加えてみたらどうかという私見を書いています。今回の症例提示を通して皆様にもご納得いただけましたら幸いです。いずれにせよ、救急診療における地雷疾患をはずさないためには、「捻転」という病態の認識は重要であると私は思います。 最後に余談になりますが、腸捻転という表現自体は、少し素人ちっくな香がしますが、これはれっきとした地雷 絞扼性イレウスのことに他なりません。


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救急の日:PUSHプロジェクトの紹介(追記) [救急医療]

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昨日9月9日は、救急(QQ、99)の日でした。昨年もこの日はエントリーとしてとりあげました。→救急の日 

ということで、今年も。

今年は、あるプロジェクトを紹介します。こんなプロジェクトです。→PUSHプロジェクト 

これは、京都大学の石見(いわみ)先生を中心とするプロジェクトです。先日、大阪地区ではテレビでも放送されていました。ご紹介させていだきます。

NPO大阪ライフサポート協会が中心となり、胸骨圧迫とAEDを地域に浸透させていくことを目標としたPUSH projectが本格始動しましたので、ご紹介させていただきます。

プロジェクトの目標は、短期間(2年毎)に人口の10%以上に胸骨圧迫のみの蘇生法とAEDの使用法をマスターしてもらい、院外心停止例の救命率を向上させること、合わせて命を大切にする教育を学校に普及させることです。

まずは、最初の2年間をキャンペーン第一期として、大阪をモデル地区に上記達成を目指すとともに、全国でこの活動を広めて行けたらいいなと構想(妄想)しています。大阪ウツタインで、この活動の効果の検証も合わせて行う予定です。今後も続々と、PUSH projectを普及させるためのイベントを企画していく予定です。

是非、趣旨にご賛同いただき、PUSHキャストになって、一緒に活動して下さい!!(キャストについてはHPをご覧下さい)周りの方にもPUSH projectを紹介していただき、この輪を広げていってくれたら嬉しいです。

※まずはモデル地区を大阪に設定していますが、活動対象は全国です!!

一般の方にたくさん参加してもらえることは、すばらしいことだと思います。私もこのブログを通して支援いたします。

突然の心肺停止に陥った患者の初期対応にあたる救急の現場に携わるものとしては、時々、「もっと早く・・・していれば・・・」と痛切に思うことがあります。我々は、何を「もっと早く」と感じるのでしょうか?

それは、早期の胸骨圧迫と早期の除細動です。

この二つの処置に関しては、救急車が到着する前に、偶然そこに居合わせた一般市民の方の手で早期に開始することが有用であることは、すでに多くのデータとして証明されています。それらは、2005年に発表された世界共通の蘇生の国際コンセンサスに多くの影響を与えています。

え?人工呼吸は? 

と一般の方はお感じになるかもしれませんが、世界の趨勢は、胸骨圧迫と早期除細動です。
その根拠は?と思われる方のために、こちらのサイトを引用しておきます。

では、そろそろ本日の症例です。(本日は、クイズ形式ではありません)

症例1   48歳男性  CPAOA(来院時心停止)

高血圧で近医通院中ではあるが、元気。某大手企業に勤務するやり手の部長(だったらしい)。部下と道を歩いている最中に、突然、胸を押さえそのまま倒れこんだ。びっくりした部下は、大声を出しながらあたりを見回すと、偶然すぐ目の前に医院の看板を発見。そこに駆け込み、助けを求めた。

看護師 「119をして、それまではうちで応急処置をしましょう」

と言って倒れた部長を部下と看護師2名で処置室のベッドに寝かせ、胸骨圧迫などが開始された。

(注:これは、ずいぶん前の話であり、AEDの普及はもちろんのこと医療従事者に対する蘇生教育システムも不十分の頃の話である。)

院長 「 挿管する。 用意して!」 

とすぐに気道確保の準備にとりかかった。元々外科医として長く勤務医経験のあった院長は、開業して以来久しく挿管手技とは疎遠だった・・・・・。そのせいだかどうかは?だが・・。

院長 「ん、難しいな・・・・」 

と悪戦苦闘。無理もない。患者はやや肥満体型で、首も短かったのだ。すでに救急隊は到着。119コールからすでに7分が経過していた。 

さらに3~4分が経過。

院長 「よっしゃ!入った。」
院長 「これで呼吸はOKだ。あとは救急隊よろしく!」 

そこで初めて車内収容時にモニタがつけられた。平坦な波形だった。もちろん、除細動適応ではない。

20分後、当院に到着した。約一時間近く心肺蘇生処置を懸命に行った。反応はなかった。高校1年の娘と中学2年の息子と奥さんに状況を告げ、家族3人立会いのもとで死亡確認を行った。 全身CTで突然死の原因を検索しにいったが何も所見はなかった。解剖まではなされなかったので確定診断には至っていないが、心筋梗塞による突然死が最も合理的な死亡原因だと推定した。

心室細動は発症すると、心筋は細胞内のATPを利用しながら痙攣を起こす。そのとき得られる心電図波形が不規則なこんな波形だ。 時間が経つとATPもだんだん枯渇していき、その振幅は段々小さくなり、やがて完全に枯渇してしまう。当然心筋の活動は終焉を迎える。そうなったとき、波形は平坦となる。時間にして10分程度でそうなると言われている。ここまで経過してしまうと救命の可能性は限りなく0に近い。的確な胸骨圧迫は、その平坦になるまでの時間を延長すると言われている。つまり、的確な胸骨圧迫を行うことによって、除細動による心拍再開の可能性が増すことになるのだ。だからこそ、胸骨圧迫の普及は重要なのだ。

「この患者も始めはきっと心室細動だったのだろう。挿管処置に費やす間に波形は平坦になったのだろう」
と私達は考えた。

そして、その考えからこんな気持ちが自然と生じる。
「もっと早く除細動がなされていたら・・・・・、
挿管に手間取るよりも先に除細動がなされていたら・・・」


こういう反省の気持ちは、更なる発展への糧になる。事実、多くの医療者がそういう気持ちを抱き続け、救命向上のための努力を続けてきたからこそ、今のAED(自動対外式除細動器:一般の人も使用可能な機器)の普及があるということを、一般の方は決して忘れてはならないと思う。

一方、この気持ちから、こういう方向性も自然と生じる。
「もっと早く除細動していたら助かった高度の蓋然性がある。
よって、賠償義務が発生する。」

という法のロジックだ。これも一つの考え方ではあろう。(個人的には、あまり積極的には受け容れたくない考え方であるが・・・・)

家族への感情や思いの側へ社会がぐっと歩み寄れば、法の考えに沿った立ち位置になるであろうし、医療を社会のインフラとして守らなければならないという思いへ社会がぐっと歩み寄れば、医師達がふだんから主張する医療の不確実性を配慮した考えに沿った立ち位置になるであろう。

社会がこれから、どういう立ち位置の方向に進んでいくのか? 私は、後者であってほしいと切に願う一人ではあるが・・・・。その答えの一つがこれから議論される医療事故調査委員会のあり方に出るのだろうと私は思っている。

さて、もう一度PUSHプロジェクトの話に戻ります。次の赤字の部分についての私見です。

院外心停止例の救命率を向上させること、合わせて命を大切にする教育を学校に普及させることです。

私は、このプロジェクトに直接関わっていないので、その実情はよく知りません。そのことをふまえて私なりの提言をしてみます。多くの市民が心肺蘇生に積極的に関わるこということになれば、必然的に多くの市民が死に直面するになるということを意味します。それは、いくら早期除細動がAEDや胸骨圧迫が有用だとしても、突然倒れた人に対する100%の治療ではないからです。ここにも当然ながら医療の限界があるのです。だからこそ、処置に参加した一般市民の救助者が、自責の念に駆られないですむように死への教育も極めて重要でないかと思うのです。これが生と死は表裏一体不可分な性質があるという考えに基づく私の主張です。

蘇生の講習会のときに併せて死への啓蒙もおこなうこと

これは極めて重要だと思います。 すでにプロジェクトの中にそのことが組み込まれているとしたならば、単に私の不勉強ということになります。ご存知の方がもしおられましたら、コメントなどでご指摘いただければ助かります。私が主催するICLS講習会では、ほんのちらっとではありますが、救助者自身が自責の念に駆られないですむようなメッセージを交えながら行っています。

最後に本日のまとめです。
PUSHプロジェクトを通して、院外突然死の死亡率がより低下することを期待します。当ブログはこのプロジェクトを応援します。

(9月12日 追記)

小児集中治療の先生からのコメントをいただきました。とても大事なご指摘ですので、エントリーに追記させていただきます。

成人と小児では、心停止にいたる原因背景が異なります。 前者は、心臓停止まずありき、後者は、呼吸停止まずありきが多いと言われています。従いまして、小児領域では、人工呼吸の有用性は高いといえます。

以下を追記します。

成人の心肺蘇生では、胸骨圧迫と除細動が先決だが、
一方、
小児の心肺蘇生では、やはり気道確保と呼吸が先決

 


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SAHはどれ?続き [救急医療]

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前回エントリーの続きです。 31名の方から回答をいただきました。ありがとうございまいた。
医師27名、非医療者4名の内訳でした。また、CT画像を診る日常性では、日常的14名、かつて日常的4名、非日常13名でした。

今回の解析におきましては、

4) 標準的な医療レベルという視点からみて見逃しは許されないと思う画像No。は?

の問いに答えていただいた28名について、正診率(過剰診断率)や、所見見逃し許容率などを画像別に算出してみました。

実は、私が一番注目してたのは、画像13番の結果です。 この画像の症例は、とても非典型な病歴でした。「頭痛なし、4日前の下痢、嘔吐、頚部痛のエピソード、来院日はなんとなく首が痛いので整形外科を受診しようとしたら、すでに受付時間を終えていたため、その理由のためだけに救急外来に流れてきた」という病歴です。画像的にも出血はうっすらで、見逃しという意味では超地雷的という症例と思いましたので、今回、皆様に画像を見てもらいその反応を知りたかったのです。その画像13は、見逃し許容率が50%であったという結果で、私的には非常に興味深い結果でした。

では、以下に各画像の結果を示します。 皆様のご感想などをコメントいただければ幸いです。


<SAHの患者の画像 1,4,7,8,13 の集計結果>
正診率は非常に高い結果となりました。個人的には画像13の結果に注目していましたが、なんと全員が所見をとる結果となりました。その意外な結果に画像クイズと実際の臨床現場との解離を感じました。もし、画像8、画像13の症例が、SAHの見逃し事例として医事紛争にまで発展したとき、鑑定医師の間でも画像解釈においてまっこうから意見が対立しそうな気がします。今回の見逃し許容率の結果から、私はそれを感じとったわけです。

 図1.jpg
27人の方が、SAH所見ありと読みました。正診率96%
そのうち、標準レベル医療において、この所見の見逃しを許容する方は、0人(0%)でした。





図4.jpg

26人の方が、SAH所見ありと読みました。正診率93%
そのうち、標準レベル医療において、この所見の見逃しを許容する方は、0人(0%)でした。

※脳内出血と勘違いしやすいタイプですが、前大脳動脈瘤破裂のSAH像です。

図7.jpg28人の方が、SAH所見ありと読みました。
正診率100%
そのうち、標準レベル医療において、この所見の見逃しを許容する方は、1人(4%)でした。

こんな臨床経過です⇒家族の検査希望が救った命

図8.jpg

20人の方が、SAH所見ありと読みました。正診率71%
そのうち、標準レベル医療において、この所見の見逃しを許容する方は、13人(65%)でした。

注:厳密にはSAH画像所見とするかどうか異論もあろうかと思いますが、SAHを見逃さないためにという視点にたち、ここではこれも1つの所見とさせていただきました。既出画像です⇒あなどれない頭重感
図13.jpg

28人の方が、SAH所見ありと読みました。
正診率100%
そのうち、標準レベル医療において、この所見の見逃しを許容する方は、13人(46%)でした。



<SAHではない方のCT画像 2,3,5,6,9,10,11,12,14の集計結果>
SAHがあるという前提で所見を捜しに行こうとする心理が働きますから、必然的に深読みが多くなることは容易に推定できます。これも後知恵バイアスの一種といえるでしょう。実際、過剰診断率(%)が思いのほか高い結果となっています。一方、見逃し許容に関しては、圧倒的にSAH患者の画像群と比べて、寛容的です。その寛容性こそが、深読みし過ぎているのでは?という回答者の心理を表しているように思います。小脳テント部分の白い部分を深読みされた方が多いのかな?という印象です。


図2.jpg
3人の方が、SAH所見ありと読みました。
過剰診断率11%
そのうち、標準レベル医療において、この所見の見逃しを
許容する方は、3人(100%)でした。



図3.jpg
9人の方が、SAH所見ありと読みました。
過剰診断率32%
そのうち、標準レベル医療において、この所見の見逃しを
許容する方は、9人(100%)でした。



図5.jpg
16人の方が、SAH所見ありと読みました。
過剰診断率57%
そのうち、標準レベル医療において、この所見の見逃しを
許容する方は、14人(88%)でした。



図6.jpg
2人の方が、SAH所見ありと読みました。
過剰診断率7%
そのうち、標準レベル医療において、この所見の見逃しを
許容する方は、2人(100%)でした。



図9.jpg
3人の方が、SAH所見ありと読みました。
過剰診断率11%
そのうち、標準レベル医療において、この所見の見逃しを
許容する方は、3人(100%)でした。



図10.jpg
13人の方が、SAH所見ありと読みました。
過剰診断率46%
そのうち、標準レベル医療において、この所見の見逃しを
許容する方は、11人(85%)でした。



図11.jpg
15人の方が、SAH所見ありと読みました。
過剰診断率54%
そのうち、標準レベル医療において、この所見の見逃しを
許容する方は、12人(80%)でした。



図12.jpg
2人の方が、SAH所見ありと読みました。
過剰診断率7%
そのうち、標準レベル医療において、この所見の見逃しを
許容する方は、2人(100%)でした。



図14.jpg
4人の方が、SAH所見ありと読みました。
過剰診断率14%
そのうち、標準レベル医療において、この所見の見逃しを
許容する方は、3人(75%)でした。


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くも膜下出血(SAH)はどれ? [救急医療]

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本日のエントリーは、くも膜下出血(略称:SAH)についてです。SAHは地雷疾患の一つとして、当ブログで頻出項目の一つですが、本日は、SAHの画像所見ということをテーマにしてみたいと思います。

ただ、その前に忘れてほしくないことが一点あります。

頭痛を訴え来院した時点では、頭部CT像は全く正常であるけれども、その後にSAHを発症し、急変するという臨床経過をとる症例が存在する。

ということです。 これについては、こちらのエントリーで → 警告出血。(注:警告出血という表現より、警告頭痛の表現のほうがより適切だと判断し、書籍版では、修正執筆しています。P7です。)

では、SAHの頭部CT画像所見は、どなたでも簡単にわかるものなのでしょうか?
本日は、それを検証するためのクイズを考えてみました。14枚の頭部CT画像を提示します。
こちらです。どうぞ。

CT1.jpg
CT2.jpg
CT3.jpg
CT4.jpg

さて、上記画像14枚のうち、いくつかがSAH患者のCTです。それがいくつであるかはあえて申しません。もちろん異常なしの画像も混ざっています。

以上の前提で、本日の問題です。

問題 SAHとして診断可能な所見のある画像番号をすべてお答え下さい。

頭部CTを普段診ない方も、非医療職の方も、私的にはどしどし気軽に参加してほしいなと思います。回答が、回答者のバックグラウンドによってどう変わるもんかなあ?と興味があるからです。


コメントは承認制です。コメントは、数がある程度集まってきた頃を見計らって、そのときにまとめて公開予定する予定です。

以下をコピペの上、コメント投稿にご利用ください。
各選択肢は、ご自分に合わせて、適宜修正し、無関係部分は削除してご利用ください。

9月5日 12:10 pm追記   

31人の方からご回答いただきました。ありがとうございます。公開Okの方のコメントを表示します。 これをもちまして、当エントリーのコメント受付は終了とさせていただいます。

皆様のご回答をふまえたエントリーは新エントリーとして次に立てる予定です。


1)SAH所見のある画像No.は?
1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、11、12、13、14

2)お立場をお教えください。
医師(専門○○○)、医師以外の医療職(○○○)、非医療職

3)頭部CT画像を診ることは日常的ですか?あるいはかつて日常的でしたか?
日常的です、日常的だったことがあります、日常的だったことはありません

4) 標準的な医療レベルという視点からみて見逃しは許されないと思う画像No。は?
1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、11、12、13、14

5)このご回答をコメントとしてブログ上に公開してもいいですか
       はい・いいえ

6) フリーコメント(何かあればでけっこうです)


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ただの腸炎のはずが?(3) [救急医療]

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???

若い女性の腹痛は、現場で悩まされることが多いものだ。だからこそ、このブログでも、多くの事例をとりあげてきた。関連エントリーを提示しておく。

悩ましい若い女性の上腹部痛

本当に腸炎でいいですか?

たかが盲腸、されど盲腸

ただの腸炎のはずが?(2)

上記エントリーでは、症例の各論的知見以外として、診断過程における「医療の不確実性」の問題や「後知恵バイアス」という人間の認知の問題も併せて指摘してきた。いわば、これらは、救急初期診診療における「診療に対する信頼」の阻害要因と言えよう。この阻害要因の存在を、一般の方々に認識してもらうことは、お互いの信頼形成の第一歩だと思う。ある一般の方が、ある診療を「医師の誤診」と考え、その原因を医師の単純な能力不足のみにあると考え、他の要因は考えなかった故に、医師一般を全く信頼出来なくなってしまうという弊害を少しでも少なくするためにも、そんな阻害要因の存在を一般に方々にも認識していただくことは意義深いことだと思う。

大多数の現場の医師は、そんな「診療に対する信頼」の阻害要因に対抗すべく、日々、患者のために診療に努力を払っているものである。そんな姿もしっかり届けることで、医師への信頼感を高めてくれればというのが、ささやかながらのブログ主の思いでもある。

本日は、そんな現場の一端を、症例提示という形でお届けします。 一般の方々には、A医師とT医師の患者さんに真摯に向き合う雰囲気を感じ取っていただければと思います。救急診療に携わる先生方には、例によってクイズ形式としました。よろしければ、お付き合いください。

症例 24歳 女性  心窩部から腹部全体への痛み

生来健康。既往歴に特記事項なし。開腹手術歴なし。最終月経は一週間前で特にいつもと変わったことはなかった。 X日午前1時頃、心窩部の痛みがあり一度嘔吐した。痛みは、突然というわけでなく、波がある感じであるという。腹痛は、心窩部から臍周囲にも広がってきている感じがある。下痢(-)。最終排便、(X-1)日、20時ごろ、普通便。

X日午前6時に来院。当直のA医師が対応した。

バイタル BP 116/65 HR 70整 RR<20 KT 36.9。 腹部は、平坦軟。 心窩部から臍周囲にかけて軽い圧痛はあるが、腹膜刺激症状ははっきりとしない。他、身体所見で特記すべきことはない。

A医師は、時間外とは言え、やはり急性虫垂炎が気になったので、採血、検尿、レントゲン、自分で行う腹エコーなどで検査をすることにした。

その検査結果は次の通り。 

採血 WBC 12000 CRP 0.2。 レントゲンでは、胸腹部に異常ガス(-)。検尿 妊娠反応(-)、潜血(-)、蛋白(-)、糖(-)。 エコーでは、少量の腹水?、明らかな婦人科疾患を思わせるmass様エコー像認めず、腸管ガス多く回盲部の観察不良、胆嚢異常なし、腎臓異常なし。

A医師は、すっきりしなかったので、CT(単純)を撮った。 こんな感じである。 (一枚スライスでごめんなさい・・・・・)
図1.jpg

CT情報も含めて、A医師は、懸念していた急性虫垂炎はなさそうだと感じた。次に、A医師は、当直の産婦人科の先生にお願いして、婦人科的診察を行ってもらった。結果、婦人科的には問題ありませんとのことであった。

ただ、患者さんは、腹部の症状も残っているようなので、そのまま、日勤の医師へと引き継ぐ方針となった。

朝8時に引き継いだ医師は、T医師である。 申し送りを聞きながら、A医師と一緒にCTを見た。

「う~ん・・・、あまり燃えてないかな・・・、」とT医師。
「腫大した虫垂は見えないので、やっぱり腸炎ということでいいっすかねえ?・・・・」とA医師。

画像で腑に落ちなかったT医師は、患者さんのお腹をすぐに触りに行った。 確かに、マックバーネーの圧痛点の痛みははっきりしない。ただ、臍下部正中の下腹部にやや強い圧痛があることが少し気になった。

これをふまえて、T医師は、ある病態をイメージし、つぶやいた。
「もし、○○部の○○炎ならば、話が合うかも・・・・・」

T医師は、ある画像検査を追加した。 そして、診断がついた。つぶやきどおりだった・・・。

さて、T医師は、何を考え、どんな画像検査をしたのしょうか?

一般に、私達医療者は、この紹介した事例の様に、あれこれ悩みながら、患者さんの診療を進めていくものなのです。検査結果というものは、我々に簡単に全てを教えてくれるとは限らないのです。少しずつ、いろんな情報のピースを集め、それを考えつなぎ合わせ、ジグソーパズルを完成させるかのように、診療行為は進んでいくのです。その難しさとそれに立ち向かう医師達の姿を感じていただければ幸いです。

(8月28日 記)

皆様、コメントありがとうございます。 とりあえず、続けてみます。

これをふまえて、T医師は、ある病態をイメージし、つぶやいた。
「もし、骨盤部の虫垂炎ならば、話が合うかも・・・・・」

T医師は、A医師が撮った単純CT画像を見ながら、A医師にこう言った。

「A先生、この患者さんの回盲部はずいぶんと骨盤内よりだよ。しかも、回腸末端部が周囲の腸管と一塊となってわかりにくいし、そのせいもあって、正常虫垂像がよくわからいよ。CTで虫垂炎を否定するときは、確実に正常虫垂を画像で捕まえられたとき行うのが無難だよ。「腫大した虫垂が見えない(わからない)≠虫垂炎を否定できる」だよ。造影CTを撮れば、腸管と虫垂を識別できるかもしれないから、今から、造影CT検査を追加するよ。」

こうして、引継ぎを終えたT医師は、患者さんに、虫垂炎という病気は時に診断が難しい場合もあるということを説明して、造影CT検査の承諾を得た。

その造影CTの結果である。先に提示した単純CTとほぼ同じ高さのスライス部分の提示である。
図2.jpg
比較用に単純CTを併記
図1.jpg

T医師が行った造影CTによって、骨盤内に落ち込んだ回盲部から、骨盤正中部にかけて伸びる腫大した虫垂が同定された。単純CTでは、壁の造影効果がないため、周囲の腸管とは区別がつかなったのだ。

(注意:実際の診断は、パソコン上でのデジタル画像の連続スライスを見ながらの慎重に虫垂の走行を同定したうえでの画像診断です。ここに提示した画像一枚だけで診断がわかるというわけではありません。)

T医師は、外科医にコンサルトし、患者さんは、その日のうちに手術された。数日後、患者さんは、合併症なく経過良好にて、元気に退院していった。

A医師とT医師の見事な連携によって、患者は、今後発症したであろう虫垂穿孔→膿瘍形成の合併症を回避することが出来たのだ。腹部症状が残存していることを気にしてすぐに帰宅させずに引き継いだA医師の臨床判断、造影CTを追加するというT医師の臨床判断、こんなナイスジャッジの連携が患者を早期診断早期治療に導くことが出来たのだ。

医療行為におけるファインプレーとは、往々にしてさりげないものなのだ。こういうさりげなファインプレーに報道がもっと興味をもってくれたら、医師への社会的信頼はもっと高まろうものになあと勝手に私は思う。

いかがでしたでしょうか?

最近、この症例や他医からの紹介事例も含めて、単純CTの結果をもって虫垂炎を否定的に考えていたにもかかわらず、最終診断は虫垂炎であった事例を立て続けに経験したので、エントリーネタとしてみた次第です。私の事例はいずれも骨盤内虫垂炎の事例でした。そんなわけで、骨盤内の虫垂炎は、診断に難渋することが多く注意が必要と考える次第です。

急性腹症の早期診断 監訳 小関一英 P61から一部引用しておきます。

骨盤部の虫垂穿孔は最も見落とされやすく、腹部疾患の中でも最も危険な病態の1つであるが、その理由は以下の通りである。虫垂が穿孔せずに緊満している場合は、虫垂の腫脹と蠕動性の収縮による疼痛は明確で激しく、主に心窩部と臍部に感じられる。穿孔が起こると心窩部の疼痛は軽減し、骨盤の右側面や骨盤腔底部の腹側に限局した骨盤腹膜炎が起こる。この場合は、通常、下腹部の筋硬直は伴わない。虫垂の腫脹による痛みは治まり、骨盤腹膜炎による疼痛はしばしば非常に軽度である。患者は、病状が改善したようにみえることもある。

骨盤部虫垂炎は、穿孔前の診断も難しいし、穿孔後もなお別の難しさがあるということですね。 骨盤部虫垂炎・・・けっこうな地雷かもしれません。

まとめます。

本日の教訓
虫垂炎 その否定は慎重に。骨盤部虫垂炎がその一例

(8月30日 追記)


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大野病院判決:メディア報道の偏向性を憂う [医療記事]

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福島大野病院無罪判決が出て4日が経過した。実に多くの報道がなされている。しかしながら、メディアがあまり世間に伝えていない視点がある。本日はその視点について私見を述べてみたい。

前エントリー福島大野病院事件mixi日記の反応から  において、私はmixiの日記の検証を行った。そのことから私が感じたことは、一般の方々がこの報道を通して、改めてお産そのものに内在するリスクを感じ取っていたように思う。つまり、やっぱり、お産は怖いんだという感覚である。

一方、メディア報道(特に新聞社の社説)では、無罪判決を医療の隠蔽体質などと結びつけて論じている記事が多いように思う。福島大野病院の事例に限って言えば、隠蔽体質とは無関係であるにもかかわらずにである。その一例を引用すれば、毎日新聞 社説:帝王切開判決 公正中立な医療審査の確立を である。

そこで、私は、主要全国紙や主だった全国の地方紙などを一挙に検索できる有料のデータベース G-searchを用いてメディアの報道状況をチェックしてみた。 検索期間を判決日(2008年8月20日)以降に限定してキーワード検索を行い、そのヒットした記事数から、報道状況の概要を把握しようという方法だ。 共通キーワードとして、判決 AND (無罪 or 大野病院) とした。 可変キーワードとして、A群・・・医療の不確実性に関するもの B群・・・医療界が指摘されてきた体質に関するもの をそれぞれ結果のごとく選んだ。

その結果を示す。

 可変キーワード記事のヒット件数
A群医療の限界1件
医療の不確実性1件
受容 AND リスク0件
死生観 AND リスク0件
B群透明性27件
隠ぺい OR 隠蔽11件
誠実4件
体質6件
医療不信 OR 不信24件

私達医療者は、医療をうける方々に、医療の不確実性、医療行為の中に初めから内在しているリスク というものを理解してほしいと切実に訴え続けている。もちろん、このブログでも、リスクの受容や死生観をキーワードとして、それを訴え続けている。 参考エントリー:リスクを認め付き合うこと 病気・死は悪か? 胎盤早期剥離の事例に思うこと

報道の結果をみると惨憺たる結果である。 無罪判決が出たにも関わらず、メディア報道は、医療の体質に関することばかり報道し、世間が認知すべきリスクについてはまるで報道していないということが、見て取れる。 私自身のキーワードの選出の仕方の問題は残るものの、とりあえずこの結果は、報道の偏向性の具体例と指摘しておきたい。

A群のキーワードがヒットした貴重な新聞報道をここに引用する。

新生面=産婦人科判決
2008.08.21 朝刊 朝一 (全619字) 

 米国の外科医デニスが医師を辞めたのは、医療過誤保険の保険料が高騰したためだ。年収二十万ドルのデニスに、十八万ドルの保険料負担が求められた。失職に苦しむデニスは、うつ病の患者となった▼ジャーナリストの堤未果さんが「文藝春秋六月号」に書いた話。訴訟社会の米国では、医療過誤には患者から巨額の賠償が求められる。このため、医師も保険をかけて“自衛”するが、それも限界に達している▼
患者からすれば、病気を何とか治してほしい。そう願うのが人情だ。医療技術の発達を見れば、なおさらそう思う。医療過誤とも無縁でありたい▼一方、医療側の見方は違う。医療界の論客で泌尿器科医の小松秀樹氏は「医療とは本来、不確実なものです。しかし、この点について患者と医師の認識には大きなずれがあります」と言う(「医療の限界」・新潮新書)▼医療に完全を求める傾向と医師不足が医師の疲労を深め、病院を辞める医師が増えているという。「立ち去り型サボタージュ」。小松氏の造語で、医療界では有名な言葉だ▼福島県立大野病院で、帝王切開手術を受けた女性が死亡した事件の裁判も、検察側と医療側の見解が対立した。検察側は医師の過失を主張したものの、判決は無罪だった▼裁判長は、医師の措置を妥当と認めた。安堵[あんど]した医師も多いだろうが、医療内容を中立的に調査する機関の整備や医師の増員を急ぐべきだ。このままでは、日本の医療も、患者と医療者が苦しむ「米国病」になる心配がある、と診断する。  熊本日日新聞社
地域産科医療への影響検証 大野病院事件受け、医師ら
2008.08.20 共同通信 (全367字) 

福島県立大野病院事件が地域の産科医療に与えた影響を考えるシンポジウムが二十日、福島市内のホテルで開かれ、医師や、医療問題に詳しい弁護士らが意見交換した。名古屋医療センターの野村麻実(のむら・まみ)医師は冒頭、「産科崩壊が身近になったのはこの事件が契機」と指摘。「無罪で良かったが、萎縮(いしゅく)した医療の再建は難しい。残った産科をどう守っていくか住民も考えてほしい」と呼び掛けた。加治一毅(かじ・かずき)弁護士は「捜査機関が医療ミスにどこまで介入するか、医師が安心して働くためには線引きの確立が必要だ」と述べた。医療現場の再建を目指す超党派の議連に所属している自民党の世耕弘成参院議員は「検察は控訴するべきでない」と強調。ほかの参加者からは「産婦人科の専門医大を作るべきだ」「
医療の不確実性が患者側に理解されていない」などの意見が出た。
共同通信社

今回の無罪判決を通して、医療の不確実性の問題を扱った記事は、私はたった二つしか探せなかった。一方、B群に関しては、たくさんある。いちいち全てを全部検証する気にはとてもならない。

医療は、人間の生死という人間の人知では所詮手の届かない深遠なる「自然」を扱う分野である。つまり、医療は、人間にはどうしようできないリスクというものが内在しているという本質を持っているのである。 今回の無罪判決は、妊婦の死亡という悪い結果にも終わったにも関わらず、適正な医療を行ったと裁判が認定した事例なのである。世間に、その医療に内在するリスクの存在を世に啓蒙する絶好の機会である。にもかかわず、報道は、そのリスクの存在を世間に一向に伝えようとしていない。すごくバランスの悪い報道のあり方ではないだろうか。

社会が、我々医療者に襟を正せと要求するだけで、医療の不確実性を理解しようとせず、そのリスクだけを我々医療者に丸投げする風潮が続くのならば、医療崩壊は止まらないと考える。


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福島大野病院事件mixi日記の反応から [医療記事]

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本日、無罪判決が出ました。 多くの医療者が妥当な判決だと評しています。もちろん、私も妥当な判決だと思っています。その妥当性については、改めてここで論じることはしません。

すでに、多くの報道ソースがありますが、ここでは、下記の福島での号外記事をリンクしておきます。

http://www.minpo.jp/var/rev0/0015/2971/gougai20080820B.pdf

さて、この報道を一般の方々は、果たしてどのように捉えているのでしょうか? 今回、私はそれを考えてみました。

その方法は、一般の方々の反応を次のmixi日記をランダムに眺めてみることでした。
mixiニュース:<大野病院医療事件>帝王切開の医師に無罪判決 福島地裁 (注:mixiに加入してない方はアクセスできません)


リンク切れに備え、そのリンク先引用しました。(8月23追記)

<大野病院医療事件>帝王切開の医師に無罪判決 福島地裁
(毎日新聞 - 08月20日 10:21)

日記を読む(1460)日記を書く


 福島県大熊町の県立大野病院で04年、帝王切開手術中に患者の女性(当時29歳)が死亡した事件で、業務上過失致死と医師法違反の罪に問われた同病院の産婦人科医(休職中)、加藤克彦被告(40)に対し、福島地裁は20日、無罪(求刑・禁固1年、罰金10万円)を言い渡した。鈴木信行裁判長は、最大の争点だった胎盤剥離(はくり)を途中で中止し子宮摘出手術などへ移行すべきだったかについて「標準的な医療水準に照らせば、剥離を中止する義務はなかった」と加藤医師の判断の正当性を認め、検察側の主張を退けた。

 加藤医師は04年12月17日、帝王切開手術中、はがせば大量出血する恐れのある「癒着胎盤」と認識しながら子宮摘出手術などに移行せず、クーパー(手術用はさみ)で胎盤をはがして女性を失血死させ、医師法が規定する24時間以内の警察署への異状死体の届け出をしなかったとして起訴された。

 争点の胎盤剥離について、判決は大量出血の予見可能性は認めたものの、「剥離を中止して子宮摘出手術などに移行することが、当時の医学的水準とは認められない」と判断した。医師法21条については「診療中の患者が、その病気によって死亡したような場合は、届け出の要件を欠き、今回は該当しない」と指摘した。

 医療行為を巡り医師が逮捕、起訴された異例の事件で、日本医学会や日本産科婦人科学会など全国の医療団体が「結果責任だけで犯罪行為とし、医療に介入している」と抗議声明を出すなど、論議を呼んだ。公判では、検察、被告側双方の鑑定医や手術に立ち会った同病院の医師、看護師ら計11人が証言に立っていた。【松本惇】

 【ことば】癒着胎盤 一般に分娩(ぶんべん)後、胎盤は自然に子宮壁からはがれるが、胎盤の絨毛(じゅうもう)が子宮筋層に入り、胎盤の一部または全部が子宮壁に癒着して胎盤がはがれにくくなる疾患。発生率は数千~1万例に1例と極めて低い。

 ◇県警刑事総務課長「捜査を尽くした」

 福島県警刑事総務課の佐々木賢課長は「県警としては捜査を尽くしたが、コメントは差し控えたい。細かい争点については(裁判所の判断が)まだ分からないので何とも言えない。県警は医師に注意義務があるとして検察へ送ったが裁判所はそう認定しなかった」と話した。

 ◇産科婦人科学会理事長「救命医療の確立目指す」

 吉村泰典・日本産科婦人科学会理事長は「被告が行った医療の水準は高く、医療過誤と言うべきものではない。癒着胎盤は極めてまれな疾患であり、最善の治療に関する学術的な議論は現在も続いている段階だ。学会は、今回のような重篤な症例も救命できる医療の確立を目指し、今後も診療体制の整備を進める。医療現場の混乱を一日も早く収束するため、検察が控訴しないことを強く要請する」との声明を出した。
毎日新聞 (提供元一覧)



8月20日 19:15現在で821件の日記が書かれていました。 私はそのうち、97件の日記を覗かせていただきました。そして、日記の内容を次の3つに分けてみました。 つまり、 無罪支持、無罪不支持、支持表明なし という3つです。

結果です。

無罪支持無罪不支持支持表明なし
58435

圧倒的に、無罪支持の意見が主流でした。 mixi加入者というバイアスを考えないといけませんが、一般世論として、無罪支持の風潮が強そうであると私は推論しておきたいと思います。
一方、一部のメディア報道は、医療への疑問を抱かせることを意図した誘導的な記事が存在します。具体例をあげますと、これです。
「なぜ事故が」…帝王切開死、専門的議論に遺族置き去り

タイトルからして全くいけてません。いい加減にしてほしいと私は本当に思います。 ご遺族には、ご遺族のお気持ちがあるのは当然です。だから、納得が出来ないというお気持ちを抱くのはある意味自然な感情でしょう。 しかし、その感情を、報道にのせて、世に流すことにどんな社会的有用性があるのでしょうか? はなはだ疑問に思います。 遺族感情を大々的に報道する姿勢は、メディアの悪い風潮だと思います。割り箸事件のときもそうでした。→参考エントリー:割り箸訴訟と医療の不確実性

そういう報道姿勢は、今後改めてほしいと切に願います。mixi日記からも、明らかにそういう報道姿勢は嫌悪の対象とされています。メディア関係者の方の学習を期待します。

さて、mixiの日記を勝手に引用することは、私自身問題があると認識しています。ですので、直接の引用ではなく、要約の形で二つ(#1、#2)ほど紹介しておきます。

最初に、無罪不支持意見として
#1:人が一人死んでるのに、無罪なんておかしい! という意見です。

ごく少数ですが、このような主張がありました。 医療者は、「人は死ぬものだ」という大前提で医療行為を行いますが、こういう主張をされる方は、「死」という大前提を心の中にお持ちでないように私には思えます。 やはり、社会としての「死の教育(death education)」ということの重要性を感じずにはいられません。#1の認識をもつ人が、医療の中で死亡事例の関係者になると、医療関係者は、納得してもらうためには本当に大変なんだろうなと思います。いくら、一生懸命時間をかけて説明しても、丁寧に説明しても、現在の医療システムでは、なんら医療報酬は発生しません。つまり、医療者側の良心、誠実度のみに依存するボランティアとなるのです。 「説明」という立派な専門的業務をシステムとして認めることも医療者ー患者の対立関係緩和につながる一つの具体的方策かもしれません。


次に、支持表明なしの中で、複数の興味深い意見がありましたので、その共通する部分の意見を紹介します。
#2:私がもし遺族の立場だったら、やっぱり納得がいかないと思う! という意見です。

医療という人の生死を扱う業界に属する自分にとっては、とても興味深い反応だと思いました。 

医師と患者が安心して、医療に向き合える環境づくりには、システム整備論のみならず、 「死」を納得できない遺族感情を、個々の医師-患者関係の中で、どう取り扱い、どう向き合っていくのかという視点が極めて重要だと思いました。 そういう捉え方においては、まだまだ、マスメディアはもちろんのこと社会全体が未成熟な状態なのかもしれません。

医療崩壊を阻止していくためには、死をもっとオープンにする社会が絶対に必要な気がします。違う言葉で言えば、一人ひとりが、自分に対するあるいは家族に対する「死の覚悟」を日ごろの生活の中で認識しておくことの必要性でしょうか。 そういう認識が十分にあれば、#2のような気持ちを持つ人が少なくなるのかもしれません。

もちろん、#2を考えるに当たり、「信頼」という視点も必要であることは言うまでもありません。まず、「信頼」があってこその覚悟だと思うのです。では、その「信頼」は、どうすれば良いのでしょうか?それは、各人の心の問題であると私は思っています。だから、「信頼」はまず自分の問題という自覚から入る必要があります。「信頼」は、他人から決して与えられるものではありません。そこをわかっていない方が、不信の負のスパイラルに陥いるのでしょう。医療裁判に限らず、離婚調停や裁判などにおいても、この不信の負のスパイラルから対立の深みにはまってしまってる事例がきっとあるのでしょうね。

あらためて、#2に関する私の主張を整理します。

医療に対する信頼はまず大前提。その上で、各人が「死に対する覚悟」を日ごろから認識しておくことが、いざ当事者になったときに、(死という)医療の結果を納得できるようになるのではないか。

ということです。

以上、今回の無罪判決に対するmixi日記の反応から、私が感じたことでした。


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怖い失神(4) [救急医療]

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本日は、怖い失神シリーズ第4弾として、症例を提示する。

参考までに過去のエントリーを挙げておく。

怖い失神(1)
怖い失神(2)
怖い失神(3)

救急初期診療において失神を主訴にやってくる患者は多い。 しかし、その多くは軽症だ。いわゆる神経調節性失神(Nerally mediated syncope NMS)のたぐいのものだ。

かといって、失神の患者を浅い評価で、NMSにしてしまうと、ある一定の確率で確実に地雷をふむことにもなろう。

現場においては、失神患者の評価にあたり、軽症でいいのか? いや、そうではないのか? という実際的な判断(地雷回避のための臨床判断)を下すのは、とても高度な知的判断作業だ。それでも、その判断は、所詮確率に準じたものにすぎない。だから、常に事後の立場の人間からみれば、その診療が誤診と思えてしまうことがありえるわけだ。(後知恵バイアスという認知のバイアスの影響が大きい。) これが、臨床医学における医療の不確実性の一例である。

ある診療行為を誤診と責めたい人は、必ずこの医療の不確実性のことを自分なりに考え理解したうえで、自分がどうするかを自問自答してほしい。

では、本日の症例提示。 症例は、あるテキストからの引用(後日明示予定)。一部改変しての提示。

63歳、男性  失神

既往歴、家族歴 特記事項なし

現病歴
タクシーを洗車中に、急に嘔気をともない、意識消失。 同僚が119コール。救急隊到着時、意識は清明、血圧95/68、脈拍60で不規則、SpO2(ルーム)84。 酸素投与開始され、当院へ救急搬送。 救急外来到着時、意識清明、血圧112/52、脈拍64 整、SpO2(10L酸素) 97。 心雑音なく、肺音も正常。12誘導心電図を示す。
図1.jpg

担当医は、この心電図をみてつぶやいた。
「aVRのST上昇だ! 広範囲のST低下もあるし・・・・、これは最悪かも」

つまり、担当医は、左主幹部(LMT)が関係した急性心筋梗塞かもしれない!と判断したわけだ。
(参考エントリー:地雷の中の地雷

速攻、緊急カテーテルチームに召集がかかった。

来院して、わずか10分の出来事である。 まだ、採血データの結果は出揃っておらず(ただし低血糖は除外済み)、胸部X線、心エコーなどは施行されていない。

カテーテルチームに、この時点でこの速さで召集をかけること自体は、ファインプレーだと思いますが、これから先、地雷回避のために、チーム医療の中で、どんなことを考えますか?

(8月13日 記)

(8月15日 追記)
皆様、コメントありがとうございます。今回はかなり意見が多様であったようです。それは、それだけ今回の疾患が、診断困難な疾患という傍証でもあるのでしょう。それでも、もと救急医様、purmonary様、下っ端外科医様に「大動脈解離」の可能性をご指摘していただきました。今回の症例はまさにその通りだったものです。 しかしながら、SAHを指摘するご意見も多数ありました。低血圧気味という点が若干合わないのかもしれませんが、その路線を思い浮かべることも、地雷回避という点においては、極めて重要だと私も思います。 (参考エントリー:心電図変化に潜む地雷 )


今回の症例は、、胸痛診療のコツと落とし穴 中山書店 総編集 野々木 宏 先生 のP139 「急性冠症候群と思い原因疾患を見落とした症例」 という箇所から提示させていただきました。こうやって書きながら、この症例から私も勉強させていただいています。ありがとうございます。

さて、続き。

担当医より呼ばれた循環器医師達は、心電図を見て、すぐにエコーを始めた。

「LMTにしては、心機能が良過ぎるような気がする・・・・・」
「ん、・・・ Aoが何か変だぞ??? これはフラップかも。」

エコーをした循環器医師は、すぐに胸写を確認した。これである。
図2.jpg

縦隔が拡大している・・・・。循環器チームは、直ちに決断した。

「カテの前に造影CTだ!」

ビンゴだった。 造影CTでは、心のう液の貯留は認めないが、偽腔開存型のDeBakeyⅠ型急性大動脈解離であった。

直ちに、心臓外科へのコンタクトがなされ、緊急手術の運びとなった。手術準備中に状態が急速に悪化し、手術時には、血性心のう液(+)で、心タンポナーデの状態であった。 手術所見は、フラップによって左主幹部冠状動脈を塞ぐような形態の大動脈解離であった。

間一髪の臨床判断である。 見事なチームプレーである。 もし、AMIのみを考えて緊急カテーテルに進んでいたら、間違いなくカテ台の上で急死していたであろう症例である。

いかがでしょうか?以上が、テキストの症例を描写的に私が改変しながら提示したお話でした。

以下、私見です。

この症例のように、急性大動脈解離という疾患は、様々な顔で、我々医療者の前に立ちはだかる。この難敵を早期に見つける第一歩は、まさに、「もしかしたら解離かもしれない」という疾患を「想起する」という心構えだろうと思う。

もちろん、この心構えは、なんでもかんでも即CTという行動様式を意味するわけではない。「想起」と「CTという行動」の間には、それなりに考慮する要因がいくつもあるのだ。まさに、そこの考慮のあり様が腕の見せ所なのかもしれない。 

AMI治療は、時間との戦いのニュアンスが強いチーム医療である。だからこそ、AMIに似てAMIではない地雷疾患(大動脈解離、肺塞栓、くも膜下出血)の除外は、AMI治療の段取りを進める中で、同時進行で行わなくてはならないという難しさが救急の現場にはあるのだ。 

AMI患者が来院するといろんなことが同時進行でばたばたと進んでいく。それをチームで手分けして行うのだ。家族説明、カテ室の手配、患者急変への備えなどなど。そんなチーム医療の中で、AMI以外の地雷疾患疾患の可能性について考察する人が一人は必要なのだろうと思う。AMIという切羽詰った臨床状況の中でも、地雷を踏み抜かないためには、チーム医療でないとなかなか難しいだろうと私が思う所以である。

AMIと心電図で診断が付いた後は、つい急ぐが故に、心エコーやレントゲン、採血(特に腎機能)などのチェックがおろそかになりがちだ。まして、一人ですべてをやっていれば・・・・・。私自身の失敗談を告白すると、カテを急ぐ余り、心エコーをはっしょってカテ室に走ったが故に、AMIによる心破裂(woozing type)に続発した心タンポナーデの状態を見逃してしまった痛い経験がある。 チームで事を進めることによって、より正確な臨床判断が可能になると思う。

まとめます。

本日の教訓
AMI? もしかしたら、他の地雷かも? 
チーム医療で地雷を回避しよう!


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赤塚氏へのタモリの弔辞に思うこと [雑感]

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赤塚不二夫氏が、お亡くなりになりました。特に30代後半以降の方々は、赤塚不二夫氏の作品にお世話になった人も多いのでないでしょうか。私自身もその一人です。ケムンパスやニャロメの絵を描いていた子供の頃の自分を思い出します。お世話になった人もそうでない人も、この公認サイトをご覧になれば、赤塚ワールドを体験できます。日本のマンガ文化の土台を作り上げた偉大なお一人だと思います。謹んでご冥福をお祈りします。

さて、そんな赤塚氏でありますが、森田一義(タモリ)氏と随分と深い関係があったのですね。それについては、今回始めて知りました。タモリは、実は私の高校時代の大先輩です。何度かは母校を訪れたことはあるようですが、残念ながら私の在学中の3年間には、ありませんでした。タモリを教えていたという体育の先生は、私の在学中もご健在で、在学中のタモリの話をしてくれていたような記憶があります。

赤塚氏へのタモリの弔辞があまりにすばらしいと思ったので、今回は、それをエントリーにしてみました。 自分たちの生き方と死に方を、それぞれが、それぞれの立場や価値観で見つめなおしてみる良い機会になる・・・そんな弔辞だと思ったからです。

弔辞の様子の動画は、http://jp.youtube.com/watch?v=yxFBBQwUScE で見ることができます。

以下、全文を引用します。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080808-00000046-spn-ent より全文引用

弔辞

 8月2日にあなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、ほんのわずかではありますが回復に向かっていたのに、本当に残念です。

 われわれの世代は赤塚先生の作品に影響された第1世代といっていいでしょう。あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクター、私たち世代に強烈に受け入れられました。10代の終わりからわれわれの青春は赤塚不二夫一色でした。

 何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の小さなバーでライブみたいなことをやっていた時に、あなたは突然私の眼前に現れました。その時のことは今でもはっきり覚えています。赤塚不二夫が来た。あれが赤塚不二夫だ。私を見ている。この突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。終わって私のところにやってきたあなたは、「君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住むところがないから、私のマンションにいろ」と、こう言いました。自分の人生にも他人の人生にも影響を及ぼすような大きな決断を、この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。

 それから長い付き合いが始まりました。しばらくは毎日新宿の「ひとみ寿司」というところで夕方に集まっては深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタを作りながら、あなたに教えを受けました。いろんなことを語ってくれました。お笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。他のこともいろいろとあなたに学びました。あなたが私に言ってくれたことは、いまだに私にとって金言として心の中に残っています。そして仕事に生かしております。

 赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。麻雀をする時も、相手の振り込みであがると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしかあがりませんでした。あなたが麻雀で勝ったところを見たことがありません。その裏には強烈な反骨精神もありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかし、あなたから後悔の言葉や相手を恨む言葉を聞いたことはありません。

 あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折見せるあの底抜けに無邪気な笑顔は、はるか年下の弟のようでもありました。あなたは生活すべてがギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀の時に、大きく笑いながらも目からはぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺の時、たこちゃんの額をぴしゃりと叩いては、「この野郎、逝きやがった」と、また高笑いしながら大きな涙を流していました。あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。

 あなたの考えはすべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また、時間は前後関係を断ち放たれて、その時、その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち、「これでいいのだ」と。

 今、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が、思い浮かんでいます。軽井沢で過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外への、あの珍道中。どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。最後になったのが京都五山の送り火です。あの時のあなたの柔和な笑顔は、お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。

 あなたは今この会場のどこか片隅で、ちょっと高い所から、あぐらをかいて、ひじを付き、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に「おまえもお笑いやってるなら弔辞で笑わしてみろ」と言ってるに違いありません。あなたにとって死も1つのギャグなのかもしれません。

 私は人生で初めて読む弔辞が、あなたへのものとは夢想だにしませんでした。私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。しかし、今、お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。私もあなたの数多くの作品の1つです。合掌。

 平成20年8月7日、森田一義

すばらしい弔辞ですね。 

私たちは、今、つい何かと、自分にとっての不都合を、誰かのせいにしてしまわないでしょうか?

しかし、あなたから後悔の言葉や相手を恨む言葉を聞いたことはありません。

こういう赤塚氏の生き方を、私たちも見習っていきたいと思いませんか?

あなたの考えはすべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また、時間は前後関係を断ち放たれて、その時、その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち、「これでいいのだ」と。

内容もすばらしいし、なんと言っても、最後のすなわち以下が、最高ですね。 わかる人はわかるでしょうが、わからない人のために、ここを引用しておきます。まっ、そういうことです。このバカボンでの超有名なフレーズと、幸福な人生を人一人が送るためには、どうしても欠かせない受容という認識とを弔辞の中でこうも見事に結びつけ、表現したタモリに脱帽です。 この受容という認識の重要性は、私も自分のブログで繰り返し繰り返し主張してきました。特に、荘子の思想と結びつけて、私は主張してきたわけです。

最後の一文

私もあなたの数多くの作品の1つです。

ただ、お見事としか言いようがありません。

しかし、弔辞全体を通して、死の悲しみや悔恨の情が伝わってこないですよね。むしろ、

あなたにとって死も1つのギャグなのかもしれません。

死を肯定しているかのようです。 私自身は、そこがすばらしいと感じているのかもしれません。

参考までに、荘子が、自分の妻と死別するときのエピソードを紹介しておきます。ここにも死の肯定が表現されています。 今回は、老子・荘子を大阪弁で表現しているサイトがありますので、そこから引用させていただきます。(サイト主の個人的解釈が訳文に入っているという点はご了解願います)

http://home.att.ne.jp/wave/ayumi/index.htm  
荘子君 第十八 至楽篇 生死について より引用

生死について  
第十八 至楽篇

荘子くんの奥さんが死んだ
荘子くん、だら~っとしててお盆を叩いて歌ってたんや
そこで恵ちゃんは聞いた
  「奥さんやのに。子供も作って育てた長年の付き合いやんか?
   そんな奥さんが死んだのに、何で泣かへんねん?
   お盆を叩いて歌うなんか、ちょっとヒドイんちゃうん?」
それに荘子くんが答えた
  「変か~?でも、妻が死んだばっかしん時は、悲しゅうて泣いたで。
   せやけど、よぉよぉ考えてみたら、
   人間てなぁ「生」のないとこから来たんや。
   「生」がないばっかりちゃうで、「形」もなかったんたんやで。
   いや、ちゃうちゃう
   もともと「形」ばかりちゃう「形」になる気もなかったモンやねん。
   絶対的なはじまり、天地が曖昧(あいまい)やった頃に、
   変化が生まれたんや
   そこに気が生まれ形になって、命が生まれたんや。
   死んだ命は、その大元に戻っていくだけや。
   それは、春夏秋冬の四季、自然の流れと一緒やないか
   それになぁ。自然のなかの大きな部屋に、
   エエ気持ちで寝ることができるねんで
   そんな至福な人間に向こうて
   『お前がおらんようになって悲しい』て泣くなんて出来へんわ。
   なぁ~そうやろ。
   そう考えたら泣くてコトは自然の法則を無視してるんと思えへんか?
   せやから、ワシは泣けへんねんで」

国民の一人一人が、今をよりよく生きるために、自分の死、他人の死について、自分で向き合い自分で考えること、とても大切だと思います。そんな大切なことを、タモリの弔辞や荘子の妻の死のエピソードが、私たちに教えてくれようとしているのだと思います。


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アナフィラキシー? [救急医療]

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救急外来で、遭遇する緊急疾患のひとつにアナフィラキシーというものがある。これは、即時型アレルギー反応の一種で、じんましん、呼吸困難、腹痛、嘔吐、下痢、および血圧低下を伴うショック状態などの症状を呈する。一般の方向けの参考サイト→こちらスズメバチに刺された直後から症状が出始めた、抗生物質の点滴を始めたら、症状が出始めたなどで救急外来に患者がやってくることはそう珍しいことではない。

典型例としては、ハチに刺されたなどのきっかけが病歴としてはっきりとしており、その直後より、全身真っ赤で、低血圧で呼吸困難を訴えて来院といったところであろうか。こういった場合は、直ちに大量輸液、アドレナリン筋注、ステロイド静注、H1およびH2受容体拮抗薬静注などと粛々と初期治療を行っていくわけだが、喉頭浮腫の進行、つまり気道確保を脅かす最悪の事態には、常に厳重な監視をしておく必要もある。

幸いにも、自分の経験上では、多くの場合は、この初期治療に患者が反応し、来院して1時間もすれば、バイタルも安定し患者も楽になっていることが多い。

そんなアナフィラキシーであるが、え?と思うパターンはないのであろうか? 本日は、そんな症例を提示してみたい。今回の症例は、自験例ではなく、ある雑誌に報告された事例をもとに一部脚色を加えたものである。引用先は、後日明示することとする。

症例 32歳男性   アナフィラキシーショックの対応依頼

ある民間企業内診療所より、受け入れ要請の連絡が入った。 「32歳男性、アナフィラキシーショックの男性です。昼食後より、気分不良とめまい、および全身紅班著明で、血圧70台です!」 との要請。その患者が救急車で来院した。 患者はこんな感じであった。 
図1.jpg
(引用先:後日明記します → 8月6日 追記欄参照)

アナフィラキシーショックと考え、直ちに型どおりの初期治療を開始した。 「 いまいち、アドレナリンの反応が悪いな? 血圧があまり上がらない?」 そこで、アドレナリンの持続点滴静注が始まり、患者は集中治療室へ入院となった。そして、程なく、また同じ診療所から、対応依頼の連絡が入った。「先生、今度は重症蕁麻疹の23歳女性です!」と。 「え、また?」と担当医は何か変じゃねえと思い始めた・・・・・。 ちなみに、社員食堂、今日の昼の定食は・・・・・だったとのこと。(あえて抜きました。)

さて、いったい何が起きているのでしょう?

(8月2日 記。  次回更新は、都合により8月6日以降になります。 コメント掲載もそれ以降になりますことご了解ください。)

(8月6日 追記)

たくさんのコメントをありがとうございます。 簡単ですが、続きです。

担当医は、二人に聞いた。「昼何を食べましたか?」
二人は答えた。「昼の定食です。」
担当医は、定食のメニューを尋ねた。
二人は答えた。「カジキマグロの照り焼きです。」

これで、担当医は、ヒスタミン中毒を最も強く疑った。

結局、その後も、患者搬送が続き、軽症者も含めて、合計13名の患者が搬送されてきた。いずれの患者も、翌日までには、症状は消失し、後遺症なく退院となった。後日、中毒量のヒスタミンが食材中に含有されていたことが確認され,今回の事例はヒスタミン中毒であったということが××県健康局より正式発表された。

いかがでしたしょうか?
この症例は、ヒスタミン中毒の症例でした。すでに、多くのコメンテーターの方がご指摘してくださったように、一見、アレルギーのように見えるけれども食中毒なのです。

今回、写真も含めて引用させていただいた論文は、「カジキマグロの照焼きによる集団ヒスタミン中毒」 日本救急医学会雑誌、 2004;15:636-40 です。日本救急医学会会員の方は、ネット上で閲覧することができます。この論文をもとに、一部脚色して症例提示させていただきした。この論文で私自身も勉強させていただきました。発表者の先生方に御礼申し上げます。

なお、最初に運ばれてた重症例の患者に関する考察としては、論文中で、次のような推論がありました。

今回はおおむね血清中ヒスタミン濃度の高い患者ほど,より強い症状を来しており,ヒスタミン中毒の重症度はヒスタミン摂取量に依存するものと思われた。

アドレナリンに対する反応が悪いような低血症例が、ヒスタミン中毒では起こりえるということを、この論文は報告してくれているとも言えるわけです。

この論文から一部引用。

Mackerel (サバ)、Tuna(マグロ)、Saury(サンマ)、Bonito(カツオ)などこれらヒスタミン中毒魚といわれている魚は新鮮であっても,室温で 4 時間放置すると魚のヒスタミン濃度は50mg/100g 相当になることが報告されており,さらに保存温度が20℃以上であると,ヒスタミン生成の反応が急速に進行するといわれている。また注目すべきは,ヒスタミンは熱で分解されず,加熱調理による中毒発生リスクの減少は望めないため,ヒスタミン中毒の予防は漁獲直後より調理直前に至るまでの一貫した適切な冷蔵に尽きるとされる点である。即ち,漁獲・輸送・流通のどの過程であっても,不適切な温度管理によって一度ヒスタミンが生成されてしまうと,その食材はその後の品質管理・調理の方法に関わらず,ヒスタミン中毒の原因になってしまう。また,原因菌とされる菌も冷凍過程では死滅しないため,解凍時や解凍後の取り扱い次第では食材中のヒスタミン含有量が急激に増加する危険があるといわれている。

ということです。この時期気をつけないといけないですね。 過去にもヒスタミン中毒の事例はいくつか報道されていました。

ブリの切り身で、23人が中毒--横浜 /神奈川
1996.09.29 地方版/神奈川 (全320字) 
 横浜市緑区のスーパーマーケット「ビッグヨーサン十日市場店」(本田洋二社長)が販売した
ブリの切り身が原因で、23人がヒスタミン中毒にかかっていたことが分かり、同市衛生局は28日、同店を営業禁止処分にした。9人が病院で手当てを受けたが、いずれも軽症という。患者のうち17人は切り身が使われた仕出し弁当を食べたことが原因のため、弁当を販売した「望月商店」(同市旭区、望月勇社長)も同日から営業を自粛している。ヒスタミンは、鮮度の落ちた魚に発生する化学物質で、じんましんのような発しん、腹痛、下痢などの食中毒症状を引き起こす。同局の調べによると、このスーパーは21日にブリ140匹を仕入れて切り身にし、26日までに5~6切れ1パックで販売していた。毎日新聞社
社員24人がヒスタミン中毒  大阪市の製薬会社
1999.01.29 共同通信 (全434字) 
 大阪市に二十九日までに入った連絡によると、同市中央区にある製薬会社の社員食堂で二十八日昼に定食を食べた社員二十四人が、胸や腹のじんましんや顔に赤みがさすなど化学物質ヒスタミンによる食中毒症状を訴えた。全員症状は軽く回復に向かっているという。市は焼いた状態で残っていた
マグロを検査した結果、ヒスタミンを検出。定食を提供した給食業者「友愛産業」(本社中央区道修町)が同製薬会社の社員食堂で営業することを三十日から二日間停止した。社員食堂は二十八日の夕食から営業を自粛している。ヒスタミンは、背の青い赤身の魚などのタンパク質に含まれるヒスチジンと呼ばれるアミノ酸がプロテウス菌などの微生物によって分解されて生成される化学物質。ヒスタミンによる食中毒は、一九九四年から九六年までの三年間で、全国で計九件の発生例がある。共同通信社
国体県選手ら食中毒 サッカー関係3人 静岡のホテル  きょう試合
2003.09.13 朝刊 30頁 社2 (全393字) 
 静岡県で十三日開幕する第五十八回国民体育大会(わかふじ国体)に出場予定のサッカー成年男子本県代表の選手ら四人が十二日、湿疹(しっしん)や頭痛などの症状を訴え、食中毒と診断された。同日のホテルの朝食が原因とみられる。静岡県健康福祉部によると、四人のうち本県の患者は二十三歳と二十四歳の選手二人と二十三歳の女性マネジャーの計三人。全員が快方に向かっており、選手の試合出場に支障はないという。十二日に朝食に出された
サバのみりん漬けを食べたことによるヒスタミン中毒とみられる。ヒスタミン中毒はマグロやサバなど赤身の魚が多く、食材を室温で放置するとヒスタミン生成菌が増殖し発生。加熱調理しても予防できないという。成年男子チームの福富和平治総監督は「試合には支障がないと思うが、直前の調整ができなかったのは痛い」と話している。 同チームは十三日の一回戦で大阪代表と対戦する。高知新聞社

また、日常診療のピットフォールを回避せよ 日本医事新報社 P4には、ヒスタミン中毒は食物アレルギーと誤診されやすいとして、警鐘を鳴らしています。

まとめます。

本日の教訓
ヒスタミン中毒の診断には、魚摂取の問診が大きなきっかけとなる


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他人の死から自分の生を学ぶこと [雑感]

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このブログですでに何度か言ったかもしれないが、現代の日本社会は、死と真正面から向き合わない社会だと私は思う。日常の平凡な死は、病院の片隅に追いやられ、多くの人がそこから学べないでいる。一方、一部の非日常的な死(事故・殺人など)は、メディアを通して、毎日のようにセンセーショナルに報じられる。それは自分の生の学習とはなりえない題材ばかりだ。それどころか、変な模倣犯など(例:硫化水素自殺、ナイフ殺人)を増産させているだけではなかろうか?

今の日本、何か、おかしくない?
 
と私は思う。 

それは、国民の心のせいでしょうか? メディアの報道のせいでしょうか?そんなに簡単に割り切れるものではないというのが私個人の考えだ。

とにかく、そんな今の日本のあり方では、他人の死から自分の生を学ぶことの機会をなかなか得にくいのではなかろうか?

そうして、死から学ぶ機会が乏しいまま、身近な人の死に遭遇した場合、多くの人は、戸惑い、受容できないまま、たまたま、その死の近くにいる医療関係者が、ついつい攻撃の対象とされてしまうのではないのだろうか? それが、医療者側からみて理不尽と思える医療訴訟の一因となっているのかもしれない。

そこで、本日は、ある大物先人二名の死に際のエピソードを紹介し、そこから、皆様が、自分の生を考えるきっかけになればと思う。

一人目。 仏教の開祖、釈尊の死である。 いいじゃないか 生きようよ 死のうよ 松原泰道著 P27より引用。

お釈迦様が入滅されたのは八十歳のときでした。(中略) 現代的な言葉で言えば老衰で亡くなったと思っている読者も多いかもしれませんが、じつはそうではありません。じっさいのところは、弟子のチュンダという青年がつくってくれたキノコ料理の毒にあたって亡くなりました。今の言葉で言えば、食中毒死だったのです。(中略) チュンダは強烈な自責の念を感じたでしょうし、他の弟子たちはそのチュンダを非難したにちがいありません。そんな事情を知って、お釈迦様はチュンダや他の弟子たちに、随行していた弟子を通じてこんなことをおっしゃったといいます。まず、チュンダの供養(ご馳走)がどれほどおいしかったと礼を言って、
「わたしは、チュンダの供養(ご馳走)を食べたからと死ぬわけではないのだよ。この世に生を受けたものが必ず死ぬというものは、日ごろから私が説いているとおりだ。たしかに、私の死の縁となったのはチュンダの供養(ご馳走)だったが、命あるものは必ず死ぬものなのだ。それも、偶然ではなくて縁によって死ぬ。咲いた花はいずれ散るが、散らした風雨は縁に過ぎない。花が咲いたということ、それが散るという結果になつながるのだ。たとえ、
わたしがチュンダの供養(ご馳走)を食べなかったとしても、いずれ命は絶える。だから、チュンダよ。案ずることない。ほかの者も決して彼を責めてはいけない。」 (中略) お釈迦様がここでおっしゃっているのは、「人間はなぜ死ぬのか。それは、生まれたからだ。」ということなのです。

いやあ、すばらしい・・・。 見習いたいものだ。今の日本なら、チュンダは訴えられてもぜんぜんおかしくないところだ。私たちは、今、自分の生死に対して、このような捉えかたをする教育をうける機会がいったいどれくらいあるのだろうか? 医療崩壊で、世の中が困った困った・・・というのなら、こういう釈尊の死生観をもっと広める努力を国が行ったらどうなのでしょうか?私は素直にそう思う。

二人目。 老子と並ぶ道教の中心人物、荘子の死である。 荘子全訳 列禦寇(13) より引用。

荘子の臨終のとき、弟子たちは手厚く葬りたいと思っていたが、荘子はこう言った「わしは天と地の間の空間を棺おけとし、太陽と月とを一対の副葬の大玉とみなし、群星を祭壇を飾るさまざまな珠玉と考え、万物を送葬の贈り物と見立てている。わしの葬式道具はもう充分に整っているでないか。どうしてさらに付け加える必要があろう」。
 弟子たちは言った「私どもはカラスや鳶が先生の体をついばむのを心配するのです」。
 「地上にさらしておけばカラスや鳶の餌食になろうが、地下にうずめればケラや蟻の餌食になる。あちらのものを奪って、こちらに与えるだけだ。どうしてまたえこひいきなことをするのかね」。
 人知と言う不公平な尺度で物事を公平にしたとしても、その公平は真の公平でない。知恵者は外物に使役されるものに過ぎず、霊妙な自然を体得した人こそ物と感応してゆくのである。
 
知恵が自然に及ばない事は昔から決まっているのに、愚か者は自己の見解を頼みとして人間世界の事におぼれこんでいる。その働きはうわべだけのもので、浅はかな事だ。なんと悲しい事でないか。

さすが、無為自然の大家、荘子である。自分の死に際しても実に泰然としたかまえである。常人はこうはいかないだろう。しかし、天と地の間の空間を自分の棺おけとするとは、なんともスケールのでかい話である。いかにも荘子らしいエピソードである。 

「知恵が・・・・おぼれこんでんでいる」の部分は、ずいぶんと考えさせられる・・・・・。
知恵=「医療」、自然=「人の生き死に」、愚か者=「人間」、人間世界のこと=「病気と戦うこと」として置き換えてみよう。

「医療」が「人の生き死に」に及ばない事は昔から決まっているのに、人間は、自己の見解を頼みとして「病気と戦うこと」におぼれこんでいる。その働きはうわべだけのもので、浅はかな事だ。なんと悲しいことではないか。

今の医療崩壊現在進行中の日本社会に、荘子が生きていたとしたら、こんな嘆きをするのかもしれない。

いかがでしょうか?
現代の東洋思想を支える基礎をつくった偉大なる先人達、釈尊、荘子などの死に際から、今、私たちは何か学び、考えさせられるものがあるのではないでしょうか?

医療崩壊の流れを変えるには、所詮人の知恵の枠組でしか過ぎない「法律」をいじるだけでは、不十分だと私は思っています。人の生死は、人の知恵を越える自然なのだから・・・。もっと、一人一人の心の領域に立ち入らないと医療崩壊の流れは変わらないであろう・・・というのが本日の私の主張です。


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絞扼性イレウスという地雷 [救急医療]

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腹痛という主訴は、時間外診療や救急診療において、その頻度の多さという面において、確実にベスト5に入る主訴である。そんな腹痛患者に潜む地雷として、今回は、絞扼性イレウスについて紹介する。これは、大動脈瘤破裂など即死するほどの短時間ではないものの、腸管の血行障害のために、放置すれば数日で確実に死に至る病である。

イレウスの管理の難しさは、イレウスという診断ではない。

その難しさは、絞扼しているイレウス(=外科の緊急対応を絶対的に要するもの)か、絞扼していないイレウス(=内科的保存的加療でしのぐことができるもの)を適時判断していく管理面にある。理想を言えば、開腹経験豊かな外科医が初めから慎重に観察できれば良いのだが、いかんせん、臨床の現場はそう甘くはない。 

救急外来を訪れる腹痛の患者の絶対数は、圧倒的に多いのだ。 しかし、ほとんどがウイルス性腸炎などの軽症の部類だ。当然、その軽症患者の初期対応は、主として内科の医師が行うわけだ。その絶対多数の腹痛患者のうち、イレウス患者もそれなりに含まれるわけだ。だが、そのイレウス患者だけを母数としてみた場合、そこから、緊急開腹を要するイレウス患者のほうが、少数派なのだ。だから、イレウスという診断だけで、最初から外科医にすべてをお任せできない医療施設は相当に多いのではないかと思う。イレウス患者を最初に内科系の医師が診る場合、いつどのタイミングで外科に相談すべきなのかを判断するのは一筋縄でないということは、多くの人に知っておいてほしい救急の現場事情である。

イレウスの画像をネット上で勉強するとすれば、堀川先生のサイトが最も勉強になるだろう。http://www.qqct.jp/seminar_answer.php?id=732より引用する。絞扼か否かの鑑別点についての記載を紹介する。

絞扼性イレウスの診断におけるそれぞれの所見の感受性,特異性はさまざまであるが,特に,信頼性の高い有用な所見として,腸管壁の造影不良あるいは欠如,不整な”beak sign”,多量の腹水,腸間膜動静脈の位置逆転像,腸間膜濃度上昇および鬱血像が挙げられている.

確かに、今の我々の現場でも、腹水のあるイレウス患者は、いつも「やばいなあ・・」という雰囲気が発生する。ただ、腸管の染まり方や拡張腸管の走行のイメージなど、何例みても、そのたびによくわからない・・・・と悩むのが今の私の日常である。 だから、いくら勉強しても、いくら勉強しても、結局、一例、一例は、いつも冷や汗ものだ。自験例を告白する。

80代 男性  腹痛。開腹手術歴なし。
とある病院で、私が内科病棟当直をしていたときのこと。 ちょうど病院の体制が、外科の常勤医が不足し、内科サイドもその不足を協力していこうというお触れがでたばかりであった。午前0時を回ったころ、救急外来から、イレウスの患者の入院要請が私になされた。「ほんとは外科なんだろうけどなあ~、まあ、医局会の話もあったしなあ・・・」という気持ちで、この患者を診察した。こんな感じのX線をみると、我々医師は、とりあえず「イレウス」という確定診断を下す。私がみた患者の腹部X線もそんな感じ だった。さて、問題はこれからだ。これが絞扼しているかどうか、この判断がものすごく悩ましいことが多いのだ。そして、次にCTを撮った。そう、絞扼かどうかを判別するためだ。で、私は見た。悩んだ・・・・。悩んだ挙句、深夜ではあったが、外科の当直医にも救急外来に来てもらって、一緒に画像をみてもらい、一緒に患者の腹を触ってもらった。その結果は、「腸管の血流はOKのようだ。ごめん・・・内科で頼むよ、まずは。」との外科当直医からコメントをいただいた。そうして、その患者を内科で入院させた。夜が明け、朝のカンファで、消化器内科の先生がその患者の受け持ちに決まった。ところが、昼前に外科転科となり緊急手術になった。なんと、私と当直外科医が見たCT像を、放射線科の部長が朝に読影して、絞扼性イレウスの画像診断を下したのだ。放科部長は、腸管の染まり方ではなくて、腸間膜の造影効果から絞扼と判断したとのこと。かなり専門性の高い読影だった。その鶴の一声で、転科が決まり、緊急手術となった。部長の的確な読影のおかげで患者は緊急手術を受けることができたが、それでも患者は死亡した。おそるべし絞扼性イレウスである。

こんな現場体験をしているものにとって、下記裁判なんかは、まさに、明日はわが身の心境である。

損賠訴訟:○○大病院に4600万円 △△地裁、誤診認定 /XX
2006.06.01 地方版/XX 27頁 (全411字) 
○○大医学部付属□□病院(XX区)の医師が誤診し緊急手術を怠ったため死亡したとして、都内の男性(当時69)の遺族が○○大(XX区)に約5200万円の賠償を求めた訴訟で、△△地裁は31日、約4600万円の支払いを命じた。K裁判長は「遅くとも入院の翌朝には手術をすべきだった。誤診と死亡には因果関係がある」と述べた。判決によると、男性は200X年N月X日夜、腹痛を訴え、3カ月前に胃がん手術を受けた同病院に入院。
術後にかかりやすい単純性腸閉そくと診断され鎮痛剤を投与されたが治まらず、翌日夜に死亡した。解剖で死因は、血行障害を伴う複雑性腸閉そくと分かった。K判長は、鎮痛剤が効かないことや(X+1)日に2度も血圧が急低下するショック症状になったことなどを「単純性では説明できない」と指摘。1度目のショック症状が出た(X+1)日朝の時点で「複雑性」と診断し、ただちに開腹手術をすれば男性は助かったと判断した
【高倉友彰】毎日新聞社

この報道の症例は、実際の判決文を、最高裁のHPから、閲覧することが出来る。→判決文

裁判官が認定した臨床経過を経時的に書いてみる。

X日 16:00頃
心窩部痛が出現。徐々に増悪。自制不能へ。
19:35
腹痛を主訴に、救急車で来院。
20:46
ソセゴン投与。 筋性防御、ブルンベルグなし。Xpでは、明らかな二ボー像なく、CTでは、SMAに異常はなく、腹水認めず。拡張小腸は認めるが、腸管血流は保持されている。(診察医の読影)
22:30
サブイレウスの診断の元、外科入院。体温36.3。血圧170/88。WBC10000、CRP1.0。腸音良好。筋性防御、ブルンベルグなし。
23:00
腹痛の増悪。自制不可。
 
X+1日 3:00
便秘の訴えと著明な発汗。レシカルボン座薬の指示。
4:30
腹痛の増悪。自制不可。浣腸の指示。 ソセゴン投与。
7:30
尿意の訴えあるも、排尿なし。
8:10
血圧80/52。冷や汗あり。腹痛持続。意識は清明。
8:15
血液ガス検査 PH 7.239 PCO2 21.4 PO2 119.5 HCO3 8.9 BE -16.3。過換気と診断。
8:30
CVラインを確保し、プレドパの点滴が開始。血圧92/60。
9:00
血圧90/54。腹痛の訴えあり。激しい体動あり。
9:13
腹部X線検査。
9:30
血圧209/160。 プレドパ投与中止。心窩部、左右側腹部の圧痛あり。KT37度後半。腹部やや膨満しやや硬い。腸音弱め、筋性防御はっきりせず。ブルンベルグなし。
10:00
体動激しく、不明言動も出現。
10:30
血圧(触診) 92  様子観察の指示あり。
10:55
残胃病変の可能性を考え、胃内視鏡施行。結果、残胃炎の所見を認めた。血圧 89/41。
11:00
血圧105/50。体動激しく落ち着かない。
11:20
ベッドから立ち上がる行動あり。尿道バルーンがはずれる→再固定。
13:30
胃管の挿入。100mlの暗赤血性排液あり。
13:45
急激に意識レベル低下。心肺停止状態となった。直ちに蘇生処置。心拍再開する。
20:45
再度心肺停止。
21:50
死亡確認。

K裁判官の判断もわからなくないはないですが、早期に手術できたとしても、救命できたかどうかは、誰にもわかりません。現行の法の過失認定のロジックは、医療が介入する前のすでに病気で死に行く運命にあるという隠れた前提が、考慮されなさ杉と感じるのは私だけでしょうか?

まとめます。

本日の教訓
救急の現場では、絞扼性イレウスか否かの臨床判断はとても重要。
しかし、とても難しい臨床判断。

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医療は発展し続けるべきなのか? [雑感]

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医療崩壊が叫ばれる昨今、国家はその対策を迫られている。

医療費抑制の問題、医師不足の問題、医療訴訟の問題、医師・患者双方にいえるであろう人としてのモラルの問題、メディアの問題などなど・・・

多くの人が、それぞれの立場で、この医療崩壊問題と向き合っていることであろう。 しかしながら、日ごろ医療とは無縁であるがために無関心なのであろう「無関心層」の人間が、実数としては最も多いのだろうとは思う。

私は、純粋に疑問に思う。

果たして、医療は発展し続けるべきものなのであろうか?

と。

昨年末のエントリーでも、こんなことを述べていた。病気・死は悪か? というエントリーである。

日本社会の中での、隠れた前提 「病気は死は悪である」=「回避すべきである」

この社会前提を、

「病気・死は、受け入れて付き合うもの」 という

新たな社会前提に改変すべく事業を立ち上げ、そこに技術開発を中止することで浮いた金、人、ものを投入したらどうですか?

もし、国民皆が、こんな心性になってくれたら、ずいぶんと医療もやりやすくなるだろうなあと私は個人的に思います。

要するに、もう医療を発展させないという視点で、思い切って社会構造を変化させれば、また違った動きにはならないかということである。
例えば、製薬会社が、新薬の開発を止めてしまい、その余った財力や人力を使い、よりよく死を迎えるということを目標とした高齢者福祉の充実などに向けることができやしないだろうか?

また、少し違う言い方をすれば、医療がここまで「発展」したからこそ、今の医療崩壊という現象が、その「必然」として存在しているのかもしれないということである。 例えば、今、産科医療が崩壊の危機の先陣を走っているという現実を「必然」とすれば、その背景に、すばらしい産科医療の「発展」が存在しているはずである。

僻地の産科医先生のブログからその産科医療の発展ぶりを示すデータをお借りしてそれを示してみる。
以下の図は、妊産婦死亡の歴史的推移から引用した妊産婦死亡率の歴史的推移である。

2007616.jpg

驚くべき、死亡率の減少である。まさに、産科医療の努力の結晶である。にも、かかわらず、産科医療は今の惨状である。
どうして、この発展をもって、産科崩壊が必然となるのか?

私なりの考察である。
それは、人は、良いものを享受すると、いつしかそれが当たり前(=標準)となり、そうならなったときの結果を受け容れることができなくなったしまうという心理が、元々備わっているからだと思われる。受け容れることができなければ、その矛先が、医療関係者に向けられてしまうことになる。それは、紛争へとつながり、その情報がメディアを介して増幅され、さらに、日本の司法は、患者救済の視点で、判断を下してきた。これらはすべて文化の発展があってこその諸事情である。そして、この産科医療および周辺の文化的発展が、結果として(=必然として)、今の産科崩壊とつながっていると考えるわけである。

わたしは、昨年から、漠然とこんなことを思い続けてきたわけである。ただ昨年暮れ、私が病気・死は悪か? を書いたときは、まだ、老荘思想と出会う前だった。

私は、今年になって、老荘思想を勉強し始めたわけであるが、それでわかったことは、なんと老子は、紀元前何百年の時代において、すでに社会における文明の発展への危惧をとうに指摘していたのだ。

老子 第57章 より

天下多忌諱、
てんかにききおおくして、
而民弥貧。
たみいよいよまずし。
民多利器、
たみにりきおおくして、
而国家滋昏。
こっかますますくらし。
人多智慧、
ひとにちえおおくして、
而奇物滋起。
きぶつますますおこる。
法令滋章、
ほうれいますますあきらかにして、
而盗賊多有。
とうぞくおおくあり。

老子・荘子  守屋洋 著  東洋経済新報社 P128 よりこの文章の解説部分を引用する。

 自然の素朴さをよしとする老子は、文明のもたらす負の面を批判してやまない。このことばはその代表的なものの一つだ。「禁令がふえればふえるほど人民は貧しくなり、技術が進めば進むほど社会は乱れていく人間の知恵が増せば増すほど不幸な事件が絶えず、法令が整えば整うほど犯罪者が増えていく。」というのである。
 文明の進歩は、人類に大きな利便をもたらした。この事実は、率直に認められなければならない。
だが、それに伴って、心の安らぎとかゆとりとか、人間にとってなにか大切なものが見失われてきたことも事実である。それは、私どもが戦後の経済成長のなかで、つぶさに実感させられたことでもある。
 老子は、自然に帰れ、無欲に帰れ、と説く。この主張が現代において、どの程度の実効性を持ちうるかはわからない。しかし、問題の核心を鋭くついていることは認めざるをえない。老子の功績の1つは、早くから文明の負の面に目を向けたことである。

老子のいう文明の発展を、医療の発展に置き換えて考えてみれば、私の漠然と思っていたことそのものになってしまうのだ。自分の考えが、老子と一緒だったなんて、なんとなく素直に嬉しいような気もする。また、事故調なんかが今の原案のまま、通ってしまおうものならば、医療犯罪者が増えて何一ついいことはないだろうなという考えが、この老子の文章から導き出せそうな気もする。(蛇足だが・・・)

今、医療界は、相変わらず、それぞれの細分化した世界で、夢をおっかけ、医療の発展を望みながら、多くの人が動いている。
本当にそれでいいのでしょうか?

少し視点を変えれば、こうは言えないだろうか?
医療の発展を断念するという政治的決断が、一見逆説的でありながらも、未来の医療、ひいては未来に日本を救う鍵とならないだろうか? 

賛同してくださる政治家の先生はいらっしゃいませんか? 
賛同してくださるメディアの関係者はいらっしゃいませんか? 
賛同してくださる一般の方々はいらっしゃいませんか?

まあ、賛同してくれる方がいようがいまいが、私個人は、静かに今の世の動きを眺め、自らの生き方を考えるのみである。


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大淀事件を通して今感じること [医療記事]

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大淀病院の事件は、一医療機関と一患者側との医事紛争の枠組をすでに超えてしまっているというのが大きな特徴だと思います。既存の報道機関が提示する情報が、とても社会的公平性を欠いた不適切なものであったということを、ネットを通した医師個人レベルの活動が明確にし、そして非常に質の高い医学的論がネットを通してリアルにやり取りされ、そういう中で裁判経過が多くの医師の注目を浴びているという特徴です。これは、医療報道のありかたそのものを変える大きな転機ではないでしょうか。

2006年10月17日、毎日新聞は、次のような報道を行った。それがすべての始まりであった。

病院受け入れ拒否:意識不明、6時間“放置” 妊婦転送で奈良18病院、
脳内出血死亡
2006.10.17 大阪朝刊 1頁 政治面 写図有 (全1,454字) 

 ◇手術は60キロ先の大阪
 奈良県大淀町立大淀病院で今年8月、分娩中に意識不明に陥った妊婦に対し、受け入れを打診された18病院が拒否し、妊婦は6時間後にようやく約60キロ離れた国立循環器病センター(大阪府吹田市)に収容されたことが分かった。妊婦は、脳内出血と帝王切開の手術をほぼ同時に受け元気な男児を出産したが、約1週間後に死亡した。遺族は「意識不明になってから長時間放置され、母体の死亡につながった」と態勢の不備や病院の対応を批判。大淀病院側は「できるだけのことはやった」としている。過疎地の産科医療体制が社会問題化する中、奈良県や大淀町は対応を迫られそうだ。(31面に関連記事)
 ◇県外搬送常態化
 遺族や病院関係者によると、妊婦は同県五條市に住んでいた高崎実香さん(32)。出産予定日を過ぎた妊娠41週の8月7日午前、大淀病院に入院した。
8日午前0時ごろ、頭痛を訴えて約15分後に意識不明に陥った。産科担当医は急変から約1時間45分後、同県内で危険度の高い母子の治療や搬送先を照会する拠点の同県立医科大学付属病院(橿原市)に受け入れを打診したが、同病院は「母体治療のベッドが満床」と断った。同病院産科当直医が午前2時半ごろ、もう一つの拠点施設である県立奈良病院(奈良市)に受け入れを要請。しかし奈良病院も満床を理由に、応じなかった。医大病院は、当直医4人のうち2人が通常勤務をしながら大阪府を中心に電話で搬送先を探したが決まらず、午前4時半ごろ19カ所目の国立循環器病センターに決まったという。高崎さんは約1時間かけて救急車で運ばれ、同センターに午前6時ごろ到着。脳内出血と診断され、緊急手術と帝王切開を実施、男児を出産した。高崎さんは同月16日に死亡した。大淀病院はこれまでに2度、高崎さんの遺族に状況を説明した。それによると、産科担当医は入院後に陣痛促進剤を投与。容体急変の後、妊娠高血圧症候群(妊娠中毒症)の妊婦が分娩中にけいれんを起こす「子癇(しかん)発作」と判断し、けいれんを和らげる薬を投与した。当直の内科医が脳に異状が起きた疑いを指摘し、CT(コンピューター断層撮影)の必要性を主張したが、産科医は受け入れなかったという。緊急、高度な治療が必要な母子について、厚生労働省は来年度中に都道府県単位で総合周産期母子医療センターを指定するよう通知したが、奈良など8県が未整備で、母体の県外搬送が常態化している。大淀病院の原育史院長は「担当医が子癇発作と判断して処置した。脳内出血の疑いも検討したが、判明しても対応しようがなく、診断と治療を対応可能な病院に依頼して、連絡を待っていた。ご遺族とは誠意を持って対応させていただいている」と話した。一方、高崎さんの遺族は「大淀病院は、脳外科を備えながら専門医に連絡すら取っていない。長時間ほったらかしで適切な処置ができていれば母体は助かったはずだ」と話している。【林由紀子、青木絵美】
 ◇「確認可能なはず」
 妊婦が意識を失った場合、子癇発作と脳内出血の差はどう判別されるのか。県立医大の小林浩・産科婦人科教授によると「いずれもけいれんを起こし、普通どちらなのかは判断できない」という。一方、別の産科医は「頭痛があり、妊娠高血圧症候群がないなら、脳内出血を疑うべきだ。病院内にCTがあるなら、確認は可能だったはず」と話す。遺族は「脳内出血を疑う情報が、転院依頼先の病院に伝わっていれば、次々と断られることはなかったのでは」と訴える。
毎日新聞社

今あらためて、この報道が、いかに医療者の侮辱にさえ値する報道であったかが、裁判の証言を通して明らかにされつつあります。これは、ネットによる個人レベルの情報発信手段が確立された昨今であったからこそ、明らかにされたとも言えます。僻地の産科医先生のところに、その情報が最も集約されていると思います。その精力的なご活動に心から敬意の意を表したいと思います。とても貴重なその資料はこちらです⇒ 大淀病院 目次

私自身、この記事を最低と評する最大の部分は、6時間放置という表現である。
そして、ご遺族の発言として、新聞社としての責任を回避しながら、長時間ほったらかし という報道を行ったことも許しがたいが。

では、実際は・・・・
僻地の産科医先生の資料(第5回資料 診療経過表)から適宜抽出してみる。
大淀事件 証人喚問 内科医先生編 大淀事件 証人喚問 高崎さん編 大淀事件 証人喚問 産婦人科医先生編
からは、さらに詳細な現場の様子が伝わってくる

最初の症状   午前0時頃 (より正確には0:14) ・・・・A
本来の急変時 午前1:37                ・・・・B
          直ちに転送交渉開始
        (産科医が詰め所で転送交渉にあたり、
         内科医が、患者のそばについている状況で)
交渉成立    午前4:20                ・・・・C
現場出発    午前4:50                ・・・・D
国循到着    午前6:00                ・・・・E

この経過で、どうして6時間放置になるのでしょう? 

・ぎりぎり嘘という批判に対して言い逃れが可能な最大な時間のとり方(=E-A=6時間)にしています。
・放置というこの単語一語のみで、医師が何もしなかったという悪印象を自動的に読者に与えるようにしています。

この2点は、明らかに毎日新聞社の意図です。 
医療を悪者にしたかったという意図が明らかすぎるほどに明らかです。
転送システムを論じるとすれば、C-B=約3時間弱 というところを検討すべきでしょう。
いずれにしても、この裁判を通して、明らかに当初の報道が不適切だったことがはっきりとしました。

医師ブログは、「情報流出・誹謗中傷」云々で、メディアの攻撃対象にされましたが、結果的には明らかに既存のメディアより早期に的確な情報を流していたこともこの裁判経過から判明したわけです。 もちろん、そんなことをメディアが報道するはずもありませんが、大きな事実だと私は思います。

新聞社側に最大限歩み寄って当初の取材当時は仕方がなかったという側面は仮に認めたとしても、今はもう違いますよね。それは、毎日新聞だって知っているはずです。

医療界を侮辱するような「6時間放置」という発言に対して、今、毎日新聞社は医療界にそして何よりも大淀病院の関係者達に真摯に謝罪するべきではないでしょうか?もしかしたら、私の知らないところですでに謝罪されているのでしょうか?

ただ、私個人の倫理観は、新聞社という組織には通用しないのかもしれません。
それが社会の不公平性の1つかもしれません。 
(ちなみに、私は社会や人生は不公平なものであるという認識を前提にもっています)

この裁判を通して、医師側と患者側の間に、新たな相互理解が生まれることを願ってやみません。

(7月21日 追記)  
2007年5月 2chでは、大阪保険医雑誌2007年5月号に記載された「対論 奈良・大淀病院問題から医療報道を考える」という記事の内容が紹介されていました。ネット上ではそれなりに有名かもしれませんが、いちおう、初めての方もおられるであろうと思うので、ここにも開示しておきます。

卵の名無しさん 投稿日: 2007/05/16(水) 22:10:14 ID:ytRbtdiX0

大阪保険医雑誌5月号より
吉村:
後の「医療クライシス」からは報道の姿勢が変わってきていると 医師仲間も思っています。 ただ、最初の大淀病院を巡る報道では亡くなった妊婦さんを担当した医師個人の資質の問題をターゲットにした書き方を されているのではないかと思うのです。

毎日新聞 砂間裕之:
具体的にどこがターゲットになっているのか、 示していただけますか。

吉村:
「当直の内科医が脳に異常が起きた疑いを指摘し、 CTの必要性を主張したが、産科医は受け入れなかった」という 箇所はどうですか。 一部には内科医師が「子癇発作の痙攣でしょう」としてCTを 進言した事実もないという話もあります。

毎日新聞砂間裕之: 
そ れ は ネ ッ ト 上 の M 3 で の 話 で し ょ う 。 詳細な経過がなぜ外部に流出するのかも、こちらは全然理解できないです。僕らは取材に基づいてやっているので。

吉村:
しかし、この文面は体制の問題を強調している文章と言えるのですか。

毎日新聞 砂間裕之:
事実経過を説明しないと、体制の話もできないでしょう。 この中で、悪いとも何とも書いていないわけです。 事実経過がなくて、どうして体制が不備だと言えるのですか。

吉村:
だから、これが事実かどうかも明らかではないでしょう。

毎日新聞 砂間裕之: 
事 実 に 基 づ い て い ま す 。

吉村:
では、どこから、誰から取材したのですか。

毎日新聞 砂間裕之:
取材源は明かせません。 少なくとも、病院関係者と遺族、奈良の医療関係者から取材しています。 子癇か脳内出血かというのは、診断するに当たって、大事なところではないですか。


このようなやりとりが実際になされていたわけです。しかし、裁判での関係者の証言が、明らかになった今だからこそ、もういちどこの砂間氏の発言を考え直してみるのも良いかと思います。 いろんな立場がおありでしょうから、ご自由にお考えいただければ幸いです。

併せてここに、裁判証言での関係箇所を抜き出しておきます。皆様のご判断の一助となればと思います。

0:14の意識消失に関して助産師の証言

[被弁2]
 
その後、お二人の医師が何か話されているのを聞きましたか?

[助産師]
「陣痛中の単なる失神でしょう、しばらく様子を見ましょう」
というようなことを言われました。

[被弁2] 
誰が言いましたか?


[助産師]
内科医だと思います

1:37の痙攣発作に関しての内科医と産科医の証言

[内科医]
脳の異常だと思いました。脳出血ないし、脳梗塞。CTは撮ってもいいと思ったのですが、産婦人科医先生が動かしてはいけないとおっしゃった。それに搬送先でCTも撮ってもらえばいいかなと

[産科医]
マグネゾールがきいたから。子癇には絶対安静が必要。それに高次機関ですべきだと思ったCTには40-50分かかる。脳の病気では?といわれた覚えはない。

(コメントを下さる方へ 単語1つを切り取って、誹謗・中傷と言われかねない単語は、できるだけ回避してくださるようにご配慮ください)


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コード・ブルー 第二話をみて [雑感]

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???

コードブルーという救命センターを舞台とする医療ドラマが始まりました。医学的内容を抜きにして、ドラマとして見る分には、退屈させずに視聴者をひきつけるようなつくりにはなっていて、おもしろいなあとは思いました。

主役の医師がNEWSのリーダーである山下智久とあっては、その視聴者層も10代、20代が相当数を占めそうです。メディアリテラシーもままならないこの年代の人たちは、「救急医療」なるイメージが、現場の現実よりもこういうTVを通して、刷り込まれてしまうのでしょうね。 ですので、TV製作者にあたっては、医療に過剰な期待を抱かせるものではなくて、医療の限界性を伝えるドラマ構成であってほしいと切に願う次第です。

7月10に放映された第二話においては、残念ながら、医療に過度の期待を抱かせる部分があると私は強く感じました。それは、歯痛を訴える高齢女性の患者さんを帰宅させた藍沢医師(山下智久)が、その患者さんを帰宅させたという判断に対して、同僚医師も上司の黒田医師(柳場敏郎)もそれを強く非難し、さらに御家族までも藍沢を強く非難するということが、ごく当然の流れとしてストーリーとして構成されていたことです。ちなみに、その帰宅した患者は、その翌日に、院内で心肺停止状態に陥りましたが、適切な救命処置にてなんとか一命を取り留めています。

第二話のあらすじは、こちらで参照できます。 ⇒ 第二話あらすじ

第二話の動画は、こちらで参照できます。 ⇒ 第二話動画(上段が前半、後段が後半)

リンク先のあらすじから、 私が気になった部分を抜き出します。

藍沢は、昨夜遅く、歯痛を訴えて救急外来に来た八重を診察し、帰宅させていたのだ。緋山や藤川は、そんな藍沢を非難した。藍沢は、同じ時刻に行われていた、膝窩(しつか)動脈損傷の血行再建手術を見たいがために、八重を適当にあしらって帰した、というのだ。白石は、歯痛から心疾患を予測するのは難しいのではないか、と藍沢を庇った。緋山は、そんな白石の態度にうんざりしたかのように、キレイごとばかりで本音を言わないのは一番卑怯だ、と返す。(上段の動画で 5:00~5:50あたりの場面 )
八重は、意識が戻らず予断を許さない状態だった。黒田は、「よく見ておけ。お前が殺しかけた…いや、殺すかもしれん患者だ」と藍沢に言い放つと、彼が持っていたヘリ用の無線機を奪って緋山に渡した(上段の動画で 6:40~7:00あたりの場面 )
あくる日、藍沢は、八重の家族に直接謝罪したい、と田所に申し出る。前夜、八重は意識を取り戻していた。藍沢は、八重の家族に責められても、頭を下げ続けた。(下段の動画で 19:45~50あたりの場面 )

たしかに、急性心筋梗塞という地雷を回避するために、高齢女性が歯痛で夜間に時間外診療を受診したという状況に注意を払うのは、大切なことかもしれません。 しかし、その判断とは、1例1例、状況は様々です。たまたま、そのときに患者が複数いて十分に時間が取れない状況であり、かつ患者さんも早く帰りたいという意思表示をしていたかもしれまん。あるいは、患者さんは、痛み止めだけが欲しいと主張したのかもしれません。

家族が怒りで医師を罵倒する場面がありますが、実際の救急現場で真似をされてしまう方も出てしまうのでないかと思いました。医療崩壊の今のご時勢への配慮が足らないなあと思いました。

その現場にいないものが、後に生じた結果だけでもって、「お前が見逃したことがすべて悪い」という論調は、短絡過ぎると私は思います。テレビを通して、多くの人々の心の中に、「こういうケースでは、完全に医師が悪い」というステレオタイプな見方が植えつけられてしまわないか大変心配です。

では、なぜ、このドラマのように、医師を含めた当事者以外は、当事者を非難の目で見てしまうのでしょうか? それを検証してみたいと思います。検証に用いた書物は、クリティカルシンキング 入門編 北大路書房 です。 以下、クリシンと略します。

クリシンP35より
人は、目につく出来事や、他のすべてから浮き上がって見える出来事だけに注目し、それが原因だと即断してしまう傾向があるので注意せよ。

このドラマに適用すれば

帰宅させた患者が翌日に急変した場合(=目につく出来事)は、その診察した医師が原因(=浮き上がって見えるもの)だと即断してしまう傾向があるので注意せよ

ということですよね。 つまり、医師だけが原因と即断してはならないわけです。

クリシンP95より
あなたが、友人の部屋に行った時、彼は小さなイスにつま先立ちして天井を塗っていたとしよう。あなたがドアを開けた時、彼はハケを浸そうとしてバケツに手を伸ばしていた。そのとたん、バケツが床に倒れ、あなたを含めてあたり一面がペンキだらけになった。一段落した後、あなたは彼の行動をどう説明するだろうか。おそらく彼を不器用、不注意、あるいは間抜けと考えるだろう。しかし、もしイスに乗っていたのがあなただったとしたらどうだろう。とたんに調子が変わり、「このイスは低すぎるし、ぐらぐらしてるんだ。」「ハケがバケツより大きすぎた」「君が驚かすから」などと言うに違いない。
自分が観察者である時には、相手の行動を相手の内的原因に帰属しがちである。それに対して、行為者である時には、自分の行動を説明するのに外的要因を強調しがちである。これが行為者-観察者効果といわれるものだ。

このドラマでは、藍沢以外の医師や家族が観察者に該当します。観察者が、行為者である藍沢を過度に批判する要因のひとつは、この「行為者ー観察者効果」というものでも説明可能ですね。藍沢の医師としての能力が低い悪いという批判は、まさに、観察者が、藍沢の臨床能力という内的原因を強調しがちになる傾向から来たものだと説明できるというわけです。また、この理論で言えば、藍沢は、自分以外の要因を主張するほうがむしろ自然ということになります。しかし、ドラマ制作者の意図なのでしょう。藍沢自身でさえも、自分の能力が原因と決め付けてしまっています。つまり、人間の自然な認知の一方だけを強制的に排除したというドラマ構成になっています。

今回のように一人の医師を悪者にするドラマ仕立てよりも、

十分適切な医療であったにも関わらず、残念な結果になることもある。それが医療の本質である

ということを伝えるドラマを作ってほしい。これが私の今回の主張です。

ちなみに、歯痛の人が、心筋梗塞という話は、次の本にも記載されています。
ER・救急トラブルファイル  監訳 太田 凡 P74 真実を知る歯 そこの教訓の1つにこう書いてあります。

歯痛の患者をみたら、少なくとも、痛みが心臓由来かもしれないと心をよぎるぐらいでなければならない。この懸念はたいてい、診察と問診ですぐにどこかへ消えうせてしまうものであるが。

ちなみに、私は、歯痛の患者が、心筋梗塞だったという事例に遭遇した経験はありません。 頭痛と耳痛と頚部痛をそれぞれ主訴とした事例の経験ならありますが・・・・。

当ブログの参考エントリー です。心筋梗塞診断の怖さに関するものです。
たった一枚の心電図
初回検査異常なし≠緊急性なし
意外な頭痛
妻の力にはかなわない
引継ぎに潜む地雷
消化器疾患?実はAMI
左肩痛の女と老女
目を惑わす心電図
目を惑わす心電図(2)

私は、自分の主張として、このブログのエントリーURLを添えて、フジテレビにメッセージを送信しました。皆様も、若い世代の方々が、TVを通して変な医療イメージをもってもらわないようにTV局に意見しましょう。http://www.fujitv.co.jp/response/index.html  ← こちらから、メッセージが送れるようです。


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SAH地雷の確率計算 [医療記事]

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本日は、くも膜下出血(SAH)の話題が報道されていました。 このブログではSAHにはこだわりをもって何度もエントリーを入れてきました。そこで、本日は、この記事に対する自分の感想と考えを述べた後に、SAH地雷の確率計算を皆様と考えてみたいと思います。

<くも膜下出血>初診6.7%見落とす 学会調査   魚拓
7月7日21時56分配信 毎日新聞

くも膜下出血の患者のうち、脳神経外科医以外が初診した6.7%が風邪などと診断され、事実上、病気を見落とされていたことが7日、日本脳神経外科学会の調査で分かった。患者が軽い頭痛しか訴えなかったことなどから、くも膜下出血を発見できるCT(コンピューター断層撮影)を実施していなかった。
同学会は「軽い頭痛の患者全員にCTを行うわけにはいかない。現代医療の限界とも言える」としている。同学会学術委員会の嘉山孝正・山形大教授らが、宮城県と山形県の2病院で、脳神経外科のカルテ全491例を調査した。宮城県は07年1月~08年5月が対象。198例中37例が脳神経外科医以外で初診を受け、うち10例(5.1%)が風邪、高血圧、片頭痛などと診断されてCTを受けず見落とされた。10例すべてが再発し2例が死亡した。山形県は96~05年が対象。専門医以外の初診は293例中48例で、23例(7.8%)が見落とされ、すべてが再発し2例が死亡した。見落とし計33例のうち17例は、くも膜下出血の常識に反して発症時に軽い頭痛しか起きておらず、委員会は「専門医以外では他の頭痛と区別できない」と指摘。他の16例も「診断が難しい例がある」とした。山形県では脳神経外科医でも見落とした軽度頭痛の患者が1例あった。米国では5~12%の見落とし率という報告がある。嘉山教授は「くも膜下出血の診断は難しく、完ぺきな診断はできない。現代の医療でも見落としは不可避という現実を周知し、脳ドックの普及など社会全体で対策を考えるべきだと思う」と話している。【奥野敦史】

上記引用記事において、私が重要と思ったところは、赤太字にしてみました。 医療の限界性を、記事を通して伝えようという点においては、この記事を評価しておきたいと思います。それに比べて、読売の記事「くも膜下出血、5~8%見逃す可能性…風邪や高血圧症と診断」 では、この限界性については、完全にスルーして、見落としの部分がこの記事よりさらに強調されているものとなっています。

新聞社が見出しで「見落とし、見逃し」といったネガティブな印象を与える言葉を使ったがために、「SAHに対する医療のレベルが一般に低い」という印象が世間に広まってしまったのではないかと私は危惧しています。

SAHは、当ブログでも何回も話題にしてきました。それだけ、地雷性が強く、訴訟にもなりやすい疾患なのです。

SAH診断の限界性は、どこから来るのか? それについて、ここで一言解説させていただきます。

それは、予兆 → 再出血(急変) というステップで病状が進行するというパターンが存在するということです。この予兆が、非典型であればあるほど、SAHの診断は困難となります。 さらに、予兆の段階ですので、頭部CTによる診断も大いに限界があります。 この予兆を象徴する頭痛として、雷鳴頭痛とか警告頭痛という名称が与えられているものがあります。「突然発症のバットで殴られたような人生最悪の頭痛」という特徴をもった頭痛がそれに該当するわけです。この予兆の出かたにも個人差があるでしょうし、また、自分の症状を、自分の言葉で医師に伝えるときも、人それぞれでしょう。そういうわけで、予兆の把握も一筋縄でいかないということです。

本日は、SAHの診断に関するこんな問題を提示してみたいと思います。 計算問題です。

症例   35歳男性  頭痛

(経過1)
最近、過労気味。深夜の帰宅も多い。健康診断では、血圧が高めだとここ数年言われ続けているが、放置している。 叔父が42歳で、SAHで突然死しているという家族歴もある。 本日、16時ごろ、会議中に、突然後頭部が殴られたように痛み、一瞬嘔気も伴った。 そのため、一端会議の席をはずれ、ソファーで横になっていたが、1時間もすれば軽快した。 そこで、会議に戻り、仕事を続けた。 夜の22時に帰宅。 昼間の出来事を妻に言うと、「あなた、それってクモ膜下じゃないの? 今すぐ病院行こう!」と言われ、妻に連れられ、深夜0時に、時間外の内科を受診した。 受診時、血圧160/96 脈78 体温 36.4 呼吸数18。意識 清明。 瞳孔径異常なし。瞳孔不動なし。対光反射異常なし。 

当直医は頭部CTを撮りました。 しかし、その画像に異常はありませんでした。そのため、担当医は、「SAHはないです。大丈夫です。」と患者とその妻を安心させ、患者を帰宅させました。

(経過2)
それから2日後の朝、患者はいつもの時間に起床してきませんでした。 妻が見に行くとすでに呼吸も心臓も停止していました。患者は救命センターに運ばれ、そこで死亡が確認されました。そして、AIにてSAHが確定しました。

医事紛争に発展するような、SAHの臨床経過の一例を示してみました。怖いでしょ、SAHって。

さて、ここからが、問題です。Clinical Practice of Emergency Medicine 4th ed. P591を改変して作成しました。

この患者のSAH発症の、頭部CT検査前確率pを 50%≦p≦80% と仮定します。 そして、SAHに対するCTの感度を93%、特異度を100% という前提とします。(ここでは、この前提は正しいものとしてください) 

読影に誤りはないものとみなして、考えることにします。 さらに、SAH再出血による死亡率を60%とします。

以上の設定のもとで、(経過1)の対応をとった患者が、(経過2)のように、SAHで死亡してしまう確率を計算すると、何%以上何%以下になるのでしょうか?

つまり、地雷を踏み抜く確率の計算の一例というわけです。
(7月8日 記)

(7月9日 追記)

rirufa様、moto様 コメントありがとうございました。 今回の計算プロセスの背景には、ベイズの定理があります。 このあたりの解説は、ここにまとめてあります。

で、その計算は、moto先生のご指摘どおりでございます。

(解答例)

p=0.5~0.8
↓(換算)
検査前オッズ=p/(1-p)=1~4

陰性尤度比=(1-感度)/特異度=0.07

検査後のオッズ  =(陰性尤度比)x(検査前オッズ)
            =0.07 X 1~0.07 X 4
            = 0.07~0.28
               ↓(逆算)
   検査後確率 =0.065~0.22

最後に再出血確率0.6をかけると、

求める死亡率の範囲は、0.039~0.13

            答え 3.9%~13%

このようになりました。 つまり、(経過1)のような対応で帰宅した患者のうち、きつく見積もって8人に1人は、SAHの再出血で死亡するということを意味します。少なく見積もって、25人に1人ということになります。 CTで異常を認めなくてもこれくらいの確率でSAH死亡が起こりえるということです。つまり、病歴が相応に怪しければ、その時点で、CT検査はSAHの完全除外ツールにはなり得ないということを知っておくことはとても重要だと考えます。

つまり、CT陰性であっても脳外科医と慎重な協議が必要と考えます。次の手としてルンバールとかMRIとか、脳外科医の意向にそった形で、診断を進めていくのが現実的だと思います。

まあ、最も、最初の仮定である検査前確率そのものがあいまいですから、そこから導き出されたこの数値もあいまいなものではあります。しかし、このように検査前確率に幅を持たせて考えれば、それなりに現実的な推量範囲にはなりえると思います。

今回の報道は、CT検査が万能であるという誤解を、一般の方に与えてしまいそうです。現実の臨床の現場において、CTはとても有用だけれども決して万能ではないということを私は強調しておきます。

まとめます。

本日の教訓

SAHの初期診断過程において、病歴がそれなり怪しい時(検査前確率が高いと考える時)、頭部CT検査陰性だけを根拠に、SAHを完全否定すると、SAH再出血死亡という地雷を踏んでしまうだろう


(さらに追記 7月9日)

Yosyan先生の「新小児科医のつぶやき」でも、同じ新聞記事をソースにエントリが立てられているのですが、そこでのロハスメディア・川口様のとても重要なコメントがあります。http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20080709#c1215602670 今回の報道に関する、脳神経外科学会のコメントです。

http://jns.umin.ac.jp/ より引用

「脳卒中における新知見に関する学会発表」
(社)日本脳神経外科学会は平成20年7月7日(月)厚生労働省において
「脳卒中における新知見に関する学会発表」と題して、くも膜下出血の診断の困難についての記者発表を行った。

記者発表資料はをご覧下さい。

なお、本学会発表について、
一部新聞報道内容に「初診6.7%見落とす」という、説明内容とは相違する誤解をまねく不適切な表現がありました。強く抗議を表明します。

(社)日本脳神経外科学会

メディア報道って、うのみにしちゃいかんよ という実例ですね。


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